緑の風−2
室に戻ると、[#da=2#]は椅子にちょこんと座って、茶器を両手で抱えていた。
多分、ずっとその姿勢だったのだろう、心配そうな顔をして見つめてきた侍女に一つ頷くと、「これを」と濡れた手巾を渡され、そっと出て行く。
聡い家人たちはもうここには寄ってこないだろう。
「おいで」
仮面を外し寝台の端に腰掛けて声を抱えると、黙って寄ってきた。
執務室でしたように、そっと膝の上に抱えて横抱きにして抱きしめる。
「すまなかった。」
少しの時間が経った後、先に口を開いたのは鳳珠。その声に後悔と悲しさがあるのを読み取って、[#da=2#]はハッとしたように鳳珠の顔を見つめる。
「守る、と言ったのに、守りきれなかった。しかもあんな…すまない。嫌な・・怖い思いをさせてしまった…」
壊物を扱うかのような戸惑いを含んだ抱擁から、鳳珠の気持ちが心に入ってくる。別の意味で胸が苦しくなって、ふるふると顔を振る。
「ちが、うの…わたくし、いつもみたいに対応できなくて・・・」
誰より大切で優しい人を、困らせてしまった。怒らせてしまった。
「絡まれ始めた時に、すごく嫌で・・・あんなふうに鳳珠以外に触られたのも初めてで…わたくしに触れるのは、触れていいのは鳳珠だけなのに…って…嫌で怖くなってしまったら何も言えなくなってしまって……心の中で、助けて、って……鳳珠、助けてって叫んでて…」
思い出して、また涙が溢れる。
「そうしたら…すぐにあなたが助けに来てくれた…」
そう、夕方とは違う涙。
「すごく…嬉しかったの…守る、って言ってくれた、約束守ってもらえて…ありがとう、ございます…」
多分泣きすぎてグチャグチャの顔だけど、精一杯の笑顔を作って微笑みかける。
無理に微笑む[#da=2#]は痛々しいが、それでもようやく微笑みを向けてもらえて目を細めたあと、鳳珠は自嘲気味に笑った。
「[#da=2#]が嫌な思いをしたというのに、私を呼んでくれたことが嬉しい、なんてな。」
もう一度、ギュッと抱きしめる。
「[#da=2#]…何度でも言おう、何度でも誓おう、お前は私が守る。だから、困った時はさっきのように心の中で私の名を呼べ。」
頬に手を添え、親指で涙を拭いながら鳳珠は真剣な眼差しで[#da=2#]の瞳を見る。
「あの時に、[#da=2#]の声が聞こえた。幻ではなくて、[#da=2#]が呼んでくれたから、気がついて駆けつけられた。[#da=2#]は私のものだ。必ず助けるから、私を呼べ。」
「いいの…ですか?」
「[#da=2#]は私のものだし、私も[#da=2#]のものだ。駄目なことがあるものか。[#da=2#]の全てを私が守る。愛するお前を守るのは私の役目だ。」
言い聞かせながら、心で誓う。
[#da=2#]は鳳珠の首に腕を回し、抱きついた。
嬉しさで心が震えて涙が止まらなくなる。
夕方から、ずっと、不安だった。
”ちょっと絡まれた”と言えばそれまでなのだが、うまく対処できなかったことで自分を責めていた。こんなこともうまく対処できないのであれば、彼の妻でいることが相応しくないのではないかと不安で仕方なかった。
「鳳珠……私はまだ…貴方の隣で、貴方を愛していてもいいですか?」
意を決して伝えた言葉は不安で震えていた。
思いも寄らない言葉に、しがみついている[#da=2#]を話して目を見張る。
「まだ、私を愛していいか…だと?」
引き離したてつぶやいた鳳珠に、[#da=2#]の瞳が揺れた。
「言っただろう、[#da=2#]は私のものだし、私は[#da=2#]のものだ。私は[#da=2#]を愛しているし、[#da=2#]が私を愛さないなど、認めない」
真っ直ぐに瞳を見つめて告げる。
「何が起ころうと、私の隣から離すことはない。命が尽きる時まで、いや、その後も[#da=2#]を愛し続ける。反対に…重すぎる私の愛の枷に、[#da=2#]は縛られていてくれるか?」
そうだ、私は嫉妬深いし、[#da=2#]の瞳にが他の男が映るのも許せないし、黎深や邵可様でさえ[#da=2#]に触れるのは許せない。
いつでも私だけを見つめてくれる瞳はわかっていたし、結婚してからも日に日に想いが増していたが、仮面に隠していたこれだけ重い愛を受け止めてくれるか、不安にも思っていた。
「わたくしがお慕いしているのは、貴方以外あり得ません。今までも、これからも…お傍にいさせてくださいませ…」
もう一度、首に手を回してしがみつく。
決して迷わない、離れないと心に誓って…
しばらく黙って抱きつかれていたが、心を閉ざしかけていた[#da=2#]が再び自分を受け入れてくれたことを感じたところで、鳳珠はもう一度[#da=2#]の肩を押して引き離した。
名残惜しそうな視線を受けて、目を細める。
片手は[#da=2#]の腰を支えて、もう片方の手で首筋を撫でる。
「ここに私以外の男が触ったとはな…」
[#da=2#]はビクッと拒絶反応を示す前に、鳳珠が首筋に唇を寄せて吸い上げた。
「んっ…」
突然のことに驚きながらも、きつく吸い上げられた快感に声が漏れる。
「跡、ついた」
悪戯っぽく笑った鳳珠は、そこを舐め上げる。
「えっ…そこだと、見えて…んあっ…」
「消毒、だ。」
紅い華をチロチロと舐め上げる。他の男の感覚など残してなるものか。
「[#da=2#]は私のもの、だからな。」
首筋から胸元へかけて、さらに紅い華を散らす。
「んんっ…あっ…だめ…」
散らした華を満足気に眺めて、寝台に横たえ、自分も入る。
「今日は一緒に寝よう」
抱きたい気持ちはあるが、また黒い炎が燃えてきて乱暴にしてしまって嫌われたくはなかったし、何より心がまだ弱っている[#da=2#]を追い詰めることはしたくなかった。
「明日、目が腫れるといけないな」
軽く抱き寄せて、少し前に侍女に渡されたよく冷えた手巾を瞼の上に乗せる。
「これだと…鳳珠のお顔が見えません」
小さな声で[#da=2#]は唇を尖らせて不満そうに告げた。
子供っぽい可愛い仕草にクスッと笑みが溢れる。
視界を防いでいるせいか、それに気づかずに続ける。
心も体も労ってくれていることは十分伝わっているのですけれど、と。
「今は…目も腫れてひどい顔になっているので、鳳珠に見せたくない顔してると思いますけれど……今は、鳳珠のお顔を見ていたい…だって……」
「だって?」
手巾で隠されている目は見えていないけれど、そっと手を伸ばして鳳珠の頬に触れる。
「きっと…わたくしを想って優しい顔をしていらっしゃるでしょう?鳳珠の瞳に泣き腫らして醜くてもわたくしが映っているでしょう?」
鳳珠の前では綺麗な自分を見せたい、と思っている。自分より美しい絶世の美貌を持つ男。敵わないとわかっていても、そばにいればいるほど恋する乙女のようになっている自分としては、少しでも綺麗な姿を見てもらいたいと思っていた。
今は、泣き腫らして醜い姿だけど、それでもあの黒曜石の瞳に映っているのが自分だけ、ということを確認することで、彼のものであると自覚したかった。
「こんな酷い姿を貴方に見せたいわけではないけれど…それでもわたくしを見つめてくださるのであれば、貴方のものと感じられるから…」
言いながら恥ずかしくなって、最後は小声になる。
急に視界が明るくなって目を細める。
「どうして、お前は…」
そんなに可愛いことを言うのだ、と極上の微笑みを浮かべた鳳珠が目に入ったのと同時に、まぶたに口づけを落とされた。