短編
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幸殺為術
「いろは、少し付き合ってくれぬか」
「え?はい。どちらへ?」
いろはが頷くと同時にその手を引き、歩き出した弦之介に首を傾げたが、直ぐにその懐かしさに頬を赤らめた。幼い頃は暇さえあればこうして二人で森を歩いた。互いの運命など知らぬまま、将来を語り合ったりもした。ただ漠然と、ずっとこうして生きていくのだと何の疑いも無く笑えていた。しかしそれも直ぐ潰えてしまった。
時間は残酷だ。成長するにつれて二人は変わっていった。見た目はさる事ながら、言葉遣いも、その関係すら遠いものとなってしまった。同じ目線で笑い合っていたのが嘘だったかのように、今では数歩下がって頭を垂れる。そしていつの間にか、弦之介の隣に立つのはいろはでは無くなってしまった。
「あの…弦之介様?」
山道に入った所でいろはは戸惑いの声を上げた。弦之介はそんないろはに微笑みかけると尚も足を進める。もう少し行けば野草や花が群生していて、幼い頃はそこで良く駆け回って遊んだものだった。しかし、そこへ辿り着くには大人の腰程の高さの崖を登らねばならなかった。やはり目的地は思い出の場所らしく、着物をきっちりと着込んでいるいろはは先に軽々登ってしまった弦之介に眉を下げる。
「手を」
「…でも、弦之介様」
「いろは、手を」
柔らかい笑みを浮かべて手を差し伸べる弦之介に根負けしておずおずと手に触れると強い力で引き上げられ、小さく声を上げる。いきなりの事に上手く着地出来ず、膝が折れると咄嗟に抱き留められ赤面した。
「いろは、もう少しじゃ」
「、はい…」
緊張で眩む視界を無視しながら少し歩けば直ぐに着いた。二人しか知ることの無い、秘密の場所。風が吹き、草花が音を鳴らすといろはは髪を押さえながら目を細めた。思えばここが全ての始まりだった。父以外の異性と言葉を交わしたのも、年の近い遊び相手を見つけたのも、その手に触れたのも。甘い想いがこれ以上燃え上がらぬようにずっとここを避けていたが、心が凪いでいくのを感じる。思っていたよりずっと美しい記憶だったようだ。
「いろは、覚えておるか」
「はい」
「ここで契った事も」
「……はい」
全ての始まり。全ての終わり。新しい事を知る度に、知らなかったいろはが死んでいった場所。それは弦之介も同じだった。
「…求婚を断り続けていると聞いた」
「っ……」
「わしは…自惚れても、良いのだろうか」
自惚れるも何も、いろはにそれ以外の理由は無かった。他のものに心を許せなかった。それだけだ。しかし、それを口にするのは憚られた。もう、思った事を素直に口に出来る間柄では無いのだ。もうすぐ、弦之介の隣にはいろは以外の女が並ぶ。それなのに
「何をするにも、いろはが最初であった……わしはこれからも、そうでありたい」
「なにを…っ……私を妾にでもされるおつもりでございますか」
震える声を押し殺して、絞るように声を捻り出す。真剣に視線を合わせられると思わず目を伏せた。側に居ても良いと言うなら、それでも構わないと思ってしまった卑しい心を、真っ直ぐな弦之介だけには悟られたく無かった。
「……弦之介様はいつも私の手を引いて一つ先を歩いて行かれる。…もう、あの日から…その後を追うのは私では無くなったのです」
「いろは、わしの願いは変わらぬ。…しかしこの想いもまた、変わらぬのじゃ」
すっかり大人になったその腕で震える体を包み込むと苦しいくらいに力を込めて涙に濡れるいろはを閉じ込めた。胸の痛みに身を捩ると更に強く抱き締められ詰まった息を吐き出し、苦しいのに甘く痺れてしまう心を責め立てた。
「貴方はいつも…わた、くしを…っ…置いて行かれるのに…、私から…全てを奪おうと言うのですか…っ」
「すまない。許せとは言わぬ。……しかし、離してもやれぬ…」
顔を上げさせられると唇の熱さに目を見開く。夢に見た景色がそこにあり、いろはは受け入れるべくゆっくりと瞼を閉じた。一度熱が離れると舌で唇を舐められまた離れる。それに小さく声を上げると今度は舌が割って入り、いろはのそれに触れるとまた離れる。まるで熱を探るようにそんな事を続けながら段々深くなる接吻に、遂に結ばれた舌が互いの口内で踊ると弦之介はいろはの腰を引いた。口が、顔が、体が、燃えるように熱い。
「んっふ、げん…はっ…げんの、ふぅっ…ん、げん、のすけ…さま…っ」
いろはが苦しげに喘いでもその唇が離れることはなく、息継ぎの隙を与えるだけで苦しさに薄く目を開くと柔らかい視線とぶつかった。胸の奥が悦びに震える。それがいろはの胸の内と同じ色をしている気がして堪らず手を背に回し、ぎゅっと着物に皺を刻む。幸せに打ち震えていると漸く唇が解放され、繋いだ糸が口の端を汚した。帯が緩くなる感覚に思わず弦之介に身を寄せると、もう躊躇うことなく縋り付く。
「はぁっ…だ、め…げんのすけさま、もっと…もっと口を吸って…今だけ、わたくしを…げんのすけさまっ」
弦之介が切羽詰まったようにいろはを呼ぶと再び熱情に燃えた接吻を交わした。一つになる方法を探すように、擦り付けて与え合ってはしたなく唾液が首筋に伝っても一滴も逃さぬ様に舌で追いかける。
「げんの、…ふっ…ここに、居る時だけは…どうか…っ」
「あぁッ、いろはしか要らぬ…っ」
接吻をしながら何度もいろはの名を呼び、熱い手を体に這わせ熱を混ぜ合わせる。いろはの体はもう、弦之介への想いでどろどろに溶け切っていた。このまま殺意を浴びせれば、幸せに死ぬ事が出来るだろうか。そんな事を考える自分を笑うと弦之介の着物の合わせに手を這わせ、凛々しい胸板に触れた。
幸せなまま死ねないと、分かっている。この殺意は弦之介への殺意では無いからいろはを助けてなどくれない。死んでしまえ、死んでしまえ。いろはは繋がる熱を噛み締めながら何度も己を殺し続けた。
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