緑の風−2
「遅くなっちゃった」
兵部での仕事が長引き、そろそろ定刻に近くなったぐらいの時間に、[#da=2#]は急足で戸部に向かう。
(あれは…)
戸部が近づいてきたあたりで、少し遠くに見えた姿に、あらかじめ脇により、さっと略式の礼をとる。
程なくして足音が近づいて、顔を下げて地面を見つめている目の下で、足の動きが止まった。
「君は…。顔をあげていいよ」
指先が顎を捉え、顔をあげさせられる。
「可愛くて素直な子は好きだな…クスクス」
目の前には、先程目の端で捉えた門下省黄門侍郎の凌晏樹がいた。
「ねぇ君、最近、吏部やら戸部やらにやたら出入りして何やってるの?・・・門下省うちの手伝いもしてくれないかな」
指先ですうっと首筋を撫でられる。
背筋に冷たいものが走り、震えそうになるのを唇を噛み締めてがなんとか抑える。
(いや…触らないで…鳳珠!!)
「そんなに嫌そうな顔しなくても…可愛い顔が台無しだよ?」
(「鳳珠!!」)
悲痛な顔で自分の名を呼ぶ[#da=2#]の声が聞こえてバッと顔をあげた。
「…」
ここは執務室で、自分は仕事中。
気のせいだとすぐ気がついたが、あんな悲痛な声で叫ぶ桃華は今までに一度もなく、妙な胸騒ぎがする・・・
いつもだととっくに戸部に来ている時間だがまだ表れていない。
(「助けて…」)
もう一度声が聞こえた気がして、今度は迷いなく尚書室を飛び出した。
「ねぇ、門下省の手伝い、してよ。今も、戸部に向かっているんでしょう?書簡のやりとりが終わってからでいいからさ、少し僕のところに来てくれないかな?」
トン、と左腕が耳の横にきて壁際に追い込まれ、覗きこむように[#da=2#]の目を見てくる。
言い方は柔く優しく聞こえ、一見物腰も柔らかいが、瞳の奥に真綿でくるんだ芯に隠しもつ黒くて冷たい刃を感じ、さっと顔を背ける。
(鳳珠・・助けて・・・)
からかい終わったらこの人は去る。
知らない官吏や藍将軍に口説かれた時みたいな軽口は通じない相手。
ましてや、黄家や紅家と対立する貴族派…本人は中立を装って入るけれど…になるので、迂闊なことは言わない方が賢明だ。
ただし、黙っていてはこのままの状態。頭の中で持っている情報を整理しながら、どうやって躱すか考える。だが…
首筋の指がツゥ…とまた動く。
「…凌黄門侍郎は…わたくしに何をして欲しいのでしょうか?」
「ん?そうだねぇ、何がいいかなぁ…」
クスッと笑いながら考えるように上を向いてから視線を落とし、首筋から頬へと手を撫で上げていく。
「お戯れは…」おやめください、と言おうとしたところを別の方向から遮られた。