第九章〜VS楸瑛
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翌朝、修正した案を持って春麗の執務室を訪れた玉蓮は、机の前に立つなり少し緊張した顔で書類を差し出した。
「今度は三人です」
春麗が書類を受け取るより先に、玉蓮が言う。
「何がですの?」
「居住の確認をする人数です。昨日、聞かれたので」
「そうでしたわね」
「三人以上の証言があって、そのうち一人は同じ家に住んでいない人。それから、保証できるのは一人につき三世帯までにしました」
隣に立つ珀明が補足する。
「虚偽が発覚した場合は、その後の保証人資格を停止します。ただ、戸籍に載せるかどうかとは切り離して、まず救済対象として仮登録する形です」
春麗は二人の説明を聞きながら、一枚ずつ書類をめくっていった。
昨日より格段に具体的になっている。
最後まで目を通したところで、玉蓮が恐る恐る尋ねた。
「どうでしょうか」
春麗は少し黙ってから、書類を机の上へ置いた。
「これなら試せますわ」
玉蓮の顔がぱっと明るくなる。
「本当ですか?」
「ただし、まず今回の被災地区だけです。問題が起きればすぐに修正します」
「はい!」
「それから景官吏」
「はい」
「制度というものは、一度作れば終わりではありません。作ったあとに問題が起きないかを見るところまでが仕事ですわ」
玉蓮は一瞬だけ考え、すぐに頷いた。
「覚えておきます」
その返事を聞いた春麗も、小さく頷き返した。
楸瑛は少し離れた場所からその様子を眺めていたが、玉蓮がこちらへ振り返ると、いつもの笑みを浮かべた。
「おめでとう、景官吏。州尹のお墨付きだ」
「藍将軍は何もしてませんけどね」
「護衛したじゃないか」
「昨日はちゃんとしてましたね」
「昨日は、って強調する必要ある?」
玉蓮がにこりと笑う。
「あります」
楸瑛は胸を押さえた。
「春麗殿。この子、最初に会った時より随分容赦がなくなった気がするんだけど」
「藍将軍への扱いを覚えただけではありません?」
「それは喜んでいいのかな」
「わたくしには何とも」
春麗まで味方をしてくれないらしい。
楸瑛が大袈裟にため息をついたところで、珀明が机の上の書類をまとめ始めた。
「これ、現地にも説明しに行くんですよね」
「ええ。今日のうちに」
春麗が答える。
玉蓮もすぐに立ち上がった。
「じゃあ行きましょう、碧官吏」
「待て」
「はい?」
「お前、昨日も一昨日も同じ勢いで飛び出そうとしただろ」
「今日は藍将軍もいます」
「そこじゃない」
楸瑛が笑う。
「随分心配性だね、碧官吏」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「私かな?」
「他に誰がいるんです」
「碧官吏」
玉蓮が袖を軽く引く。
珀明が振り向くと、玉蓮は不思議そうな顔をしていた。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
「お前が言うと全然安心できない」
「どうしてですか?」
「自覚がないからだ!」
また声が響いた。
結局、四人で貧民街へ向かった。
昨日までとは違い、今日は住民たちの方からこちらを気にしている。柳静から話が広まったのだろう。
その柳静は、焼け残った家の前に立っていた。
玉蓮を見つけると、少し警戒した顔をしたあと、すぐに視線を逸らした。
「また来たのかよ」
「来ました」
「暇なのか?」
「仕事です」
「それ仕事なのかよ」
「一応」
「一応って言うな」
珀明が横から突っ込む。
玉蓮は気にせず、持ってきた書類を柳静に見せた。
「昨日話してくれたこと、こちらの州尹様に伝えました」
少年の顔が少し強張る。
「それで?」
「柳静と柳鈴は、救済対象として登録し直します」
柳静はしばらく何も言わなかった。
「……本当に?」
「はい」
「金、取られたりしない?」
「取られません」
「あとでここから出ていけとか」
「言いません」
「ほんとかよ」
「本当です」
即答する玉蓮を、柳静は疑わしそうに見つめる。
すると楸瑛が横から口を挟んだ。
「疑うのは悪いことじゃないよ」
柳静が睨む。
「誰だよ」
「ただの護衛」
「藍将軍ですよ」
玉蓮が即座に訂正した。
「言わなくていいのに」
「嘘はよくないです」
「景官吏は妙なところで真面目だね」
柳静は二人を交互に見て、少しだけ肩の力を抜いた。
「……じゃあ信じる」
「はい」
「でも、もし嘘だったら」
「州府に来てください」
「お前のところ?」
「はい」
柳静は少し考えてから、ふっと笑った。
「じゃあ棒持って行く」
「それは禁止です」
玉蓮が即答すると、今度は柳静が声を上げて笑った。
その日のうちに、記録から漏れていた住民たちの仮登録が始まった。
大きな改革というほどのものではない。
救われる人数も、州全体から見ればわずかだった。
それでも、昨日まで帳簿の上では存在していなかった者たちに、名前が戻った。
夕方、州府への帰り道で、玉蓮は何となく後ろを振り返った。
「どうした?」
珀明が尋ねる。
「いえ」
玉蓮は少し考えたあと、笑った。
「官吏の仕事って、もっと大きなことをするものだと思ってました」
「大きなこと?」
「国を動かしたり、すごい制度を作ったり」
楸瑛が横から笑う。
「夢が大きいね」
「でも実際は、名前を一つ帳簿に足すだけの日もあるんですね」
珀明は少し黙った。
「その一つで助かる奴がいるなら、それも仕事だろ」
玉蓮が顔を上げる。
「碧官吏、いいこと言いますね」
「珍しいみたいに言うな」
「珍しくはないです」
「ならいい」
「たまにです」
「景官吏!」
玉蓮が笑いながら少し先へ逃げる。
珀明が追おうとすると、楸瑛が横から肩を叩いた。
「楽しそうだね」
「どこがですか」
「随分面倒見がいいじゃないか」
「放っておいたら何するかわからないだけです」
「ふうん」
その言い方が妙に含みを持っていたので、珀明が怪訝そうに睨む。
「なんですか」
「いや、別に」
楸瑛は笑って先を歩く玉蓮を見た。
最初は、少し珍しいだけの娘だと思っていた。
景侍郎の娘で、女人でありながら国試を通り、それでもどこか世間知らずで危なっかしい。
けれど、実際は少し違う。
知らないからこそ聞く。
わからないからこそ決めつけない。
そして一度気づいたことを、そのままにはしない。
「景官吏」
呼ばれて、玉蓮が振り返る。
「はい?」
「君、もう少し警戒心を持った方がいいよ」
唐突な言葉に、玉蓮が瞬いた。
「またその話ですか?」
「大事な話だからね」
「持ってますよ」
「どこに?」
「ちゃんとあります」
「昨日、君を殴ろうとした子供のところへ平気で近づいていたけど」
「藍将軍がいましたから」
楸瑛が僅かに目を細めた。
「私を信用してる?」
「護衛としては」
「その言い方、何か引っかかるな」
玉蓮は少し笑った。
「でも昨日は、ちゃんと守ってくださったでしょう?」
「昨日は?」
「はい」
「一昨日は?」
「姫州尹に怒られてました」
「……景官吏」
「はい?」
「君、意外と根に持つね」
「そうですか?」
玉蓮は首を傾げる。
その顔には本当に悪意がない。
楸瑛はしばらく彼女を見たあと、とうとう笑った。
「参ったな」
「何がです?」
「いや。こっちの話」
その夜。
玉蓮は宿舎の机に向かい、一通の文を書いていた。
今日までの出来事を簡単にまとめ、最後に少しだけ考える。
そして別の紙を取り出した。
珠と蓮の透かしが入った、自分だけの料紙だった。
筆を取る。
――葵御史太夫様。
そこまで書いて、止まる。
何を書けばいいのかわからない。
仕事の報告なら正式な書状で送ればいいがそういう対象ではないし、わざわざ個人的に書くほどのことでもないような気がする。
しばらく悩んだ末、玉蓮は一度書いた文字を見つめた。
「……元気です、でいいかな」
独り言を呟き、料紙のお礼を書き、その下に続ける。
――黄州は思っていたより忙しいです。でも、今日は一つだけ仕事ができました。
お忙しいと思いますが、お身体にお気をつけてください。
そこまで書いて、玉蓮は満足そうに頷いた。
そして、もう一通。
今度は迷わず書き始める。
――鳳珠様へ。
玉蓮の口元が、にやりと上がった。
瑞蘭から聞いた、とっておきの話がある。
黄州に来てから忙しく、まだ知らせていなかったのだ。
――春麗様はこちらに来てから、鳳珠様のお室で兎を抱いてお休みになるそうです。
書き終えて、玉蓮は満足した。
翌朝、その文が貴陽へ向けて送り出されたことを、春麗はまだ知らない。
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