優しすぎた箱庭
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無垢を最愛に
※夢主と近しい関係のオリジナルキャラクターが出ます
彼の膝の上にお邪魔すると、手持ち無沙汰になった私は無遠慮に手を取った。手の甲を撫でて、傷を撫でて、血管を通って指の節に辿り着く。両手で包んでもまだ足りない大きな手をいじくり回して勝手に遊んでいるけど、何も言わず好きなようにさせてくれている。多くの人が彼を怖がっても、何故か私は初めからこの人が怖くなかった。小さい頃から怖い顔に耐性があったからかもしれないけど。
「薫さんの手、やっぱりとっても大きいんですね。うちの組の誰より大っきい」
「……そうか」
およそ一年に、抗争の果て成瀬組の組長と若頭が命を落とした。死期を悟っていたのか組長はまだ高校生の一人娘の私を心配し、歳も近い事もあってかつてより懇意にしていた花山組の組長との縁談を進めており、父が亡くなったその日、いつまでも悲しんで居られないと覚悟を決め、私は花山薫と婚約をした。
花山薫の伝説とも言える噂はかねがね聞いていたので、冗談じゃないと思っていたのに、一度だけでも会って欲しいと父に泣き付かれてしょうが無く顔を合わせた。そしてその日に、この人なら結婚してもいいと思ってしまった。
「わぁ。爪もこんなに分厚い」
決して自分の力を振りかざしたりしない余裕と優しさ。組員を大切にする姿勢はどこか居心地が良くて、花山さんが宜しければ。なんて二つ返事で受け入れたのは記憶に新しい。元々堅気の男の人と結婚できると思ってなかったので、好きになれればお見合いでも構わなかった。だってもう、恋をしている事を否定できないほど顔を合わせる度に好きな所が増えて行ってしまっている。…彼はどうなのかは知らないけど、嫌われてはいないはず。
少しずつ距離を縮めて、触れる回数だって顔色を伺いながら増やしている。だって、私がどんな思いでこうしているのかを知って、同じくらい好きになって欲しいから。短く整った爪の先を撫でてするりと手のひらへ触れる。大きな手のひらに向かって拳を合わせるとその大きさの違いに笑いが漏れた。
「なんだか食べられちゃいそう…あっ」
まるで私の言葉そのままに、食いつくみたいに拳が手のひらに包まれた。あったかくて優しいそれにどきりと大きく胸が脈打つ。思わず後ろを見上げると優しい笑顔で見下ろされていて赤面は免れなかった。かっこいい。…狡いくらいに。背中を預けて擦り寄ると空いた方の手で頭を撫でてくれて蕩けそうなほどの幸せに浸る。
「んンッ!ゲホン!ゴホン!」
「…もう。」
そばに控える男の態とらしい咳払いで折角盛り上がっていた気持ちに水が差された。正式に結婚するまでは二人きりで会うのは許せないと、必ず付いて回るこの男。成瀬組の現若頭代行だ。この男に内緒で薫さんに会いに来ても何故か先回りするように薫さんの近くにいる。
「それ以上のお戯れはお止しください、お嬢」
「いいじゃない。結婚するんだもの。次の大安に婚姻届を出したらもう夫婦よ」
「それまでは!夫婦ではありません!赤の他人です!」
長いため息を吐き出して携帯を取り出す。お母さんに連絡を入れると直ぐにうるさいお目付け役の携帯が鳴った。苦悶の表情で私にくれぐれも、と何度も注意すると電話をしながら足取り重く去って行く。この行き過ぎた心配性の男を、母が組に呼び戻したのだ。
ずっと小さい頃から面倒を見て貰ってるから、可愛がられている事は十分に分かっている。だからとはいえちょっと鬱陶しい。どうしても我慢ならなくなったら、母に連絡するように言われているくらい薫さんとの間に踏み込んでくるのだ。帰ってお母さんに怒られちゃえ!
「いつまでも子供扱いなんだから」
「樹の事が心配なんだろう」
「…分かってますけど…」
婚約して一年にもなるのに、お陰様で未だにキスだって出来てない。こんなに近くに居たって、薫さんも気を使っているのかそんな素振り一つ見せない。 こっちはあの日からずっと準備万端なのに。
「…私ね、こんな形でも薫さんと結婚できるの、本当に嬉しいんですよ。…この一年で薫さんの事、凄く好きになったんです。」
「……俺もだ」
「へ…?」
「俺も、樹に惚れてる」
「っうそ!」
薫さんの言葉に、弾かれたように見上げる。少し驚いた顔をしたけど直ぐに本当だって言ってくれてまたドキドキしてきた。ちょっと手に汗をかいてきたから不自然にならないように手を胸に移動させる。
「…知らなかった…」
私を好きな事もだけど、それを言葉にしてくれる人だと言う事が、堪らなく嬉しい。そうか。そうなんだ…。薫さんも私と同じ気持ちでいてくれているんだ。また好きが一つ増えた音がして身を縮める。大きな手が目に入って、衝動を抑えることなくそっと触れると握り返してくれて幸せで倒れてしまいそうだ
「…嬉しいです…とっても」
「樹」
私が触れていない方の手が私の頰を包んだ。あったかい。気持ちよくて目を閉じてしまいそうになったけど、真意を確かめる為に顔を見上げる。私はこんな素敵な人と結婚するんだ。ゆっくりと大きな影が近づいてきて、私はそっと目を閉じた。
「…………」
「…………」
薫さんの吐息が顔に触れて、心臓の音が大きく聞こえる。鼻先同士が優しくぶつかって、唇がくっつくまであと少し、あと数センチの所で私の膝から電子音が鳴り響いた。それでも私は諦めずに目を閉じていたけど、薫さんの匂いが遠ざかって溜息をつく。携帯を開くと案の定お目付け役からで。切ってやろうかと迷っていると薫さんが少しだけ笑いを含んだ声で「出てやりな」って言うからしょうがなく出てやる。
出るなり電話を取るのが遅いと叱られて、お母さんが呼んでるから私も一緒に戻るように、なんて誰が言うことを聞いてやるものですか!もう少しでキスできる所だったのに!渾身の嫌を携帯に向かって放つと少々乱暴に電話を切って電源まで落とした。
「どうした?」
「…車停めてるから、早く出て来いって…」
「…ククッ」
「笑い事じゃないですよ、もう…」
あと少しだったのに。子供みたいにむくれていると大きな手に上を向かされる。また薫さんの顔が近づいてきて慌てて目を閉じると、おでこに柔らかい感覚が落とされた。離れていくネクタイから薫さんの顔に視線を移すとぶわっと顔が熱くなる。
「またお預けみてぇだな」
薫さんが口を開いて漸くそこから目を反らせた。…思っていたより、柔らかかった…。赤くなった顔を見られるのが恥ずかしくて薫さんのスーツに顔を埋めるとすかさず頭を撫でてくれる。それがまるで可愛がってくれてるみたいに思えて体が甘く痺れた。
成瀬組は今とても不安定なので私が単独で動く事は許されていない。だからどうしたって車で帰らなきゃいけないのに薫さんから離れたくなくてくっついたままでいると、薫さんが私をお姫様抱っこして立ち上がった。お別れまで私のわがままを聞いてくれるつもりみたいだ。優しさに逆上せちゃいそう…
「…車まで送ってく」
「…薫さん…」
私は知っている。薫さんが歩けば車まであっという間だと言う事。だけどわざとゆっくり歩いてくれている事。もうこれ以上ないって思うほど薫さんの事が好きなのに、それを毎日覆される。
「…婚姻届を出したら…今度は、唇にして欲しいです…」
「…あぁ、待ち遠しいなァ」
外に出る前にもう一度唇を寄せられ、今度は笑顔でそれを受けた。
「寝る前に、また電話してもいいですか?」
「ん」
薫さんの微笑みに蕩けているとクラクションを鳴らされムッとする。別れ際くらい静かに出来ないんだろうかあの男は。そっと地面に降ろされお礼を言うと仕方なく促されるまま車に乗り込んだ。手を振って、もう一度別れの挨拶をしようと窓を開けている途中で車を発進され運転席を思い切り蹴ったのは、もちろん薫さんが見えなくなってからである。
2019/02/15
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