花は紫宮に咲く−2
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邵可は黎深に何も言われないまま戸部に着き、更に奥の立入禁止の札がかかった部屋に連れていかれる。
扉を閉め、黎深が小声で「鳳珠」と声をかけると、長椅子の前にしゃがんでいた黄尚書が立ち上がり、寝ている春麗が見えた。
邵可は眉間に皺を寄せる。
素顔の黄尚書は略礼したあと「少し待ってください」と言い、手巾を濡らして春麗の目元にのせたあと、仮面をつけてこちらへ、と言って部屋を出て尚書室に移動した。
「邵可殿、そちらに座っていてください。黎深も」
と言って、茶の用意をする。
黎深はさっさと座り、向かい側に邵可も腰掛けた。
「兄上、兄上はなぜ秀麗偏重主義なんですか?」
黎深の突然の質問に、邵可は首を傾げる。
「秀麗偏重主義?なんだい、それは?」
「わかっていないんですか?兄上は完璧に感情を制御できるはずなのに、なぜ春麗のことになると崩れるんです?兄上は…春麗だけは見ていない」
「…」
「今回の件、春麗より秀麗と杜影月の方が風当たりが強かったのは事実です。陰湿なイジメも、課題の量も、命を狙われたのも。春麗はそれがわかっていたから2人をかなり手伝ったし、毒物は杜影月と春麗が取り除いていた。兄上がご存知の通り、途中から碧珀明も課題は手伝っていた。」
邵可がうなずいたので、続ける。
「秀麗が府庫に泊まり込みをして仮眠をとっていたから、兄上も泊まりこんでたのでしょう?違う室で、見張り役として。春麗は…同じ部屋で、見張り役としてずっと起きていた」
「!でも、私が見に行った時は寝てたが…」
「だから、兄上は春麗を見ないと言ったのです。寝たフリですよ!それは。書き物の途中で寝てしまったのを装ってただけです。春麗は…寝る場所さえなかったんだ。普段の兄上であれば、それに気づかないはずがない」
一度話を切るように、黄尚書は茶を配り、黎深の横に座った。
「春麗は午後は戸部か礼部か吏部にいましたからね、時折ですが私が尚書室で無理矢理寝かせていました。それでも半刻か一刻。春麗の話では寝れない日が続いた時は、夜は戸部でも鳳珠に無理矢理寝かされていたようです」
「それは…二人には申し訳なかった」
「これから、配属されたら春麗はさらに茨の道です。正直、兄上の邸での家事全般も負担になる。昔は一度断られましたが、今回は事情が事情です。私の邸で春麗を引き取らせてもらいたい」
黎深はいつになく厳しい表情で邵可を見つめた。
「黎深、それはだめだ。秀麗になんと説明する?絳攸殿が板挟みになるだろうし、君は秀麗に名乗る気はまだないんだろう?それに、仮に名乗ったとしても、秀麗と扱いが変わるのは私は望ましくない」
「だから秀麗しか見ていないと言っているんです!幼い頃にいくら身体が弱かったからといって、あれだけ秀麗にかまっていて春麗は放ったままだった。あの時はまだ春麗を見る義姉上がいたが、今はもういない。でもまた同じことが起こっている。兄上は春麗が潰れてもいいんですか?」
黎深は本気で怒っている。
邵可にはそれがわかっているが、まだ幼い春麗に知られたくない過去を見透かされそうになってから、どうしても春麗を避けてしまうのだ。
長い沈黙が続く
「人の家の事情に他人が口を挟むのは良くないとわかっているが…」
それまで黙っていた鳳珠が口を開いた。
「そういうことであれば、私の邸で預かりましょうか?うちであれば室も多いし、侍女もたくさんいるし、喜んで世話をするでしょう。人事はギリギリまでわからないが、彼女は戸部配属で希望を出しているし、戸部としても…初めから受入を要請しています。部下の健康管理は上司の勤めでもある。ただし無理矢理という気はないので、邸に来るか来ないかは本人に判断させる、ということでいかがでしょうか?」
「鳳珠…」
黎深は何か言おうとしたが、鳳珠の
「私から提案があった、と言えば黎深の邸に行くより、秀麗には説明しやすいだろう。それに、うちであれば、秀麗がいる時もある邵可殿のお邸より、お前も様子を見にきやすいと思うが?」
という一言で黙った
重苦しい間があり、邵可は口を開いた。
「黄尚書、もし春麗がご厄介になると決めたら、その時はよろしくお願いいたします。ご迷惑をおかけしますが、何卒…」
邵可とて、春麗が嫌いなわけではなく、心配なのは秀麗と同じである。
春麗が…”人として”なのか、”男性として”なのかはよくわからないが、鳳珠に心を開いているであろうことは知っていた。
また、鳳珠の人品についても、問題ないということもわかっている。
「わかりました。折を見て、私から話しておきましょう。おそらく配属発表の後になるかと思います」
”コンコンコン”
尚書室の扉が叩かれる。
鳳珠が足をむけ少し開けると柚梨が
「起きたみたいです。ちょっとだけ扉を開けて、すぐに閉めてしまいましたが。定刻は過ぎたので、他の者は早めに帰らせました」
と告げる。
目の端で二人を見ると、黎深は扇を開いて、何かボソボソ言っていた。
そのまま室を出て、仮眠室を叩いて声をかけて中に入る。
長椅子に両膝を抱えて小さくなって春麗は座っていた。
「一刻半か。もう少し寝かせたいところだが長椅子だからな。気分はどうだ?身体は痛くないか?」
水を入れてやり茶杯を手渡す。
「ありがとうございます、ご迷惑をおかけしました…」
「全く、あれほど無理はしないでくれと伝えたのに、また無理をしたな」
ぽん、と頭を叩くと「ごめんなさい…」と小さく呟いた。
「食事はきちんととっているか?さっき運んだ時、以前よりさらに軽くなっていて驚いた」
「少しは…」
「どのぐらい?」
「・・・」
春麗は答えられなかった。
睡眠不足により神経が昂っていて、午は菓子を少々、夜は魯官吏の差し入れを半分程度しか食べていなかったのだ。
「睡眠不足と栄養失調だな。全く、そんなんではこの先、やっていけないぞ?」
「はい…気をつけます…」
春麗は、手巾をぎゅっと握って何か言いたそうにしていた。
「どうした?」
「あの、今日、お仕事できなくて、ごめんなさい」
じわり、と涙が浮かぶ。
「気にするな。今回の件は本当によくやっていた。というか、やりすぎだ」
頭を撫でて「よく頑張ったな」というと、ぽろりと涙が溢れた。
ずっと張り詰めていた緊張の糸が切れたらしい。
手巾を目元に当てながらポロポロ泣く春麗をそっと抱き寄せて、落ち着くまで背中を撫でてやった。