処女の陰核とノーパンと文化・社会

マヤは、自分自身がノーパンであることに高揚感のようなものを覚えていた。先生が説明する「ノーパン」という概念は、女性たちが自らの性的表現としてノーパンであることを選択する現象であり、社会の慣習やモラルに逆らって、女性たちが自己表現の手段として自由に選べることを強調していた。

先生が「ノーパン」という言葉を口にするたびに、マヤは自分自身がノーパンであることを意識して、ますます興奮していた。彼女は、周りの視線を感じながらも、ノーパンでいることを、新しい自己表現の手段として考えようとしていた。

先生は、「全裸とは、社会的な束縛から解放されることであり、自己表現の一つの形式とも言えます。また、性的快感や自己実現の追求も含まれます。女性が全裸になることで、社会的な差別や偏見に対する批判を示すことができます。自分自身の身体や性に対して肯定的であること、そして社会への主張を表す行為でもあります。」と説明していた。

マヤは「ノーパン」であることを意識して、興奮しながら先生の話を聞いていた。けれど、「全裸」概念は難しかった。自分がノーパンでいることにも慣れていないのに、服を着ているのがあたりまえの場所で全裸になることなんて。それでもマヤは、自分が多くの人の前で「全裸」になることを想像してみた。自分が全裸になってしまったら、周りからどんな目で見られるのだろうか。大学のなかだけでなく、社会へと自分の全裸姿が拡散したら、どうなってしまうのか。そう考えてしまうと、それ以上は想像できなかった。

「私は、大勢の前で全裸になることなんてできないと思う。まだ自分の身体に対して、複雑な気持ちがあるから……」
マヤは、自分の身体に自信なんて持てないでいた。タイムラインに流れてくる素敵なスタイルの人とは違うし、胸だって大きくない。こんな身体を見せられて喜ぶ人なんているとは思えない。
それでも、自己表現や自己肯定をすることの大切さは、よく理解できたつもりだった。

授業が終わってもしばらく、マヤは考えつづけていた。自分にとって「ノーパン」でいることはとても興奮する経験だ。いまも陰核が熱い。
もっと自己を表現するため、もっと自分自身を肯定するために、もっと新しい何かに挑戦してみようと思いはじめていた。
7/11ページ
スキ