第九章〜VS楸瑛
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柳静と柳鈴から話を聞いたあと、玉蓮たちはその周辺の住民にも同じように聞き取りを行った。最初こそ警戒されていたものの、柳静が官吏と話しているのを見ていたからか、ぽつりぽつりと口を開く者が現れ始める。
結果は、予想以上に酷かった。
「……十二世帯」
州府へ戻った珀明が、集めた記録を机の上へ置いた。
「少なくとも十二世帯で、実際に受け取った救済金と帳簿の記録が一致していません」
春麗の表情が険しくなる。
「すべて同じ者が処理していますの?」
「はい。救済金の支給確認を担当した官吏は同じです」
玉蓮が差し出した書類には、一人の官吏の名が何度も記されていた。火災当時、救済事務を担当していた州府の下級官吏である。
楸瑛が横から覗き込み、軽く眉を上げた。
「随分わかりやすいね」
「わかりやすすぎませんか?」
玉蓮の一言に、珀明も頷く。
「俺もそう思います。横領するにしては雑すぎる」
春麗は少し考えたあと、すぐに命じた。
「本人を呼んでくださいませ」
ほどなくして連れて来られた男は、五十を過ぎた痩せた官吏だった。玉蓮が帳簿の数字を一つずつ読み上げるほどに顔色を失い、最後には俯いたまま何も言わなくなった。
「柳達は火災で死亡しています。でも救済金を受け取ったことになっています」
玉蓮が帳簿を閉じる。
「そのお金は、誰に渡したんですか?」
男は答えなかった。
春麗が静かに名を呼ぶ。
「顔を上げなさい」
州尹の声に、男はゆっくりと顔を上げた。
「横領したのですか?」
「……違います」
「では、誰に渡したのです」
しばらくの沈黙のあと、男は観念したように口を開いた。
「誰にも、渡しておりません」
玉蓮が瞬いた。
「え?」
「金そのものが、十分に届かなかったのです」
部屋の空気が変わった。
珀明が身を乗り出す。
「どういう意味だ」
「州府に割り当てられた救済金では、届け出のあった者全員を救えませんでした。食糧も、薬も足りなかった。戸籍のない者など、とても手が回らなかったのです」
「それで、死人の名前を使ったんですか?」
玉蓮が問う。
男は苦しげに頷いた。
「帳簿上だけ支給したことにしました。不足を知られれば、私の責任になる。上に追加を願い出ても、すぐには届かない。だから……」
「誤魔化した」
珀明の声は冷たい。
「はい」
春麗は一度目を伏せ、それから厳しい声音で言った。
「事情があったとしても、記録を偽ることは許されませんわ」
男は深く頭を下げた。
「承知しております」
「ですが、あなた一人だけの問題でもありません」
その言葉に玉蓮が春麗を見る。
春麗は帳簿を手に取り、静かに続けた。
「不足を不足として報告できない仕組みならば、次も同じことが起きます。処罰については追って決めます。それまで職務から外れなさい」
男が連れ出されると、玉蓮は少しだけ唇を尖らせた。
「悪い人じゃなかったですね」
「だからといって許していいわけじゃないぞ」
すぐに珀明が言う。
「わかってます。でも、もっと嫌な人だと思ってました」
「どんな奴を想像してたんだ」
「救済金で美味しいもの食べたり、大きな家を建てたりする人です」
楸瑛が吹き出した。
「景官吏は悪人の想像が随分わかりやすいね」
「悪い人ならそれくらいしてください」
「注文をつけるところなのかい?」
春麗まで笑いそうになるのを堪えながら、書類を玉蓮へ返した。
「ともかく、問題は見つかりました。次はどう直すかですわ」
玉蓮は書類を受け取ったものの、すぐに首を傾げた。
「救済金をもう一回配るだけじゃ駄目ですよね?」
「当然だ」
珀明が即答する。
「今回足りなかったなら、また火事が起きた時も同じことになる」
「じゃあ、最初から戸籍にいない人も数えないと」
「簡単に言うな。戸籍にない者まで無条件に加えれば、不正申告が増える」
「でも、住んでるのにいないことにするのも変です」
「だから確認方法を作るんだ」
「なるほど」
二人がそのまま議論を始めるのを見て、楸瑛が春麗のそばへ寄った。
「息が合ってるね」
「そうでしょうか?」
「本人たちは気づいてなさそうだけど」
春麗は二人を見て、少しだけ笑った。
その日の夕方には、玉蓮と珀明が簡単な案をまとめた。
焼失地区に限り、正式な戸籍がなくても複数の住民から居住の確認が取れれば、仮の救済対象として登録すること。救済金が不足した場合は、担当官吏個人の判断で帳簿を処理せず、上長を通して最終的には州尹まで報告を上げること。そして今回記録から漏れていた者たちについては、改めて戸籍調査を行うこと。
春麗は案を読み終えると、すぐに一箇所を指した。
「ここ。『複数の住民』とは何人ですの?」
「え」
「二人ですか、三人ですか。それとも十人?」
玉蓮が黙る。
「それから、虚偽の証言をした場合は? 同じ者が何度も別人の保証人になれますの?」
「……考えてませんでした」
「では考え直しなさい」
「はい……」
あっさり返された書類を抱え、玉蓮はしょんぼりと席へ戻った。
楸瑛が面白そうに覗き込む。
「厳しいね」
「藍将軍は他人事だから楽しそうですね」
「私は武官だからね」
「便利ですね、その言葉」
「景官吏、だんだん私への当たりが強くなってないかい?」
「気のせいです」
即答され、楸瑛は目を細めた。
「昨日まで私を見ると少し緊張していたのに」
「藍将軍が思ったより普通の人だとわかったので」
「それは褒めてる?」
「半分くらいは」
珀明が横から口を挟む。
「仕事の邪魔をしないでください」
「碧官吏まで冷たいな」
「先日のことを忘れたんですか?」
「忘れてはいないよ」
楸瑛はそう言うと、ふと玉蓮を見た。
「でも、景官吏」
「はい?」
「君は随分簡単に人を信用するんだね」
玉蓮は首を傾げた。
「そうですか?」
「あの子供も、救済担当の官吏も。話を聞けば、すぐに相手の事情を考える」
声は軽いが、目は笑っていない。
「それは時々、危ないよ」
玉蓮は少し考え、それから手元の書類へ目を落とした。
「信用してるわけじゃないですよ」
「へえ?」
「わからないから聞いてるだけです」
楸瑛が黙る。
「最初から悪い人だって決めたら、その人が悪くない時に困るし、最初から良い人だって決めたら、本当に悪い人だった時に困るでしょう?」
玉蓮は筆を持ち直した。
「だから、決める前に調べればいいんじゃないですか?」
ほんの一瞬、楸瑛の目が丸くなる。
それから小さく笑った。
「なるほど。私の方が君を甘く見ていたらしい」
「私がここへ来てからずっとそうじゃないですか?」
「言うようになったねえ」
「藍将軍のおかげです」
「それは光栄だ」
「褒めてません」
今度こそ珀明が吹き出した。
楸瑛がそちらを見る。
「碧官吏、今笑っただろう」
「笑ってません」
「絶対笑ったよね?」
「気のせいです」
玉蓮まで笑い出し、楸瑛はとうとう肩を竦めた。
「君たち、随分仲良くなったな」
「なってません!」
珀明の声だけが、州府の廊下までよく響いた。
