ふたつの傷痕
change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
男が血塗れの手を振り上げると、その血が宙に浮いて壁や地面に線をつくった。また喧嘩だ。こう言う事は多い訳じゃないけど、少なくもない。内心呆れた顔をしながら好奇心に負けて遠目に戦場を覗き込むと一人だけぽつんと立っている男が項垂れていた。
こう言う時、決まって捨て台詞を吐いて満足気に威張って立ち去る者が常だから、なんとなく目を惹いた。勝ったのに、ちっとも嬉しそうじゃない。それどころか、後悔してるみたいに拳をギュッと握り締めていた。瞳がゆらゆら揺れて目が離せない。
それもサイレンが聞こえてくればそうともいかず、それでもじっとしている男の人に駆け寄った。何故そうしたか、なんてわからない。足が勝手に動いたんだから、足が悪い。
「おにーさん!逃げなくていいの?」
「…誰だテメエ」
「通りすがりのただの女子校生。成瀬樹。速く行こ!」
惨状を視界に入れないようにしながら袖を引っ張ると案外すんなりと動いてくれて安心する。こっちは早足なのに男の人は普通に歩いている。背がでかい。顔を見上げると興味無さそうに道路を見つめていた。変な人。
「喧嘩に勝ったのにそんな顔する人初めて見た」
「…………」
「淋しそうな顔してる」
「ああ?」
もっぺん言ってみろバカ女!って顔で凄まれて漂ってた哀愁が綺麗さっぱり無くなった。それが面白くて笑うと、今度は頭おかしいバカ女!って顔をして口がへの字に曲がる。怒と哀の間なら表情豊かな人なのかも。
「お陰でこんな怖い顔の人に声かけちゃった」
「ならほっとけよ。オレに関わると碌な事ねえぜ」
「もう遅いんだな、これが」
振り解かれそうになった裾を意地でも離してやるものかと掴み直して戦場から遠ざかる。悪態をついている割に力を行使してこないので、もしかしたら女には加減するタイプなのかもと邪推する。…変なの。気がついたら制服のポケットを弄って、授業中友達と交換して遊んだ手紙を取り出していた。
男の人から手を離すと私を通り過ぎて何も言わずに歩き出したのを視界の端に入れながら手紙の余白を破り取った。胸ポケットに刺しているボールペンで自分の名前と数字を書き連ねる。序でにハートも。
「おにーさんっ!お名前教えて!」
「やだね」
「もー!」
思っていたより小さくなっていた背中に走り寄ってまた袖を引く。ゆっくり歩いてるように見えるのに足速すぎ。
「教えてよ。このままお家まで着いてっちゃうよ」
「チッ……間柴」
「ましばさん?したのお名前は?」
「了」
口の中で名前を唱えると眉間にピクピク皺が寄ってめちゃくちゃ怖い。嫌なんだろうな。それなのに教えてくれるの、やっぱり変。名前を教えてくれたお礼を言ってさっき書いた紙切れを間柴さんの手のひらに押し付けた。
「もし今日のこと聞かれたら女と会ってたから知らないって言いなよ。お話し合わせます」
「いらねえよ。何の真似だ」
「んー…、ナンパ!」
話しかけて連絡先を押し付ける、うん。立派なナンパだ。ちょっと推しが強すぎたかもしれない。でも目を丸くしてる間柴さん、面白いからいいや。手を振って絶対連絡してね!なんて言いながら背を向けた。変な人ナンパしちゃった。むずむずする胸を抑えながら振り返ると間柴さんと目が合った。嬉しくて手を振ると嫌そうな顔をしてメモごとポケットに手を突っ込んで歩き出す。やった、捨てられなかった!それだけで満足して頬が緩んでしまう。
「あ、樹ー」
呼び止められて視線を向けると最近カップルになった友人達が手を繋いで手を振っていた。落ち着いた雰囲気の気だるげ美人と笑顔が穏やかな爽やかくん。二人でいる時の雰囲気が柔らかくてとってもお似合いで理想の恋人像だけど、とふんわり間柴さんと自分を想像してすぐに追い出した。この雰囲気は出せそうにない。面白すぎる。
「バイトの帰りー?」
「そー。二人は?デートしてきたの?」
「うん、映画観てきたの」
ね。なんていちゃつきながら答える二人を茶化しながら雑談する。そうか、映画ならいい目眩しになるかも。人通りもそうなかったし、戦場にいなかった事にしちゃえばいいんだ。
「二人とも、その映画のチケットまだ持ってたりする?」
「ああ。あるぞ」
「持ってるけど…どうしたの?」
「よければ貰えないかなって。アリバイ工作したくて」
ワルだねぇ。なんてくすくす笑いながらチケットを快くくれる二人を拝み倒す。気前のいい友人達と人徳に感謝をする。
「ありがとー!絶対迷惑かけないようにするから」
「いいよ、それくらい」
「じゃあ、俺らは飯行くからまた明日な」
「うん!本当にありがとう、またね!」
手を振って別れて手に入れたチケットを無くさないようにしまっておく。使わなければそれに越したことはないけど、念の為。話し合わせるって言ったもんね。
何の気無しに用意した不在証明は案外すぐに使う事となった。後日バイトへ向かう道すがら、間柴さんと優しそうなおじさんが警察二人に詰められてるのを発見して、運命を感じずにはいられない。いそいそと友人にもらったチケットを一枚、手の内に隠しながら走り寄った。
「りょーくんだ!やった!偶然会えた!」
馴れ馴れしく腕に縋り付いて甘えると不服そうにてめえ、と唸っている。警官の前だからか、振り解かれない。更にくっついて自分の体で隠しながら間柴さんのポケットにチケットを滑り込ませる。気付いてもらえるようにポケットの中をくすぐったら間柴さんがまた嫌そうな顔をした。面白い。
「…君は?」
「りょーくんの彼女です。…何かあったんですか?」
自信満々に答えた所為か、間柴さんはずっと黙ったままだ。警察官から話を聞けばやはり私が居合わせた戦場の話で、ボロボロの彼らが間柴さんの名前を出したから話をしていたらしい。速る心臓を無視しながら首を傾げる。
「え?でも学校が終わってからすぐ映画デートしてたから、りょーくんじゃないと思いますけど……あ、ほら!その日のチケット!」
私が持ってるチケットを出して警察官にみせる。りょーくんも持ってないの?と催促すればむすっとしながら私がくすぐったポケットから紙切れを出した。私のものと見比べてしばらく、警察官がため息をつく。いくつか注意をして警察官は去っていった。その背中に労いの言葉をかける。
「間柴さーん。連絡してって言ったじゃないですかっ。めちゃくちゃピンチだったじゃん!」
「うるせえな。頼んじゃいねえよ」
「でも役に立ったでしょ」
迷惑そうな間柴さんをにこにこ見つめていると優しそうなおじさんの視線を感じてそのままの顔で挨拶する。背後から善のオーラが出てるこのおじさんがもしかして間柴さんのお父さん?似て無さすぎる。間柴さんやっぱり面白い。
「こんにちは!もしかして了さんのお父さんですか?」
「ハハハ、こんにちは。私は了の知り合いでね。水谷と言います」
「…オレの保護司だよ」
「保護司さんっ。すごい!通りで優しそうな方だと思いました!」
じとぉっとした間柴さんの視線を感じつつ水谷さんと自己紹介がてらお話しする。彼女がいたなんて知らなかったと言うので間柴さんに否定される前にまだナンパ中だと言うと水谷さんが声をあげて笑った。
「いやあ。了の魅力に気が付いてくれる子がいて嬉しい限りだ。どうかめげずにアタックしてくれ。応援しているよ」
「本当ですか!?頑張りますね!」
「当人外して話進めてんじゃねえよ。大体保護司が何なのか分かってオレに絡んでんのか?」
「分かってますよ。更生を手伝ってくれる人でしょう。間柴さん、すごく絡まれやすそうなお顔してるもんね」
ケッなんて毒を吐いているが水谷さんの優しいオーラで毒が霞んでしまっている。絡んでる自覚も歓迎されてない自覚もありますとも。辞める気はないけどね。
「これからウチでちょっと了と話をしようと思っててね。成瀬さんも良ければどうだい?」
「ああ!?ふざけんじゃねえ!なんでこいつと」
「ええっすごく行きたいです!あ、でもこれからバイトで…また呼んでくださいますか…?」
青筋を立てている間柴さんと慣れた様子の水谷さん。どんなお話をするのかすごく気になるけどバイトをサボる訳にもいかない。しょぼくれていると次も声をかけると約束してくださったので社交辞令だとしても飛び上がってしまう。そのままの気持ちで間柴さんを見ると嫌そうな顔で目を逸らされた。まずは目を合わせてもらうところから始めないといけないかもしれない。
「間柴さん、連絡待ってますね」
「しねえ」
「ワンコールで出ますよ」
「しねえ」
あまりの速度の拒否につい唇の先に力が入る。そうだった。目を合わせてもらう所から、だ。視線の先に顔を寄せるとギロリと鈍い眼光を見舞われる。これじゃない。せめて水谷さんに向けているような、自分を害さないと知っている者に向ける視線。まずはそれを目標にしよう。
「ふふ、じゃあ見つけたらまた声かけちゃお」
「うぜえ」
こらと窘める水谷さんにはちゃんと言葉を返すのに私には単語。話す事は何もないと言われてるみたいで落ち込みかけて持ち直す。スタートラインにすら立ってないのに、落ち込むのは早過ぎる。
「いいんですよ、水谷さん。私の前向きさをじっくりお見舞いする予定ですから」
「ふん。能天気なのは結構だかな、好奇心で首を突っ込むといつか痛い目見るぜ」
「…私、そんな考え無しに見えるんですね…反省します。アドバイスをありがとうございます、間柴さん」
ニヒルに笑う間柴さんに負けないぴっかぴかの笑顔で答えるとめちゃくちゃ怖い顔で背を向けて歩き出してしまった。彼を引き止めようとする水谷さんを止めて胸の前で拳を握る。「大丈夫です。いつか絶対笑わせて見せますから!」応援してください。なんて意気込む私に驚いた顔をした後、笑って頷いてくれた水谷さんはやっぱり良い人だ。小さくなりつつある背中に気が付いて走り寄る水谷さんに、少しだけ間柴さんの速度が落ちた気がした。いいなあ。
「またね!間柴さん!水谷さん!」
手を振る私に振り返って手を振りかえしてくれるのは水谷さんだけだ。その笑顔に元気をもらって私も歩き出す。よし、頑張ろう!
────なんて意気込んだものの、そうそう街中で出会うなんて偶然が何度もあるはずなく。暫く喧嘩を覗き見る変人な野次馬女になりつつあった。お陰で怖い知り合いだけが増えている。解せぬ。ため息を吐き出すと目の先で長い靴のつま先が止まった。
「おう。元気ねえじゃんか。悩み事か?」
「え?あなたは…」
「おい」
いつか絆創膏を貼ってあげた事のある怖い人だ、と思う前に背後から肩を掴まれ引き寄せられた。暗い瞳を隠す長い前髪が揺れる。うそ、顔近いっ!まつ毛まで見える!長い!顔こわい!かっこいい!
「こいつに何の用だ」
「間柴さんっ」
やばいと思った時にはもう遅い。会えた事が嬉しくて呼んだ名前の後ろにハートを付けてしまった。絆創膏のお兄さんがすごく驚いてる。私を無視してお兄さんを睨む間柴さんを一瞥して「…ンでもねえよ」と去っていった。
私が話しかけても間柴さんは全部無視。お兄さんの足音が聞こえなくなるとあっさり私から手を離して歩いて行ってしまう。今更それでめげる私ではない。構わず後をついて顔を覗き込んだ。
「もしかして、心配してくれたんですか?」
「………」
「助けてくれたんですか?」
「………」
ムッとした口をして聞こえないふりをしている。そうやってやり過ごせば諦めると思っているらしい。折角会えたのにおいそれと帰ってたまるものですか。私の前でポケットに突っ込んで歩くなんて、腕を組んでって言ってるようなものじゃない。
「お礼にお茶ご馳走させてください」
「っ、腕組むんじゃねえ!」
「ね、喫茶店。いきましょっ」
シャ!と凄まれるとなんだか人慣れしてないボス猫みたいだ。…凶悪さは比べようがないけど。肩を上げて私を遠ざけようとするので腕にしがみつく。これ以上腕を上げられると間柴さんの肘が鳩尾に刺さって、私はきっと痛い思いをする。途中でそれに気が付いたのか物凄く不服そうに抵抗をやめてくれた。
「デートだデートっ」
「…一杯だけだ。飲んだら直ぐ帰るからな」
「やったあ」
間柴さんの気が変わらないうちにさっさと喫茶店に入ってしまう。折角のデートを邪魔されたく無いので出来るだけ人が居なくて人目に付かなそうな席を選んで座った。メニューも見ずにコーヒーを頼むので、らしくて笑ってしまった。
「声をかけてくれて、凄く嬉しかったです。ありがとうございます、間柴さん」
「通り道で騒がれちゃ邪魔になると思っただけだ」
顔見知りに声をかけられてただけだったけど、どうやら間柴さんは勘違いをしているみたいだ。絆創膏のお兄さんを心の中で拝み倒しておく。店員さんがこちらをチラチラ気にしているのでいつもよりも笑顔に意識を向けた。此方には勘違いされては困る。間柴さんの中では違っても私の中では立派な初デートだ。
「で、何が目的だ?」
「え?」
「ナンパだ何だと言ってはいるが、何か目的があるんだろうが。聞いてやるから言ってみな」
間柴さんが言っている意味がいまいち飲み込めずに首を傾げる。最初はそう言うつもりで声をかけた訳では無いけど、今ではもうほぼ下心で接している。そんな気持ちを吐き出せって事では無いと言う事は分かるけど、間柴さんの意図が読めない。
「付き合いたい」
「それはもう良いって言ってんだよ」
「彼氏になって欲しい」
「良い加減にしろ。誰に言われてオレを狙う?脅されてんのか?」
「おどす?……ハッ!美人局だと思われてる!?」
答え合わせと共に頭に衝撃が走った。目の前がチカチカする程の衝撃に脱力する。相手にされて居ないのは分かってたけどまさか本気にもされてないとは思っていなかった。
「あ?…まさかオマエ…」
「そ、それは酷いです…あんまりです…」
あまりにしょぼくれて背後に湿気を纏っている私を見て間柴さんが退いている。コーヒーを運んできてくれた店員さんにお礼を言うと心配されたので緩い顔を向けながらデートだと強調しながら下がって貰う。いけない。邪魔が入る所だった。
「誰にも何もいわれてませんし、ナンパも本当だし付き合いたいのも本当です。私は純粋に貴方の恋人になりたくて声をかけたんです!」
何重にも気合を入れて伝える。力を込め過ぎて間柴さんが仰け反っている。少しくらい気を持ってくれてたら良いと思ってたけど甘過ぎた。そもそも間柴さんに何にも伝わってなかったなんて。鈍感なのか捻くれているのか…ちゃんと気持ちを伝えてなかった私も私だけど…!
「何も知らねえ癖して寝惚けたことを」
「だから口説いてるんです」
「ああ?」
「私は間柴さんの事を知ろうとしているからいくらでも好きになれるけど、間柴さんは私に興味がないでしょう?だから口説いてるんです。貴方を知りたいし、私を知って欲しいから」
間柴さんは席を大きく使って座り直すとコーヒーを手に口の端をあげた。わ、笑ってる…けど違う。クックックだなんて悪魔の声が聞こえてきそうだし、なんだか背後に冷気を背負ってるまである。好感度がある程度ないと逃げ出してしまいそうな笑みだけど、でも笑ってる。空白が一つずつ埋まって行くのはいつだって嬉しい。…ちょっと怖いけど
「オレを知りたい、ね…ペラペラ動くその口が凍りつくのが楽しみだぜ」
「っ!」
息が止まった気がして胸を抑える。じわじわ燃えるような熱が広がって行く。それってつまり知る事を許してくれるって事、だろうか。間柴さんがそのつもりで言っているのかは分からないけど、私の気持ちが嘘じゃないって伝わった?間柴さんらしい言い回しに胸の奥がむずむずして力が抜けてしまう。
「……もっと好きになっちゃった」
「あ?」
「またデートしましょうね」
赤い顔を隠すのも忘れて嬉しいままにこにこするとコーヒーを啜る間柴さんに鼻で笑われる。ボーッとしている暇はない。コーヒーを飲み始めたって事はもう帰るって事だ。お許しを頂いたのだから質問攻めにしても怒られないはずだ
「間柴さん、歳はいくつですか?」
「17」
「え、一つしか違わない…!?お誕生日はいつですか!」
「6月30日」
「過ぎてる…!お祝いしたかったなあ」
貫禄が違い過ぎる。間柴さん高校生なんだ。制服姿めちゃくちゃ見たい。学ラン姿の間柴さんを想像して小さく笑う。
「歳と誕生日だけで良いのか?もう帰るぜ」
「え!?もう飲み終わったんですか!?早い!れ、連絡先!連絡先知りたいです!!」
「残念だな。飲んだら直ぐ帰るって言っただろ、ご馳走さん」
「あああ私のばかっ」
名残惜しさなんて微塵も感じさせない後ろ姿に「絶対また声かけますね!」と投げるとチラリと此方を見て鼻で笑ってお店を出て行ってしまった。窓の近くに張り付いて間柴さんに手を振ると綺麗に無視される。んんん、クール過ぎて風邪ひきそうだ。でもちょっとだけ近づいた距離にガッツポーズをせずにはいられない。ご褒美にパフェを食べても良い事にしよう。目の前の空のコーヒーカップを見て勝手に上がって行く頬を抑える。初デートは大成功?だ。
誤解が解けたからか、それから間柴さんの態度は軟化した…気がする。見つけて駆け寄ると「お前か」と声をかけてくれるようになったし、なんと立ち止まって待ってくれる時だってある。初めの頃からの態度を思えばもう急接近したと言っても過言ではない。会える日は多くないけど毎日が楽しくて飛び上がりそうだ。
バイトの帰り道、外を出歩く時はレーダーを張り巡らせている私は耳聡く好きな声を聞き取った。構ってる暇はねえとかそこを退けとか落ち着いた低い声、間柴さんの声だ。間一髪入れずに響く鈍い音に慌てて音を頼りに探すと無抵抗の間柴さんが仁王立のまま殴られていた。
逆上した男の人は角材を持って振りかぶってる。私が声を上げても誰も見向きもしない。そこからはあっという間だった。間柴さんの頭を角材が揺らすとスイッチが入ったみたいに男たちを蹂躙して行った。何度も振り上がる腕に許しを乞う声。こんなの放っておいたらだめだ。全てが終わった後、きっと間柴さんはあの日と同じ後悔と嫌悪の混じった顔をしてしまう。あまりの形相に竦む足を無理矢理動かして駆け寄った。
「ま、間柴さん!」
引き摺るようにして男を掴んでいる腕に触れて目の前に飛び出る。暗い瞳と目が合うと背筋が震えた。振り上げられた拳は止まっているけど間柴さんは戻ってきていなかった。止まった間柴さんを見て男たちが逃げようともがいている。それをチラリと見やったので慌ててもう一度名前を呼ぶとようやく男の人から手を離してくれた。ちくしょう、化け物めなんて聞こえる汚い捨て台詞を無視して欲しくて間柴さんに抱き付く。不安でどうにかなりそうだ。
「…お前か」
「ま、ましばさっ…ましばさん…!血、すごい怪我…!」
滲む視界を掻き分けて間柴さんの顔を見上げると、周りを見渡して何かを確認している様だった。顎先から落ちた血が私の頬に伝って情けない声が出る。震える手でハンカチを探して間柴さんの顔から血を拭った。だめだ、傷口を抑えなきゃ血が止まらない
「泣く程怖えなら近づくんじゃねえよ」
「こ、怖かったけどっ!だって!間柴さんいっぱい血がでてっ!しゃ、しゃがんでくださいっ血を止めなきゃ!」
少しの間の後何も言わずしゃがんでくれた間柴さんの髪の毛を掻き分けてハンカチを押し当てる。視線を感じて目を合わせると袖で頬を拭われて驚いた。その裾は血と涙に汚れていて、やり切れなくて涙腺が崩壊した。傷口を抑える手はそのままに縋り付くようにして間柴さんの頭を抱き込んだ。
「…汚れるぞ」
「い、いいのっ…う、うぇ…っ」
暫く好きにさせてくれたけど大きなため息と共に離すよう催促されて渋々腕を緩めた。血は止まったようだが痛々しい傷がまた涙を誘う。ぴーぴー泣く私の手を取ると怪我なんて感じさせないくらいしっかりと立ち上がって今度は手をじっと見つめた。何を思ったか胸ポケットのボールペンを攫って私の掌に文字を書き始める。
「く、くすぐったい」
「オレがああなってる時は近寄るんじゃねえ。約束できるなら番号教えてやる」
「か、哀しそうな間柴さんをほっとけって言うんですかっ。無理です〜っ!」
「じゃあ消す」
「消さないでーーー!」
精一杯手を逃がそうとしてもあっという間に捕まってボールペンでくすぐられた辺りを親指が擦っていく。メソメソしながら力なく駄々をこねるとまたボールペンが掌をくすぐった。
「守れなかったら二度と口聞かねえ」
「ぴえ…」
ひ、酷い…気落ちしたところに「分かったな」と念を押された勢いで頷くとパッと手を離されボールペンも元の位置に戻ってきた。ぐりぐりとまた頬を拭われ情けない声が出る。ぎゅっと目を瞑ると間柴さんの裾に模様を作ってしまって舌打ちされた。優しいのに酷い。
「このくらいの怪我なんていつもの事なんだよ。もう治ったから泣きやめ」
「な、治ってない…!ちゃんと病院行ってくださいっ」
これ優しいんじゃなくて子供扱い…世話を焼かれている…!もがく私を無視してあらかた拭き終えると一人で帰れるか確認された。優しさが嬉しいのに女の子扱いじゃなくて子供扱いされてるのが分かる触れ方なので複雑だ。帰れると答えてしまったら呆気なく背中を向けると分かって気落ちしながら頷く。
間柴さんが私の血まみれのワイシャツを睨んでいるのでカバンを抱いて帰ると言うと本当に呆気なく背中を向けてしまった。送って行くのはありか聞いたらもちろんなしだと返ってくる。寂しくて間柴さんが書いてくれた掌を見ると所々二重に数字が重なっていて凄く読み難くなっていた。何でもいい。声が聞きたい
「あわ、ま、待って間柴さんっ!これ1ですか!?7ですか!?」
「7」
「連絡しますね!怪我、ちゃんと治療してくださいね!」
手を挙げるでもなく返事するでもなくいつもと同じように去って行く後ろ姿を見送る。間柴さんが"ああなってる時"って言っていた。変な言い回しだ。自分では止められないって事だろうか。もしかしてそれが原因で、とまで考えてやめた。そんな事よりこれからの事を考えるべきだ。間柴さんの背中が見えなくなってから帰路につく。
よし、帰ったら電話してみよう!道の端にしゃがみ込んで掌の文字が消えてしまう前にカバンから手帳を取り出して書き写した。手、洗うの勿体無いな…。カバンを抱き締めて間柴さんが書いた数字を見つめながらため息をつく。さっきの出来事が上手く消化出来なくて動くのが億劫だ。偶然通りかかった友人に声をかけられるまで暫くそこから動くことが出来なかった。
─────
受話器を上げて降ろしてを繰り返して数分。深呼吸してようやくボタンを押していく。呼び出し音が鳴っている間も手帳と電話機に書いてある数字を何度も見直した。音が止んで女の人の声が苗字を名乗ってくれたので間柴さんが本当の番号を教えてくれていた事に感動してしまった。少しだけ鼻の奥がつんとする
「あ…あの、了さんいらっしゃいますか?」
意を決して口を開くと心底驚いた声色で間柴さんの母だと名乗り、そのまま根掘り葉掘り色んなことを聞かれた。不安気な声色なので安心させたくて話しすぎてしまった気がしなくはないが間柴さんの外での様子を物凄く気になさっているようだ。やっと声色が明るくなったのは付き合っているのかと聞かれた時の返答だった。
「あ、あの、いや…そ、そうなれたら良いなと思っているのは私だけで…ああっちが、ごっ、ご本人には言わないでくださいっ!」
「あらあらあらっ!まぁそうなの?野暮な事を聞いちゃったわっ。長々とごめんなさいね、了を呼んでくるからちょっと待っててね」
今言わなくていい事まで言ってしまった気がする…受話器を持ちながら項垂れると遠くから間柴さんママが間柴さんを呼んでいる声がする。私の名前を呼んで彼女かどうか楽しげに聞く声と吐き出すように否定する大好きな声が聞こえた。
「なんの用だ」
「私は彼女と紹介いただく準備はできています!」
「切るぞ」
「やだー!怪我の具合!いかがですか!」
冷たい返答に泣きながら会話を繋ぐ。緊張を逃がすのに受話器に繋がるくるくるのコードを更にくるくるしながら齷齪した。
「治ったって言っただろうが」
「そんなあ…心配で…怖いんです」
「……それ以外用がねえなら切るぜ」
「あ、うぅ…声が…聞きたくて」
表情が見えないといつもの素っ気ない声に勝手に傷付いてしまう。迷惑だったかも、と落ち込んで謝ると長いため息が聞こえた。
「…お袋に余計な事言ってねえだろうな」
「え、と…外で間柴さんがどうしてるか聞かれたので、私の分かる範囲でいつものかっこいい間柴さんの事をお話ししました」
「……切る」
「あああ!学校も違うしお茶を少しした程度なのでとお話ししましたっ!」
本当に切られかねないので慌てるとなんで最初からそう言わないんだと怒られる。だって間柴さん、いちいち言葉にしないと信じてくれなさそうだもん。とは言わずに素直に謝った。
「あの、また明日もこのくらいの時間に電話しても良いですか…?」
「月一」
「週一!」
「年一」
「のびた!…え?一年後もそばにいていいって事ですか!」
「切る」
「いやー!控えます!連絡控えますから!」
間柴さんが話題を作ってくれた事が嬉しくてつい、にへっと笑みが溢れる。いつまでも声を聞いていたいけど、本当に電話に出てくれなくなったら困るのでこの辺にしておこう
「あの、…声聞けて嬉しかったです。ありがとうございます、間柴さん」
「ああ」
「身体、お大事になさってくださいね。…おやすみなさい」
電話が切れる音を聞いて名残惜しさごと思いっきり息を吸い込んだ。耳元で聞く間柴さんの掠れた声、破壊力がすごい。明日もしていいか、なんて聞いちゃったけど断られて良かったかも。これはちょっとご褒美が過ぎる。やっとの思いで受話器を置いて力なくへたり込んだ。
それから事あるごとに同じ番号から何度も電話がかかってくる事になるなんて今は知る由もなく。今はただ余韻を噛み締めてはため息に変えるのを繰り返した。
──────
今日はバイトも休みだし、宿題も学校で済ませてしまったので久しぶりの暇な放課後だ。だけどそう言う時に限って友人はデートだったり家の手伝いだったり塾だったりで予定が合わない不条理を味わう。仕方ないので寄り道して帰ろうと道を一本変えて散策する事にした。
時折通り過ぎる知り合いに手を振りながら暫く歩くとブレザーの制服にセーラー服が混ざって別の高校が近い事を悟る。そっか、この辺って…人が不自然に歩くのを目の端で捉えて何となく視線を向けると周りの人から物凄く避けられている学ラン姿の男の人が歩いていた。臆する事なく真っ直ぐ歩く後ろ姿。あれはもうまさに…!
「は、わっ!まっ間柴さん…!?」
「ああ?…おう。今日もストーカーかよ。精が出るな」
「すとっ!?生活圏が重なっていると言ってください!そ、そうじゃなくて!」
そわそわしている私を流石に不思議に思ったのか立ち止まって待っていてくれる間柴さんに飛び付くように駆け寄る。腕を引いて上から下まで満遍なく眺めてから新人類を見るような視線を向けてくる間柴さんにやっとの事で応える。
「が、学ラン着てる!」
「…17だって言ってあっただろうが」
「わ、わあ!わあ!ねっ写真!写真撮ってください!」
カバンから使い捨てカメラを出すのを嫌そうに見詰められるがお構い無しに詰め寄った。逃げられるのが分かっているので腕は絶対に離さない。うんとかすんとか言う前にさっさとツーショットを撮ってしまおうとフィルムを巻いては撮るのを3回程繰り返すと流石に低い声で唸られ思わず首を引っ込める。
「だ、だってうまく撮れてるか分からないから…」
「金取るぞ」
「え!お金を払ったら撮ってくれるんですか!?」
「…てめえの頭ン中はどうなってんだ」
「今は間柴さんでいっぱいっ」
ハートをつけて喋るとげっそりした顔になる。その顔も閉まっておこうとシャッターを切ると追えない速さでカメラを奪われて高い所へ逃げられた。フィルムを巻く音が聞こえるので腹いせにフィルムを使い切るつもりかも知れない。買ったばかりのカメラなのに!
「あーっ私の宝物が!」
間柴さんの肩を借りて背伸びをするけど全然足らない。間柴さん手が長過ぎる!腕をぴんと伸ばされただけでもう届かない。制服の裾を引っ張ろうとしたらカシャリと音がして、レンズがこちらを向いている事に気がついた。
「うそ、絶対私今凄い顔してた…」
「大事にしろよ、宝物なんだろ」
「んわ…変な顔のツーショット…うれし…ふ、複雑」
返して貰ったカメラを見つめて酷い顔をした自分の写真を思って苦い顔をする。間柴さんが綺麗に写ってたら私だけ切り取っちゃえば良いんだ。よし、気持ちを持ち直した。腕を離すと直ぐ去ってしまう間柴さんはもう歩き始めてる。カメラをカバンに納めてから背中を追いかけた。
「ね、ねっ間柴さんっ!制服デート!これから制服デートしませんか!」
「しねえ」
「し、しねえっ!?あ、あう…ざんねん…」
しょぼくれながらお茶できないか聞くと即答で振られてしまう。ガードが硬すぎる。揶揄ってくれるようになったけど態度は変わらない。そしてさっきから物凄く視線を感じる。すれ違う学生たちが凄い目で戦々恐々と去って行く。
「ねえ間柴さん、もしかして間柴さんって実は物凄く怖がられてるんですか?」
「…てめえくらいだろうよ。オレに物怖じせず寄ってくるのも、喧嘩に突っ込んでくる物好きも」
「んー、それは恋の成せる技ですかね」
他の人じゃ無理でしたよ、と眉を下げると下手物喰いかよ吐き捨てられる。酷い物言いにむっと唇を突き出すとハッと鼻で笑われてしまった。
「オレは今更褒められた生き方なんか出来やしねえし、呑気に隣歩いてるとその内恥かくぜ」
「む、本当ですか?照れると言う意味での恥ならもうちょっと足りないので腕組んでみても良いですか?」
「ってめえ、そのナリで人の話聞かねえ質かよっ」
是非も聞かずに腕の隙間に手を捩じ込んで得意げに息を吐くと文句は一度だけ肘でお腹を打たれるだけに終わった。それも少し体が押されたと言って良いくらい弱いものでたまらず笑い声が漏れる。舌打ちを返されてもくすぐったいくらいだ
「じろじろ見るだけで声も掛けられない人達の何を気にしろって言うんですか。そんな事に使う時間があるなら私は間柴さんに少しでもくっ付いてたいですよ」
「…おまえ、男に苦労した事ねえだろ」
「ええっ間柴さんが初めての恋です!…うーん。苦労はわかりませんが、怖い目ならあった事ありますよ」
懐疑的な目で言えるものなら言ってみろ、みたいな顔をされる。小さい頃の出来事だからもうあんまり覚えていないがそれから家族が物凄く過保護になったのだ。当時の事を思い出しながら特に傷になる事なく終わったのだけど、と続けた
「誘拐された事があります。俺の娘に似てるって」
「なに?」
「でも不思議な事に、その男の人結婚歴なくて…子供もいたこと無かったんですって」
歩いていた足が止まって首を傾げる。顔を見上げるとぎょっとしてる間柴さんがいて笑ってしまった。閉じ込めるんじゃなく変わらず外に出す事を選んでくれた家族に感謝しつつ、家族の過保護さと知り合いを意識的に多く作るようにして目撃情報を増やすのを意識してる事を明るい口調で話す。
「ちょっと大変ですけど知り合いが多いのも楽しいし、悪い事ばかりじゃないんですよ」
「それなのにオレに声を掛ける意味が分からねえな」
「びびっときてしまったんですねえこれが」
私が間柴さんと腕を組んでいるのを見てこれまたぎょっとした顔で立ち止まった知り合いに笑顔で手を振りながら間柴さんと話すと恐々とこちらの様子を伺ったままだがぎこちなく手を振りかえして横を通りすぎていった。それを見て間柴さんが肩をすくめる。
「娘がこう呑気だと親の気苦労に同情するぜ」
「前向きなところが私の長所ですっ」
やれやれと首を振って歩き出す間柴さんに着いて腕を組み直す。間柴さんの事も知りたくて質問を考えた所で背中がひやりとした。ナンパ云々よりまず一番初めに聞いとかなきゃいけない事を聞いていなかった。急に慌て出したせいか何事かと視線を向けてくれる。
「私、大事なこと聞いてませんでしたっ……間柴さん、彼女いたりしますか!?」
「…居たらどうだってんだ」
「うそっ…ま、間柴さんをどれくらい好きか…け、決闘を…申し込むしか…ない…」
しょもっと影を背負った私に「お前みたいな物好きがそう何人もいてたまるか」と固まりかけた私の腕を軽く振るので催促されるまま足を進める。間柴さんの言い回しに首を傾げて頭の中で反復させた。私みたいな物好き。物好きかはともかく、つまり彼女もアプローチしてくる女性も私以外いない…!?そりゃあ見た目も雰囲気も怖いけどそれ程荒くれてないしお顔も整っているのに…?このかっこよさがまだ誰にも見つかってないのならライバルはいないに越した事がない。私ってば良いタイミングで声をかけたのかも
「もしかして「で、
いつまでそうしてるつもりだ」
私の気持ちを認めてくれているのか聞こうとしたら無理矢理遮られた。気にせず時間と間柴さんが許す限り。と腕を抱くとどっちも許した覚えはねえと返される。それでも無理には引き剥がそうとしないので私がつけ上がるんだ。間柴さんは分かってるんだろうか。
「この後ご予定があるんですか?」
「家に帰る」
「じゃあ一緒に「やだね」
「即答すぎる」
「家を知ったら押しかけてくるだろうが」
「いくら私でもそこまでしませんっ!張ったりもしませんっ!想い馳せるだけ!」
「うそつけ」
あまりの言い草に顔がくしゃくしゃになる。その顔を目撃されて笑われてしまった。今日はなんだか私の可愛くない顔見られすぎてる気がする…でもそう言う私を見ると間柴さん、笑ってくれるんだよね。嘲笑って言われたらそんな気もするけどやっぱり好きな人が笑ってくれるの嬉しい。距離が縮まった気がする。それならそろそろデートの約束もしてくれないかな
「聞いて良いですか」
「なんだ」
「夏休み…予定空いてますか」
「全部埋まってる」
「私で!?」
「離せ」
「うわーん!だって遊びたい!デートしたい!」
海にプールに祭に花火、夏のイベントを並び立てても全部無慈悲に断られる。なんでくっ付いて歩くのは良いのにデートはダメなの!?
「鉄壁すぎる…!」
「ふん、やっと諦める気になったか?」
「俄然燃えてきましたっ!文通とかしますか!?」
「生憎オレは火遊びは趣味じゃないんでね」
「焚べる前に読んでくださいっ」
間柴さん、諦める気になったかって言った。距離が縮まったと思ったけどそうじゃないのかも…私が引っ付いてても引っ付いてなくてもどうでも良くて、引っ付いてるのが私じゃなくても態度は変わらない…?あ、ダメだ!間柴さんの思う壺にハマる所だった!ちゃんとフらない間柴さんが悪いんだから。それまでは諦めない。無表情のお顔をじっと見上げて、視線が合うとつい頬が緩む。あ、眉間に皺が寄った。
「じゃあ夏休み中、1日だけ…夜に電話していいですか?」
「………」
「またおやすみなさいって言いたいです」
「…勝手にしろ」
「やった!」
「出るとは言ってねえぜ」
「そんなっ良いんですかっ!お母様と私、仲良くなっちゃいますよ!」
「絶対やめろ」
やった!年一って言われてからどうしようかと思ってたら随分早くに二度目が来そうだ。浮かれた勢いで腕に擦り寄ると間柴さんの肩が揺れた。もう一度お顔が見たくて覗き込んだらそっぽを向いてしまうので仕方なく耳を見つめる。間柴さん、癖っ毛の猫っ毛だ。髪に触れた感触を思い出してきゅんとする。うう、かわいいっ
「おら、もう離れろ」
「はい、制服デートしてくれてありがとうございました」
「してねえっ」
この声色は本当のやつだ。名残惜しいけど引き際は間違えない。手を離すとやっぱり呆気なく去ってしまう背中を見送ると様子を伺っていたのか友人が駆け寄ってきた。心配を押し退けてナンパしてる事を話すとなんだかめちゃくちゃ怒られる。流石の間柴さんも興奮する友人が気になったのかこちらを振り返ってくれたのでここぞとばかりに笑顔で手を振ると嫌そうな顔をして今度こそ去っていってしまった。
「おかげでこっち振り返ってくれたよ!ありがとう!」
「そうじゃない!そうじゃないったら!」
悪い人じゃないと力説しても不良の中でも特に有名だとか警察も目をつけてるとか知ってる情報ばかり捲し立てるので折角なら私が知らない事教えてって言ったらなんでかまた怒られた。
─────
そして迎えた夏休み。旅行に行った友人に代わりを頼まれて入ったファミレスのバイトでウェイトレスをしているとよく知った二人組が入店してきた。反射的に飛び出していこうとすると店長に止められて今日はもう帰っていいだなんて言われてしまい、他の子が二人を席に案内するのをじとっと目で追う。
店長に彼らとお話しがしたい事情を話すと驚かれたけど樹ちゃんの弟もやんちゃだもんね、と話題を変えられ苦笑いされて少しムキになる。弟はパパ似なのでちょっと強面だけど笑うとかわいいしとても優しくて良い子だし、彼も素敵な人だと力説する。なんだか既視感があるな
「あはは、分かったよ。じゃあ注文を取ってきて貰おうかな。そしたら上がっていいよ」
「やった、いってきますねっ」
呼び出しのベルがなったので焦る気持ちを抑えて席まで辿り着く。メニュー表から顔を上げた水谷さんが私を見て固まると虚空を見つめていた間柴さんも顔を上げた。
「ご注文をお伺いします」
「おい、店出るぞ」
「なんでーっ!?」
「こらこら了」
席を立とうとした間柴さんを水谷さんが窘めると舌打ちをして荒っぽく椅子に座り直す。久しぶりに会えた嬉しさで意地悪されても嬉しい。機嫌を良くした私を見てケッと悪態を吐いた。さすが様になる。
「久しぶりだなあ。成瀬さん、ここでバイトしていたのか」
「短期の助っ人なんです。お二人の注文取ったら今日はもうおしまいですよ」
「なら一緒に食事はどうかな、もちろん私の奢りだ」
「え!良いんですかっ!」
「だめだ」
「あはは、いいぞ。好きな物を頼みなさい」
この時ばかりは間柴さんを受け流させて貰って、やったあ!と大袈裟に声色明るく喜ぶ。多数決により間柴さんの負けなのでここは諦めてもらいます。店長を振り返ると手で丸を作ってくれた。これだから優しい大人って大好きだ。注文をとって私の分も頼ませてもらう。
「じゃあ着替えてきますね」
「ああ。待っているよ」
注文票を店長に渡して電話をかしてもらう。家に夕飯がいらない旨を伝えて急いで着替えを済ませた。水谷さん、間柴さんと仲良しなんだなあ。水谷さんの言うことはなんだかんだ聞いているみたいだし、ツンとしながらも他とは違う雰囲気を感じる。
荷物を持って店長とバイトの子に挨拶をして足取り軽く二人の元へ向かうと間柴さんと目が合ったのにため息と一緒に目を逸らされて胸がぎゅんとした。本当に猫みたいな人だなあ
水谷さんに断って隣に座ると快く迎えてくれたけど不思議そうに了の隣じゃなくていいのか?と聞かれる。隣も捨て難いけど久しぶりにあったのでその分よーくお顔を見ておきたいのだ。そう伝えると水谷さんは楽しそうに笑ってくれた。
「お話しする日だったんですか?」
「いいや、偶然会ってね。夕飯でもと誘ったんだ」
「いいなあ。私も誘われて貰えるように頑張りますっ」
うんうんと何度も頷いて応援してくれる水谷さんに気をよくしてつい現状報告してしまいそうになる。とはいえ独り占めできるようなことも少ないのであんまり話せる事もないんだけど…と考えて私の宝物の存在を思い出した
「あ、そうだ。この前の写真、現像したんですよっ」
私と間柴さんの制服姿の写真を鞄から出すと水谷さんが興味深そうに覗き込んできた。
「了が写真を?」
「勝手にカシャカシャ撮りやがったんだ。オレは撮っていいなんて一言も言ってねえ」
「だってすごくかっこよくて…ごめんなさい」
私がアップでピンボケしていて間柴さんにピントが合っている写真、それよりちょっとマシな写真が数枚、迷惑そうな顔をした間柴さんの写真、そして間柴さんが撮ってくれた私の顔が微妙な感じの、でも間柴さんが一番よく撮れてる写真を一つずつ机に並べて行く。私のイチオシはもちろん間柴さんのかっこよさが全面に現れてる写真だけど、私の口は半開きだし情けない顔をしているので本当に惜しい写真だ。
「これ、貰っていいかな」
「え?もちろん構いませんけど、私と写ってる写真でいいんですか?」
私が撮ったにこにこの私と無表情の間柴さんの写真を見ながら、「だからいいんだ」と同じ様ににこにこする水谷さんを見て嬉しくなっていると良ければ連絡先を知りたいと言われてノリノリでボールペンを取り出した。写真の裏に水谷さんへ、と続けて名前と番号を書いて大好きな間柴さんと!とハートで締める。楽しそうに受け取ってくれた。
そんな事をしている間に間柴さんが横から写真を攫って行った。間柴さんが撮ったやつ。肩に手を置いてるし間柴さんとの距離が近くて仲良しに見えるから凄く好きな写真だけど私の顔が情けないのできっとそれを見て鼻で笑った。そしてあろう事か自分の鞄にしまったので慌てて待ったをかけるとオレが撮ったんだと言われてしまい頷かざるを得ない。
「文句あるならネガごと潰す」
「うう、私の宝物を皆さんと共有できて嬉しいです…」
「よかったな」
無表情のよかったなって初めて聞いた。しょもっとしてる私と間柴さんを見比べて水谷さんが頷いてる。よく分からないけど輪に入れたみたいで嬉しくてほっぺたが熱くなる。緩む顔をそのままにしてると間柴さんからじっと見られてるけど多分また抜けてる顔してるなって思われてるんだろうな。
こう言う時、決まって捨て台詞を吐いて満足気に威張って立ち去る者が常だから、なんとなく目を惹いた。勝ったのに、ちっとも嬉しそうじゃない。それどころか、後悔してるみたいに拳をギュッと握り締めていた。瞳がゆらゆら揺れて目が離せない。
それもサイレンが聞こえてくればそうともいかず、それでもじっとしている男の人に駆け寄った。何故そうしたか、なんてわからない。足が勝手に動いたんだから、足が悪い。
「おにーさん!逃げなくていいの?」
「…誰だテメエ」
「通りすがりのただの女子校生。成瀬樹。速く行こ!」
惨状を視界に入れないようにしながら袖を引っ張ると案外すんなりと動いてくれて安心する。こっちは早足なのに男の人は普通に歩いている。背がでかい。顔を見上げると興味無さそうに道路を見つめていた。変な人。
「喧嘩に勝ったのにそんな顔する人初めて見た」
「…………」
「淋しそうな顔してる」
「ああ?」
もっぺん言ってみろバカ女!って顔で凄まれて漂ってた哀愁が綺麗さっぱり無くなった。それが面白くて笑うと、今度は頭おかしいバカ女!って顔をして口がへの字に曲がる。怒と哀の間なら表情豊かな人なのかも。
「お陰でこんな怖い顔の人に声かけちゃった」
「ならほっとけよ。オレに関わると碌な事ねえぜ」
「もう遅いんだな、これが」
振り解かれそうになった裾を意地でも離してやるものかと掴み直して戦場から遠ざかる。悪態をついている割に力を行使してこないので、もしかしたら女には加減するタイプなのかもと邪推する。…変なの。気がついたら制服のポケットを弄って、授業中友達と交換して遊んだ手紙を取り出していた。
男の人から手を離すと私を通り過ぎて何も言わずに歩き出したのを視界の端に入れながら手紙の余白を破り取った。胸ポケットに刺しているボールペンで自分の名前と数字を書き連ねる。序でにハートも。
「おにーさんっ!お名前教えて!」
「やだね」
「もー!」
思っていたより小さくなっていた背中に走り寄ってまた袖を引く。ゆっくり歩いてるように見えるのに足速すぎ。
「教えてよ。このままお家まで着いてっちゃうよ」
「チッ……間柴」
「ましばさん?したのお名前は?」
「了」
口の中で名前を唱えると眉間にピクピク皺が寄ってめちゃくちゃ怖い。嫌なんだろうな。それなのに教えてくれるの、やっぱり変。名前を教えてくれたお礼を言ってさっき書いた紙切れを間柴さんの手のひらに押し付けた。
「もし今日のこと聞かれたら女と会ってたから知らないって言いなよ。お話し合わせます」
「いらねえよ。何の真似だ」
「んー…、ナンパ!」
話しかけて連絡先を押し付ける、うん。立派なナンパだ。ちょっと推しが強すぎたかもしれない。でも目を丸くしてる間柴さん、面白いからいいや。手を振って絶対連絡してね!なんて言いながら背を向けた。変な人ナンパしちゃった。むずむずする胸を抑えながら振り返ると間柴さんと目が合った。嬉しくて手を振ると嫌そうな顔をしてメモごとポケットに手を突っ込んで歩き出す。やった、捨てられなかった!それだけで満足して頬が緩んでしまう。
「あ、樹ー」
呼び止められて視線を向けると最近カップルになった友人達が手を繋いで手を振っていた。落ち着いた雰囲気の気だるげ美人と笑顔が穏やかな爽やかくん。二人でいる時の雰囲気が柔らかくてとってもお似合いで理想の恋人像だけど、とふんわり間柴さんと自分を想像してすぐに追い出した。この雰囲気は出せそうにない。面白すぎる。
「バイトの帰りー?」
「そー。二人は?デートしてきたの?」
「うん、映画観てきたの」
ね。なんていちゃつきながら答える二人を茶化しながら雑談する。そうか、映画ならいい目眩しになるかも。人通りもそうなかったし、戦場にいなかった事にしちゃえばいいんだ。
「二人とも、その映画のチケットまだ持ってたりする?」
「ああ。あるぞ」
「持ってるけど…どうしたの?」
「よければ貰えないかなって。アリバイ工作したくて」
ワルだねぇ。なんてくすくす笑いながらチケットを快くくれる二人を拝み倒す。気前のいい友人達と人徳に感謝をする。
「ありがとー!絶対迷惑かけないようにするから」
「いいよ、それくらい」
「じゃあ、俺らは飯行くからまた明日な」
「うん!本当にありがとう、またね!」
手を振って別れて手に入れたチケットを無くさないようにしまっておく。使わなければそれに越したことはないけど、念の為。話し合わせるって言ったもんね。
何の気無しに用意した不在証明は案外すぐに使う事となった。後日バイトへ向かう道すがら、間柴さんと優しそうなおじさんが警察二人に詰められてるのを発見して、運命を感じずにはいられない。いそいそと友人にもらったチケットを一枚、手の内に隠しながら走り寄った。
「りょーくんだ!やった!偶然会えた!」
馴れ馴れしく腕に縋り付いて甘えると不服そうにてめえ、と唸っている。警官の前だからか、振り解かれない。更にくっついて自分の体で隠しながら間柴さんのポケットにチケットを滑り込ませる。気付いてもらえるようにポケットの中をくすぐったら間柴さんがまた嫌そうな顔をした。面白い。
「…君は?」
「りょーくんの彼女です。…何かあったんですか?」
自信満々に答えた所為か、間柴さんはずっと黙ったままだ。警察官から話を聞けばやはり私が居合わせた戦場の話で、ボロボロの彼らが間柴さんの名前を出したから話をしていたらしい。速る心臓を無視しながら首を傾げる。
「え?でも学校が終わってからすぐ映画デートしてたから、りょーくんじゃないと思いますけど……あ、ほら!その日のチケット!」
私が持ってるチケットを出して警察官にみせる。りょーくんも持ってないの?と催促すればむすっとしながら私がくすぐったポケットから紙切れを出した。私のものと見比べてしばらく、警察官がため息をつく。いくつか注意をして警察官は去っていった。その背中に労いの言葉をかける。
「間柴さーん。連絡してって言ったじゃないですかっ。めちゃくちゃピンチだったじゃん!」
「うるせえな。頼んじゃいねえよ」
「でも役に立ったでしょ」
迷惑そうな間柴さんをにこにこ見つめていると優しそうなおじさんの視線を感じてそのままの顔で挨拶する。背後から善のオーラが出てるこのおじさんがもしかして間柴さんのお父さん?似て無さすぎる。間柴さんやっぱり面白い。
「こんにちは!もしかして了さんのお父さんですか?」
「ハハハ、こんにちは。私は了の知り合いでね。水谷と言います」
「…オレの保護司だよ」
「保護司さんっ。すごい!通りで優しそうな方だと思いました!」
じとぉっとした間柴さんの視線を感じつつ水谷さんと自己紹介がてらお話しする。彼女がいたなんて知らなかったと言うので間柴さんに否定される前にまだナンパ中だと言うと水谷さんが声をあげて笑った。
「いやあ。了の魅力に気が付いてくれる子がいて嬉しい限りだ。どうかめげずにアタックしてくれ。応援しているよ」
「本当ですか!?頑張りますね!」
「当人外して話進めてんじゃねえよ。大体保護司が何なのか分かってオレに絡んでんのか?」
「分かってますよ。更生を手伝ってくれる人でしょう。間柴さん、すごく絡まれやすそうなお顔してるもんね」
ケッなんて毒を吐いているが水谷さんの優しいオーラで毒が霞んでしまっている。絡んでる自覚も歓迎されてない自覚もありますとも。辞める気はないけどね。
「これからウチでちょっと了と話をしようと思っててね。成瀬さんも良ければどうだい?」
「ああ!?ふざけんじゃねえ!なんでこいつと」
「ええっすごく行きたいです!あ、でもこれからバイトで…また呼んでくださいますか…?」
青筋を立てている間柴さんと慣れた様子の水谷さん。どんなお話をするのかすごく気になるけどバイトをサボる訳にもいかない。しょぼくれていると次も声をかけると約束してくださったので社交辞令だとしても飛び上がってしまう。そのままの気持ちで間柴さんを見ると嫌そうな顔で目を逸らされた。まずは目を合わせてもらうところから始めないといけないかもしれない。
「間柴さん、連絡待ってますね」
「しねえ」
「ワンコールで出ますよ」
「しねえ」
あまりの速度の拒否につい唇の先に力が入る。そうだった。目を合わせてもらう所から、だ。視線の先に顔を寄せるとギロリと鈍い眼光を見舞われる。これじゃない。せめて水谷さんに向けているような、自分を害さないと知っている者に向ける視線。まずはそれを目標にしよう。
「ふふ、じゃあ見つけたらまた声かけちゃお」
「うぜえ」
こらと窘める水谷さんにはちゃんと言葉を返すのに私には単語。話す事は何もないと言われてるみたいで落ち込みかけて持ち直す。スタートラインにすら立ってないのに、落ち込むのは早過ぎる。
「いいんですよ、水谷さん。私の前向きさをじっくりお見舞いする予定ですから」
「ふん。能天気なのは結構だかな、好奇心で首を突っ込むといつか痛い目見るぜ」
「…私、そんな考え無しに見えるんですね…反省します。アドバイスをありがとうございます、間柴さん」
ニヒルに笑う間柴さんに負けないぴっかぴかの笑顔で答えるとめちゃくちゃ怖い顔で背を向けて歩き出してしまった。彼を引き止めようとする水谷さんを止めて胸の前で拳を握る。「大丈夫です。いつか絶対笑わせて見せますから!」応援してください。なんて意気込む私に驚いた顔をした後、笑って頷いてくれた水谷さんはやっぱり良い人だ。小さくなりつつある背中に気が付いて走り寄る水谷さんに、少しだけ間柴さんの速度が落ちた気がした。いいなあ。
「またね!間柴さん!水谷さん!」
手を振る私に振り返って手を振りかえしてくれるのは水谷さんだけだ。その笑顔に元気をもらって私も歩き出す。よし、頑張ろう!
────なんて意気込んだものの、そうそう街中で出会うなんて偶然が何度もあるはずなく。暫く喧嘩を覗き見る変人な野次馬女になりつつあった。お陰で怖い知り合いだけが増えている。解せぬ。ため息を吐き出すと目の先で長い靴のつま先が止まった。
「おう。元気ねえじゃんか。悩み事か?」
「え?あなたは…」
「おい」
いつか絆創膏を貼ってあげた事のある怖い人だ、と思う前に背後から肩を掴まれ引き寄せられた。暗い瞳を隠す長い前髪が揺れる。うそ、顔近いっ!まつ毛まで見える!長い!顔こわい!かっこいい!
「こいつに何の用だ」
「間柴さんっ」
やばいと思った時にはもう遅い。会えた事が嬉しくて呼んだ名前の後ろにハートを付けてしまった。絆創膏のお兄さんがすごく驚いてる。私を無視してお兄さんを睨む間柴さんを一瞥して「…ンでもねえよ」と去っていった。
私が話しかけても間柴さんは全部無視。お兄さんの足音が聞こえなくなるとあっさり私から手を離して歩いて行ってしまう。今更それでめげる私ではない。構わず後をついて顔を覗き込んだ。
「もしかして、心配してくれたんですか?」
「………」
「助けてくれたんですか?」
「………」
ムッとした口をして聞こえないふりをしている。そうやってやり過ごせば諦めると思っているらしい。折角会えたのにおいそれと帰ってたまるものですか。私の前でポケットに突っ込んで歩くなんて、腕を組んでって言ってるようなものじゃない。
「お礼にお茶ご馳走させてください」
「っ、腕組むんじゃねえ!」
「ね、喫茶店。いきましょっ」
シャ!と凄まれるとなんだか人慣れしてないボス猫みたいだ。…凶悪さは比べようがないけど。肩を上げて私を遠ざけようとするので腕にしがみつく。これ以上腕を上げられると間柴さんの肘が鳩尾に刺さって、私はきっと痛い思いをする。途中でそれに気が付いたのか物凄く不服そうに抵抗をやめてくれた。
「デートだデートっ」
「…一杯だけだ。飲んだら直ぐ帰るからな」
「やったあ」
間柴さんの気が変わらないうちにさっさと喫茶店に入ってしまう。折角のデートを邪魔されたく無いので出来るだけ人が居なくて人目に付かなそうな席を選んで座った。メニューも見ずにコーヒーを頼むので、らしくて笑ってしまった。
「声をかけてくれて、凄く嬉しかったです。ありがとうございます、間柴さん」
「通り道で騒がれちゃ邪魔になると思っただけだ」
顔見知りに声をかけられてただけだったけど、どうやら間柴さんは勘違いをしているみたいだ。絆創膏のお兄さんを心の中で拝み倒しておく。店員さんがこちらをチラチラ気にしているのでいつもよりも笑顔に意識を向けた。此方には勘違いされては困る。間柴さんの中では違っても私の中では立派な初デートだ。
「で、何が目的だ?」
「え?」
「ナンパだ何だと言ってはいるが、何か目的があるんだろうが。聞いてやるから言ってみな」
間柴さんが言っている意味がいまいち飲み込めずに首を傾げる。最初はそう言うつもりで声をかけた訳では無いけど、今ではもうほぼ下心で接している。そんな気持ちを吐き出せって事では無いと言う事は分かるけど、間柴さんの意図が読めない。
「付き合いたい」
「それはもう良いって言ってんだよ」
「彼氏になって欲しい」
「良い加減にしろ。誰に言われてオレを狙う?脅されてんのか?」
「おどす?……ハッ!美人局だと思われてる!?」
答え合わせと共に頭に衝撃が走った。目の前がチカチカする程の衝撃に脱力する。相手にされて居ないのは分かってたけどまさか本気にもされてないとは思っていなかった。
「あ?…まさかオマエ…」
「そ、それは酷いです…あんまりです…」
あまりにしょぼくれて背後に湿気を纏っている私を見て間柴さんが退いている。コーヒーを運んできてくれた店員さんにお礼を言うと心配されたので緩い顔を向けながらデートだと強調しながら下がって貰う。いけない。邪魔が入る所だった。
「誰にも何もいわれてませんし、ナンパも本当だし付き合いたいのも本当です。私は純粋に貴方の恋人になりたくて声をかけたんです!」
何重にも気合を入れて伝える。力を込め過ぎて間柴さんが仰け反っている。少しくらい気を持ってくれてたら良いと思ってたけど甘過ぎた。そもそも間柴さんに何にも伝わってなかったなんて。鈍感なのか捻くれているのか…ちゃんと気持ちを伝えてなかった私も私だけど…!
「何も知らねえ癖して寝惚けたことを」
「だから口説いてるんです」
「ああ?」
「私は間柴さんの事を知ろうとしているからいくらでも好きになれるけど、間柴さんは私に興味がないでしょう?だから口説いてるんです。貴方を知りたいし、私を知って欲しいから」
間柴さんは席を大きく使って座り直すとコーヒーを手に口の端をあげた。わ、笑ってる…けど違う。クックックだなんて悪魔の声が聞こえてきそうだし、なんだか背後に冷気を背負ってるまである。好感度がある程度ないと逃げ出してしまいそうな笑みだけど、でも笑ってる。空白が一つずつ埋まって行くのはいつだって嬉しい。…ちょっと怖いけど
「オレを知りたい、ね…ペラペラ動くその口が凍りつくのが楽しみだぜ」
「っ!」
息が止まった気がして胸を抑える。じわじわ燃えるような熱が広がって行く。それってつまり知る事を許してくれるって事、だろうか。間柴さんがそのつもりで言っているのかは分からないけど、私の気持ちが嘘じゃないって伝わった?間柴さんらしい言い回しに胸の奥がむずむずして力が抜けてしまう。
「……もっと好きになっちゃった」
「あ?」
「またデートしましょうね」
赤い顔を隠すのも忘れて嬉しいままにこにこするとコーヒーを啜る間柴さんに鼻で笑われる。ボーッとしている暇はない。コーヒーを飲み始めたって事はもう帰るって事だ。お許しを頂いたのだから質問攻めにしても怒られないはずだ
「間柴さん、歳はいくつですか?」
「17」
「え、一つしか違わない…!?お誕生日はいつですか!」
「6月30日」
「過ぎてる…!お祝いしたかったなあ」
貫禄が違い過ぎる。間柴さん高校生なんだ。制服姿めちゃくちゃ見たい。学ラン姿の間柴さんを想像して小さく笑う。
「歳と誕生日だけで良いのか?もう帰るぜ」
「え!?もう飲み終わったんですか!?早い!れ、連絡先!連絡先知りたいです!!」
「残念だな。飲んだら直ぐ帰るって言っただろ、ご馳走さん」
「あああ私のばかっ」
名残惜しさなんて微塵も感じさせない後ろ姿に「絶対また声かけますね!」と投げるとチラリと此方を見て鼻で笑ってお店を出て行ってしまった。窓の近くに張り付いて間柴さんに手を振ると綺麗に無視される。んんん、クール過ぎて風邪ひきそうだ。でもちょっとだけ近づいた距離にガッツポーズをせずにはいられない。ご褒美にパフェを食べても良い事にしよう。目の前の空のコーヒーカップを見て勝手に上がって行く頬を抑える。初デートは大成功?だ。
誤解が解けたからか、それから間柴さんの態度は軟化した…気がする。見つけて駆け寄ると「お前か」と声をかけてくれるようになったし、なんと立ち止まって待ってくれる時だってある。初めの頃からの態度を思えばもう急接近したと言っても過言ではない。会える日は多くないけど毎日が楽しくて飛び上がりそうだ。
バイトの帰り道、外を出歩く時はレーダーを張り巡らせている私は耳聡く好きな声を聞き取った。構ってる暇はねえとかそこを退けとか落ち着いた低い声、間柴さんの声だ。間一髪入れずに響く鈍い音に慌てて音を頼りに探すと無抵抗の間柴さんが仁王立のまま殴られていた。
逆上した男の人は角材を持って振りかぶってる。私が声を上げても誰も見向きもしない。そこからはあっという間だった。間柴さんの頭を角材が揺らすとスイッチが入ったみたいに男たちを蹂躙して行った。何度も振り上がる腕に許しを乞う声。こんなの放っておいたらだめだ。全てが終わった後、きっと間柴さんはあの日と同じ後悔と嫌悪の混じった顔をしてしまう。あまりの形相に竦む足を無理矢理動かして駆け寄った。
「ま、間柴さん!」
引き摺るようにして男を掴んでいる腕に触れて目の前に飛び出る。暗い瞳と目が合うと背筋が震えた。振り上げられた拳は止まっているけど間柴さんは戻ってきていなかった。止まった間柴さんを見て男たちが逃げようともがいている。それをチラリと見やったので慌ててもう一度名前を呼ぶとようやく男の人から手を離してくれた。ちくしょう、化け物めなんて聞こえる汚い捨て台詞を無視して欲しくて間柴さんに抱き付く。不安でどうにかなりそうだ。
「…お前か」
「ま、ましばさっ…ましばさん…!血、すごい怪我…!」
滲む視界を掻き分けて間柴さんの顔を見上げると、周りを見渡して何かを確認している様だった。顎先から落ちた血が私の頬に伝って情けない声が出る。震える手でハンカチを探して間柴さんの顔から血を拭った。だめだ、傷口を抑えなきゃ血が止まらない
「泣く程怖えなら近づくんじゃねえよ」
「こ、怖かったけどっ!だって!間柴さんいっぱい血がでてっ!しゃ、しゃがんでくださいっ血を止めなきゃ!」
少しの間の後何も言わずしゃがんでくれた間柴さんの髪の毛を掻き分けてハンカチを押し当てる。視線を感じて目を合わせると袖で頬を拭われて驚いた。その裾は血と涙に汚れていて、やり切れなくて涙腺が崩壊した。傷口を抑える手はそのままに縋り付くようにして間柴さんの頭を抱き込んだ。
「…汚れるぞ」
「い、いいのっ…う、うぇ…っ」
暫く好きにさせてくれたけど大きなため息と共に離すよう催促されて渋々腕を緩めた。血は止まったようだが痛々しい傷がまた涙を誘う。ぴーぴー泣く私の手を取ると怪我なんて感じさせないくらいしっかりと立ち上がって今度は手をじっと見つめた。何を思ったか胸ポケットのボールペンを攫って私の掌に文字を書き始める。
「く、くすぐったい」
「オレがああなってる時は近寄るんじゃねえ。約束できるなら番号教えてやる」
「か、哀しそうな間柴さんをほっとけって言うんですかっ。無理です〜っ!」
「じゃあ消す」
「消さないでーーー!」
精一杯手を逃がそうとしてもあっという間に捕まってボールペンでくすぐられた辺りを親指が擦っていく。メソメソしながら力なく駄々をこねるとまたボールペンが掌をくすぐった。
「守れなかったら二度と口聞かねえ」
「ぴえ…」
ひ、酷い…気落ちしたところに「分かったな」と念を押された勢いで頷くとパッと手を離されボールペンも元の位置に戻ってきた。ぐりぐりとまた頬を拭われ情けない声が出る。ぎゅっと目を瞑ると間柴さんの裾に模様を作ってしまって舌打ちされた。優しいのに酷い。
「このくらいの怪我なんていつもの事なんだよ。もう治ったから泣きやめ」
「な、治ってない…!ちゃんと病院行ってくださいっ」
これ優しいんじゃなくて子供扱い…世話を焼かれている…!もがく私を無視してあらかた拭き終えると一人で帰れるか確認された。優しさが嬉しいのに女の子扱いじゃなくて子供扱いされてるのが分かる触れ方なので複雑だ。帰れると答えてしまったら呆気なく背中を向けると分かって気落ちしながら頷く。
間柴さんが私の血まみれのワイシャツを睨んでいるのでカバンを抱いて帰ると言うと本当に呆気なく背中を向けてしまった。送って行くのはありか聞いたらもちろんなしだと返ってくる。寂しくて間柴さんが書いてくれた掌を見ると所々二重に数字が重なっていて凄く読み難くなっていた。何でもいい。声が聞きたい
「あわ、ま、待って間柴さんっ!これ1ですか!?7ですか!?」
「7」
「連絡しますね!怪我、ちゃんと治療してくださいね!」
手を挙げるでもなく返事するでもなくいつもと同じように去って行く後ろ姿を見送る。間柴さんが"ああなってる時"って言っていた。変な言い回しだ。自分では止められないって事だろうか。もしかしてそれが原因で、とまで考えてやめた。そんな事よりこれからの事を考えるべきだ。間柴さんの背中が見えなくなってから帰路につく。
よし、帰ったら電話してみよう!道の端にしゃがみ込んで掌の文字が消えてしまう前にカバンから手帳を取り出して書き写した。手、洗うの勿体無いな…。カバンを抱き締めて間柴さんが書いた数字を見つめながらため息をつく。さっきの出来事が上手く消化出来なくて動くのが億劫だ。偶然通りかかった友人に声をかけられるまで暫くそこから動くことが出来なかった。
─────
受話器を上げて降ろしてを繰り返して数分。深呼吸してようやくボタンを押していく。呼び出し音が鳴っている間も手帳と電話機に書いてある数字を何度も見直した。音が止んで女の人の声が苗字を名乗ってくれたので間柴さんが本当の番号を教えてくれていた事に感動してしまった。少しだけ鼻の奥がつんとする
「あ…あの、了さんいらっしゃいますか?」
意を決して口を開くと心底驚いた声色で間柴さんの母だと名乗り、そのまま根掘り葉掘り色んなことを聞かれた。不安気な声色なので安心させたくて話しすぎてしまった気がしなくはないが間柴さんの外での様子を物凄く気になさっているようだ。やっと声色が明るくなったのは付き合っているのかと聞かれた時の返答だった。
「あ、あの、いや…そ、そうなれたら良いなと思っているのは私だけで…ああっちが、ごっ、ご本人には言わないでくださいっ!」
「あらあらあらっ!まぁそうなの?野暮な事を聞いちゃったわっ。長々とごめんなさいね、了を呼んでくるからちょっと待っててね」
今言わなくていい事まで言ってしまった気がする…受話器を持ちながら項垂れると遠くから間柴さんママが間柴さんを呼んでいる声がする。私の名前を呼んで彼女かどうか楽しげに聞く声と吐き出すように否定する大好きな声が聞こえた。
「なんの用だ」
「私は彼女と紹介いただく準備はできています!」
「切るぞ」
「やだー!怪我の具合!いかがですか!」
冷たい返答に泣きながら会話を繋ぐ。緊張を逃がすのに受話器に繋がるくるくるのコードを更にくるくるしながら齷齪した。
「治ったって言っただろうが」
「そんなあ…心配で…怖いんです」
「……それ以外用がねえなら切るぜ」
「あ、うぅ…声が…聞きたくて」
表情が見えないといつもの素っ気ない声に勝手に傷付いてしまう。迷惑だったかも、と落ち込んで謝ると長いため息が聞こえた。
「…お袋に余計な事言ってねえだろうな」
「え、と…外で間柴さんがどうしてるか聞かれたので、私の分かる範囲でいつものかっこいい間柴さんの事をお話ししました」
「……切る」
「あああ!学校も違うしお茶を少しした程度なのでとお話ししましたっ!」
本当に切られかねないので慌てるとなんで最初からそう言わないんだと怒られる。だって間柴さん、いちいち言葉にしないと信じてくれなさそうだもん。とは言わずに素直に謝った。
「あの、また明日もこのくらいの時間に電話しても良いですか…?」
「月一」
「週一!」
「年一」
「のびた!…え?一年後もそばにいていいって事ですか!」
「切る」
「いやー!控えます!連絡控えますから!」
間柴さんが話題を作ってくれた事が嬉しくてつい、にへっと笑みが溢れる。いつまでも声を聞いていたいけど、本当に電話に出てくれなくなったら困るのでこの辺にしておこう
「あの、…声聞けて嬉しかったです。ありがとうございます、間柴さん」
「ああ」
「身体、お大事になさってくださいね。…おやすみなさい」
電話が切れる音を聞いて名残惜しさごと思いっきり息を吸い込んだ。耳元で聞く間柴さんの掠れた声、破壊力がすごい。明日もしていいか、なんて聞いちゃったけど断られて良かったかも。これはちょっとご褒美が過ぎる。やっとの思いで受話器を置いて力なくへたり込んだ。
それから事あるごとに同じ番号から何度も電話がかかってくる事になるなんて今は知る由もなく。今はただ余韻を噛み締めてはため息に変えるのを繰り返した。
──────
今日はバイトも休みだし、宿題も学校で済ませてしまったので久しぶりの暇な放課後だ。だけどそう言う時に限って友人はデートだったり家の手伝いだったり塾だったりで予定が合わない不条理を味わう。仕方ないので寄り道して帰ろうと道を一本変えて散策する事にした。
時折通り過ぎる知り合いに手を振りながら暫く歩くとブレザーの制服にセーラー服が混ざって別の高校が近い事を悟る。そっか、この辺って…人が不自然に歩くのを目の端で捉えて何となく視線を向けると周りの人から物凄く避けられている学ラン姿の男の人が歩いていた。臆する事なく真っ直ぐ歩く後ろ姿。あれはもうまさに…!
「は、わっ!まっ間柴さん…!?」
「ああ?…おう。今日もストーカーかよ。精が出るな」
「すとっ!?生活圏が重なっていると言ってください!そ、そうじゃなくて!」
そわそわしている私を流石に不思議に思ったのか立ち止まって待っていてくれる間柴さんに飛び付くように駆け寄る。腕を引いて上から下まで満遍なく眺めてから新人類を見るような視線を向けてくる間柴さんにやっとの事で応える。
「が、学ラン着てる!」
「…17だって言ってあっただろうが」
「わ、わあ!わあ!ねっ写真!写真撮ってください!」
カバンから使い捨てカメラを出すのを嫌そうに見詰められるがお構い無しに詰め寄った。逃げられるのが分かっているので腕は絶対に離さない。うんとかすんとか言う前にさっさとツーショットを撮ってしまおうとフィルムを巻いては撮るのを3回程繰り返すと流石に低い声で唸られ思わず首を引っ込める。
「だ、だってうまく撮れてるか分からないから…」
「金取るぞ」
「え!お金を払ったら撮ってくれるんですか!?」
「…てめえの頭ン中はどうなってんだ」
「今は間柴さんでいっぱいっ」
ハートをつけて喋るとげっそりした顔になる。その顔も閉まっておこうとシャッターを切ると追えない速さでカメラを奪われて高い所へ逃げられた。フィルムを巻く音が聞こえるので腹いせにフィルムを使い切るつもりかも知れない。買ったばかりのカメラなのに!
「あーっ私の宝物が!」
間柴さんの肩を借りて背伸びをするけど全然足らない。間柴さん手が長過ぎる!腕をぴんと伸ばされただけでもう届かない。制服の裾を引っ張ろうとしたらカシャリと音がして、レンズがこちらを向いている事に気がついた。
「うそ、絶対私今凄い顔してた…」
「大事にしろよ、宝物なんだろ」
「んわ…変な顔のツーショット…うれし…ふ、複雑」
返して貰ったカメラを見つめて酷い顔をした自分の写真を思って苦い顔をする。間柴さんが綺麗に写ってたら私だけ切り取っちゃえば良いんだ。よし、気持ちを持ち直した。腕を離すと直ぐ去ってしまう間柴さんはもう歩き始めてる。カメラをカバンに納めてから背中を追いかけた。
「ね、ねっ間柴さんっ!制服デート!これから制服デートしませんか!」
「しねえ」
「し、しねえっ!?あ、あう…ざんねん…」
しょぼくれながらお茶できないか聞くと即答で振られてしまう。ガードが硬すぎる。揶揄ってくれるようになったけど態度は変わらない。そしてさっきから物凄く視線を感じる。すれ違う学生たちが凄い目で戦々恐々と去って行く。
「ねえ間柴さん、もしかして間柴さんって実は物凄く怖がられてるんですか?」
「…てめえくらいだろうよ。オレに物怖じせず寄ってくるのも、喧嘩に突っ込んでくる物好きも」
「んー、それは恋の成せる技ですかね」
他の人じゃ無理でしたよ、と眉を下げると下手物喰いかよ吐き捨てられる。酷い物言いにむっと唇を突き出すとハッと鼻で笑われてしまった。
「オレは今更褒められた生き方なんか出来やしねえし、呑気に隣歩いてるとその内恥かくぜ」
「む、本当ですか?照れると言う意味での恥ならもうちょっと足りないので腕組んでみても良いですか?」
「ってめえ、そのナリで人の話聞かねえ質かよっ」
是非も聞かずに腕の隙間に手を捩じ込んで得意げに息を吐くと文句は一度だけ肘でお腹を打たれるだけに終わった。それも少し体が押されたと言って良いくらい弱いものでたまらず笑い声が漏れる。舌打ちを返されてもくすぐったいくらいだ
「じろじろ見るだけで声も掛けられない人達の何を気にしろって言うんですか。そんな事に使う時間があるなら私は間柴さんに少しでもくっ付いてたいですよ」
「…おまえ、男に苦労した事ねえだろ」
「ええっ間柴さんが初めての恋です!…うーん。苦労はわかりませんが、怖い目ならあった事ありますよ」
懐疑的な目で言えるものなら言ってみろ、みたいな顔をされる。小さい頃の出来事だからもうあんまり覚えていないがそれから家族が物凄く過保護になったのだ。当時の事を思い出しながら特に傷になる事なく終わったのだけど、と続けた
「誘拐された事があります。俺の娘に似てるって」
「なに?」
「でも不思議な事に、その男の人結婚歴なくて…子供もいたこと無かったんですって」
歩いていた足が止まって首を傾げる。顔を見上げるとぎょっとしてる間柴さんがいて笑ってしまった。閉じ込めるんじゃなく変わらず外に出す事を選んでくれた家族に感謝しつつ、家族の過保護さと知り合いを意識的に多く作るようにして目撃情報を増やすのを意識してる事を明るい口調で話す。
「ちょっと大変ですけど知り合いが多いのも楽しいし、悪い事ばかりじゃないんですよ」
「それなのにオレに声を掛ける意味が分からねえな」
「びびっときてしまったんですねえこれが」
私が間柴さんと腕を組んでいるのを見てこれまたぎょっとした顔で立ち止まった知り合いに笑顔で手を振りながら間柴さんと話すと恐々とこちらの様子を伺ったままだがぎこちなく手を振りかえして横を通りすぎていった。それを見て間柴さんが肩をすくめる。
「娘がこう呑気だと親の気苦労に同情するぜ」
「前向きなところが私の長所ですっ」
やれやれと首を振って歩き出す間柴さんに着いて腕を組み直す。間柴さんの事も知りたくて質問を考えた所で背中がひやりとした。ナンパ云々よりまず一番初めに聞いとかなきゃいけない事を聞いていなかった。急に慌て出したせいか何事かと視線を向けてくれる。
「私、大事なこと聞いてませんでしたっ……間柴さん、彼女いたりしますか!?」
「…居たらどうだってんだ」
「うそっ…ま、間柴さんをどれくらい好きか…け、決闘を…申し込むしか…ない…」
しょもっと影を背負った私に「お前みたいな物好きがそう何人もいてたまるか」と固まりかけた私の腕を軽く振るので催促されるまま足を進める。間柴さんの言い回しに首を傾げて頭の中で反復させた。私みたいな物好き。物好きかはともかく、つまり彼女もアプローチしてくる女性も私以外いない…!?そりゃあ見た目も雰囲気も怖いけどそれ程荒くれてないしお顔も整っているのに…?このかっこよさがまだ誰にも見つかってないのならライバルはいないに越した事がない。私ってば良いタイミングで声をかけたのかも
「もしかして「で、
いつまでそうしてるつもりだ」
私の気持ちを認めてくれているのか聞こうとしたら無理矢理遮られた。気にせず時間と間柴さんが許す限り。と腕を抱くとどっちも許した覚えはねえと返される。それでも無理には引き剥がそうとしないので私がつけ上がるんだ。間柴さんは分かってるんだろうか。
「この後ご予定があるんですか?」
「家に帰る」
「じゃあ一緒に「やだね」
「即答すぎる」
「家を知ったら押しかけてくるだろうが」
「いくら私でもそこまでしませんっ!張ったりもしませんっ!想い馳せるだけ!」
「うそつけ」
あまりの言い草に顔がくしゃくしゃになる。その顔を目撃されて笑われてしまった。今日はなんだか私の可愛くない顔見られすぎてる気がする…でもそう言う私を見ると間柴さん、笑ってくれるんだよね。嘲笑って言われたらそんな気もするけどやっぱり好きな人が笑ってくれるの嬉しい。距離が縮まった気がする。それならそろそろデートの約束もしてくれないかな
「聞いて良いですか」
「なんだ」
「夏休み…予定空いてますか」
「全部埋まってる」
「私で!?」
「離せ」
「うわーん!だって遊びたい!デートしたい!」
海にプールに祭に花火、夏のイベントを並び立てても全部無慈悲に断られる。なんでくっ付いて歩くのは良いのにデートはダメなの!?
「鉄壁すぎる…!」
「ふん、やっと諦める気になったか?」
「俄然燃えてきましたっ!文通とかしますか!?」
「生憎オレは火遊びは趣味じゃないんでね」
「焚べる前に読んでくださいっ」
間柴さん、諦める気になったかって言った。距離が縮まったと思ったけどそうじゃないのかも…私が引っ付いてても引っ付いてなくてもどうでも良くて、引っ付いてるのが私じゃなくても態度は変わらない…?あ、ダメだ!間柴さんの思う壺にハマる所だった!ちゃんとフらない間柴さんが悪いんだから。それまでは諦めない。無表情のお顔をじっと見上げて、視線が合うとつい頬が緩む。あ、眉間に皺が寄った。
「じゃあ夏休み中、1日だけ…夜に電話していいですか?」
「………」
「またおやすみなさいって言いたいです」
「…勝手にしろ」
「やった!」
「出るとは言ってねえぜ」
「そんなっ良いんですかっ!お母様と私、仲良くなっちゃいますよ!」
「絶対やめろ」
やった!年一って言われてからどうしようかと思ってたら随分早くに二度目が来そうだ。浮かれた勢いで腕に擦り寄ると間柴さんの肩が揺れた。もう一度お顔が見たくて覗き込んだらそっぽを向いてしまうので仕方なく耳を見つめる。間柴さん、癖っ毛の猫っ毛だ。髪に触れた感触を思い出してきゅんとする。うう、かわいいっ
「おら、もう離れろ」
「はい、制服デートしてくれてありがとうございました」
「してねえっ」
この声色は本当のやつだ。名残惜しいけど引き際は間違えない。手を離すとやっぱり呆気なく去ってしまう背中を見送ると様子を伺っていたのか友人が駆け寄ってきた。心配を押し退けてナンパしてる事を話すとなんだかめちゃくちゃ怒られる。流石の間柴さんも興奮する友人が気になったのかこちらを振り返ってくれたのでここぞとばかりに笑顔で手を振ると嫌そうな顔をして今度こそ去っていってしまった。
「おかげでこっち振り返ってくれたよ!ありがとう!」
「そうじゃない!そうじゃないったら!」
悪い人じゃないと力説しても不良の中でも特に有名だとか警察も目をつけてるとか知ってる情報ばかり捲し立てるので折角なら私が知らない事教えてって言ったらなんでかまた怒られた。
─────
そして迎えた夏休み。旅行に行った友人に代わりを頼まれて入ったファミレスのバイトでウェイトレスをしているとよく知った二人組が入店してきた。反射的に飛び出していこうとすると店長に止められて今日はもう帰っていいだなんて言われてしまい、他の子が二人を席に案内するのをじとっと目で追う。
店長に彼らとお話しがしたい事情を話すと驚かれたけど樹ちゃんの弟もやんちゃだもんね、と話題を変えられ苦笑いされて少しムキになる。弟はパパ似なのでちょっと強面だけど笑うとかわいいしとても優しくて良い子だし、彼も素敵な人だと力説する。なんだか既視感があるな
「あはは、分かったよ。じゃあ注文を取ってきて貰おうかな。そしたら上がっていいよ」
「やった、いってきますねっ」
呼び出しのベルがなったので焦る気持ちを抑えて席まで辿り着く。メニュー表から顔を上げた水谷さんが私を見て固まると虚空を見つめていた間柴さんも顔を上げた。
「ご注文をお伺いします」
「おい、店出るぞ」
「なんでーっ!?」
「こらこら了」
席を立とうとした間柴さんを水谷さんが窘めると舌打ちをして荒っぽく椅子に座り直す。久しぶりに会えた嬉しさで意地悪されても嬉しい。機嫌を良くした私を見てケッと悪態を吐いた。さすが様になる。
「久しぶりだなあ。成瀬さん、ここでバイトしていたのか」
「短期の助っ人なんです。お二人の注文取ったら今日はもうおしまいですよ」
「なら一緒に食事はどうかな、もちろん私の奢りだ」
「え!良いんですかっ!」
「だめだ」
「あはは、いいぞ。好きな物を頼みなさい」
この時ばかりは間柴さんを受け流させて貰って、やったあ!と大袈裟に声色明るく喜ぶ。多数決により間柴さんの負けなのでここは諦めてもらいます。店長を振り返ると手で丸を作ってくれた。これだから優しい大人って大好きだ。注文をとって私の分も頼ませてもらう。
「じゃあ着替えてきますね」
「ああ。待っているよ」
注文票を店長に渡して電話をかしてもらう。家に夕飯がいらない旨を伝えて急いで着替えを済ませた。水谷さん、間柴さんと仲良しなんだなあ。水谷さんの言うことはなんだかんだ聞いているみたいだし、ツンとしながらも他とは違う雰囲気を感じる。
荷物を持って店長とバイトの子に挨拶をして足取り軽く二人の元へ向かうと間柴さんと目が合ったのにため息と一緒に目を逸らされて胸がぎゅんとした。本当に猫みたいな人だなあ
水谷さんに断って隣に座ると快く迎えてくれたけど不思議そうに了の隣じゃなくていいのか?と聞かれる。隣も捨て難いけど久しぶりにあったのでその分よーくお顔を見ておきたいのだ。そう伝えると水谷さんは楽しそうに笑ってくれた。
「お話しする日だったんですか?」
「いいや、偶然会ってね。夕飯でもと誘ったんだ」
「いいなあ。私も誘われて貰えるように頑張りますっ」
うんうんと何度も頷いて応援してくれる水谷さんに気をよくしてつい現状報告してしまいそうになる。とはいえ独り占めできるようなことも少ないのであんまり話せる事もないんだけど…と考えて私の宝物の存在を思い出した
「あ、そうだ。この前の写真、現像したんですよっ」
私と間柴さんの制服姿の写真を鞄から出すと水谷さんが興味深そうに覗き込んできた。
「了が写真を?」
「勝手にカシャカシャ撮りやがったんだ。オレは撮っていいなんて一言も言ってねえ」
「だってすごくかっこよくて…ごめんなさい」
私がアップでピンボケしていて間柴さんにピントが合っている写真、それよりちょっとマシな写真が数枚、迷惑そうな顔をした間柴さんの写真、そして間柴さんが撮ってくれた私の顔が微妙な感じの、でも間柴さんが一番よく撮れてる写真を一つずつ机に並べて行く。私のイチオシはもちろん間柴さんのかっこよさが全面に現れてる写真だけど、私の口は半開きだし情けない顔をしているので本当に惜しい写真だ。
「これ、貰っていいかな」
「え?もちろん構いませんけど、私と写ってる写真でいいんですか?」
私が撮ったにこにこの私と無表情の間柴さんの写真を見ながら、「だからいいんだ」と同じ様ににこにこする水谷さんを見て嬉しくなっていると良ければ連絡先を知りたいと言われてノリノリでボールペンを取り出した。写真の裏に水谷さんへ、と続けて名前と番号を書いて大好きな間柴さんと!とハートで締める。楽しそうに受け取ってくれた。
そんな事をしている間に間柴さんが横から写真を攫って行った。間柴さんが撮ったやつ。肩に手を置いてるし間柴さんとの距離が近くて仲良しに見えるから凄く好きな写真だけど私の顔が情けないのできっとそれを見て鼻で笑った。そしてあろう事か自分の鞄にしまったので慌てて待ったをかけるとオレが撮ったんだと言われてしまい頷かざるを得ない。
「文句あるならネガごと潰す」
「うう、私の宝物を皆さんと共有できて嬉しいです…」
「よかったな」
無表情のよかったなって初めて聞いた。しょもっとしてる私と間柴さんを見比べて水谷さんが頷いてる。よく分からないけど輪に入れたみたいで嬉しくてほっぺたが熱くなる。緩む顔をそのままにしてると間柴さんからじっと見られてるけど多分また抜けてる顔してるなって思われてるんだろうな。
1/3ページ