頂いたお話
クリーム色のマグカップから、ほんのり香り付いた湯気が立ち上った。素朴かつ使い勝手の良いティーポットで煎じたのはラベンダー、優れた鎮静作用でリラックス効果が期待できるハーブの一種だ。その花の上品な紫色に対して、ハーブティーの水面は淡い薄茶だ。たっぷりと垂らす蜂蜜の黄金色にも似ていて、水平線で混じる空と海みたいに、甘味と渋味の境界はすぐ曖昧になって溶けていった。
さてこんなもので良かったかと、サンクレッドは手ずから淹れたハーブティーを、右から左から覗き込んで小さな息を吐いた。ラベンダーの薬効は知っていても、こんな風に上品な使い方なんてしたことがない。自分のためであればこんなまどろっこしいことなんてしないのだが、愛しいひとに差し出すとなれば話は別だ。
小さなトレイにマグカップを置き、ついでに何かないかとキッチンを見渡して、クッキーの包みがあったからそれも乗せた。いつも握っているガンブレードに比べれば、妖精の羽根みたいな軽さのティーセットを持って、サンクレッドは寝室に向かう。
彼の可愛い恋人は、開け放した窓から吹き込める初夏の風を、楽しむ余裕なくベッドに沈んでいた。少し暑さを感じるだろうに、頭まで被った毛布の中、腹を守るように丸まっている。サンクレッドはサイドテーブルにティーセットを置くと、こんもり存在を主張している塊のそばに腰かけて、上からそっと体を擦った。ぴくり、と毛布の下の体が反応する。そして気だるそうにゆっくりと、ミコッテ特有の耳がぴんと現れ、次いで夜色の髪、満月みたいな瞳孔が這い出てきた。しぱしぱと瞬きすると、サンクレッドの姿を見留めて、ほんのり笑みの形になる。
「……良い香りがする」
「聞きかじりのラベンダーティーをな。飲めそうか、リーオ」
名を呼びながら前髪に指を通すと、未明の色彩を宿すそのひとは、嬉しそうに笑って頷いた。
リーオは元々体が弱く、随分快調してきたといっても、こうして床に伏す時は少なくない。そのため看病するサンクレッドも手慣れてきたものだが────女のこと、月のものだと言われると、より手探りで慎重にならざるを得ない。何せ男にとってみればまったく縁のない痛みで、知り得ぬ重みで、不要な出血だ。こんなものと毎月のように戦うのかと、当のリーオも青ざめた表情で苦笑する。
「女のひとというのは、難儀だね」
ささやかな声で呟くリーオに、サンクレッドは頷くことしかできなかった。
起き上がろうとする細い背に手を差し入れて、サンクレッドはリーオを抱え込むように補助した。ぐ、と痛みを耐えて息を詰めるものだから、どうもリーオの上体は安定せず、サンクレッドは痛ましげに薄い腹を撫でてやる。このひとが苦しむ様子は、いつになっても慣れることではない。共感してやれないことを歯痒く思うときもあるが、そのたびに、健康で人より強靭だからこそ側にいてやれると考え直すのだった。
サンクレッドは、より深くベッドに乗り上げると、リーオの背を預かるように、足の間へと座らせた。即席の人間座椅子である。彼と比べればミコッテの体は小さくしなやかで、腕の中にすっぽりとおさまってしまう。そうして改めて腹に手を回してやれば、前後から温められて痛みが和らぐのだろう、リーオがほっと息つくのが分かった。
「……ありがとう、サンクレッド」
「これくらいしか出来ないからな」
役得でもあるんだ、と囁きながら、サンクレッドはミコッテの耳に唇を添わせる。艶やかな毛並みはビロードに似て、指で撫でるのも好ましければ、一番柔らかく薄い皮膚で感じるのも好きだった。ぴるん、とリーオの耳がくすぐったそうに跳ねて、鼻先を叩いていく。
くすくすと揺れる肩を伸ばして、リーオはやっとマグカップを手に取り、ラベンダーティーを覗き込んで微笑んだ。
「サンクレッドの瞳の色みたいだ」
「俺の?」
言われてサンクレッドは一緒に覗き込むが、見えるのは澄んだ薄茶で、もしかしたらクリーム色のマグカップを使っているから、色味がより深く見えるのかもしれない。この人には自分の目の色が、こんなに綺麗に見えているのだろうかと、サンクレッドは微か口角を上げた。
ひとくち飲もうと鼻先を近付けるも、リーオは曖昧に差し下ろして、マグカップを両手で抱えたまま落ち着く。少し熱いと判断したのだろう。何気ない仕草で、考えていることすら何となく分かるようになったなあと、サンクレッドは思わず喉を鳴らした。
「どうかした?」
「いいや、何にも」
不思議そうにこちらを見上げるリーオの額に口付けると、サンクレッドはそのまま髪の中に鼻先を潜らせた。ラベンダーティーの香りが、このひと本来の匂いと混じる。
「……お前の髪を、ラベンダーみたいだと思ったことがあるんだ」
リーオの尾が足に絡んできたのを、指先でいじりながら続ける。
「あの花を煎じて出てくる色が、俺の色なら。……運命のようだなと、思ったよ」
恋物語にはしゃぐ少女たちが考えるよりも、もっと夢心地な、都合の良いこじつけだ。それでも、この鮮やかな色を香りとともに煮詰めてみたら、いつも見ている瞳の色が抽出されて、それを想いだなんて呼んでくれたら良いのにと願っていた。
腹に添えられた手は、熱い。リーオは何度か瞬くと、ほろりと笑みを溢しながら、少しばかりぬるくなったラベンダーティーをひとくち飲み込んだ。
「美味しい」
喜色を含んだリーオの声音に、サンクレッドはくしゃりと破顔した。
さてこんなもので良かったかと、サンクレッドは手ずから淹れたハーブティーを、右から左から覗き込んで小さな息を吐いた。ラベンダーの薬効は知っていても、こんな風に上品な使い方なんてしたことがない。自分のためであればこんなまどろっこしいことなんてしないのだが、愛しいひとに差し出すとなれば話は別だ。
小さなトレイにマグカップを置き、ついでに何かないかとキッチンを見渡して、クッキーの包みがあったからそれも乗せた。いつも握っているガンブレードに比べれば、妖精の羽根みたいな軽さのティーセットを持って、サンクレッドは寝室に向かう。
彼の可愛い恋人は、開け放した窓から吹き込める初夏の風を、楽しむ余裕なくベッドに沈んでいた。少し暑さを感じるだろうに、頭まで被った毛布の中、腹を守るように丸まっている。サンクレッドはサイドテーブルにティーセットを置くと、こんもり存在を主張している塊のそばに腰かけて、上からそっと体を擦った。ぴくり、と毛布の下の体が反応する。そして気だるそうにゆっくりと、ミコッテ特有の耳がぴんと現れ、次いで夜色の髪、満月みたいな瞳孔が這い出てきた。しぱしぱと瞬きすると、サンクレッドの姿を見留めて、ほんのり笑みの形になる。
「……良い香りがする」
「聞きかじりのラベンダーティーをな。飲めそうか、リーオ」
名を呼びながら前髪に指を通すと、未明の色彩を宿すそのひとは、嬉しそうに笑って頷いた。
リーオは元々体が弱く、随分快調してきたといっても、こうして床に伏す時は少なくない。そのため看病するサンクレッドも手慣れてきたものだが────女のこと、月のものだと言われると、より手探りで慎重にならざるを得ない。何せ男にとってみればまったく縁のない痛みで、知り得ぬ重みで、不要な出血だ。こんなものと毎月のように戦うのかと、当のリーオも青ざめた表情で苦笑する。
「女のひとというのは、難儀だね」
ささやかな声で呟くリーオに、サンクレッドは頷くことしかできなかった。
起き上がろうとする細い背に手を差し入れて、サンクレッドはリーオを抱え込むように補助した。ぐ、と痛みを耐えて息を詰めるものだから、どうもリーオの上体は安定せず、サンクレッドは痛ましげに薄い腹を撫でてやる。このひとが苦しむ様子は、いつになっても慣れることではない。共感してやれないことを歯痒く思うときもあるが、そのたびに、健康で人より強靭だからこそ側にいてやれると考え直すのだった。
サンクレッドは、より深くベッドに乗り上げると、リーオの背を預かるように、足の間へと座らせた。即席の人間座椅子である。彼と比べればミコッテの体は小さくしなやかで、腕の中にすっぽりとおさまってしまう。そうして改めて腹に手を回してやれば、前後から温められて痛みが和らぐのだろう、リーオがほっと息つくのが分かった。
「……ありがとう、サンクレッド」
「これくらいしか出来ないからな」
役得でもあるんだ、と囁きながら、サンクレッドはミコッテの耳に唇を添わせる。艶やかな毛並みはビロードに似て、指で撫でるのも好ましければ、一番柔らかく薄い皮膚で感じるのも好きだった。ぴるん、とリーオの耳がくすぐったそうに跳ねて、鼻先を叩いていく。
くすくすと揺れる肩を伸ばして、リーオはやっとマグカップを手に取り、ラベンダーティーを覗き込んで微笑んだ。
「サンクレッドの瞳の色みたいだ」
「俺の?」
言われてサンクレッドは一緒に覗き込むが、見えるのは澄んだ薄茶で、もしかしたらクリーム色のマグカップを使っているから、色味がより深く見えるのかもしれない。この人には自分の目の色が、こんなに綺麗に見えているのだろうかと、サンクレッドは微か口角を上げた。
ひとくち飲もうと鼻先を近付けるも、リーオは曖昧に差し下ろして、マグカップを両手で抱えたまま落ち着く。少し熱いと判断したのだろう。何気ない仕草で、考えていることすら何となく分かるようになったなあと、サンクレッドは思わず喉を鳴らした。
「どうかした?」
「いいや、何にも」
不思議そうにこちらを見上げるリーオの額に口付けると、サンクレッドはそのまま髪の中に鼻先を潜らせた。ラベンダーティーの香りが、このひと本来の匂いと混じる。
「……お前の髪を、ラベンダーみたいだと思ったことがあるんだ」
リーオの尾が足に絡んできたのを、指先でいじりながら続ける。
「あの花を煎じて出てくる色が、俺の色なら。……運命のようだなと、思ったよ」
恋物語にはしゃぐ少女たちが考えるよりも、もっと夢心地な、都合の良いこじつけだ。それでも、この鮮やかな色を香りとともに煮詰めてみたら、いつも見ている瞳の色が抽出されて、それを想いだなんて呼んでくれたら良いのにと願っていた。
腹に添えられた手は、熱い。リーオは何度か瞬くと、ほろりと笑みを溢しながら、少しばかりぬるくなったラベンダーティーをひとくち飲み込んだ。
「美味しい」
喜色を含んだリーオの声音に、サンクレッドはくしゃりと破顔した。
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