はじまりの風−2
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どうやら、身体を動かした後は楽か舞で荒ぶった気持ちを収めたくなるらしい。
今日も薄紅の衣に銀の花簪の装いで、昨夜と同じ庭院に琵琶を持って座る。
とはいえ、やはり曲は奏でる気にならず、昨夜と同じように浮かぶままに音を奏でる。
今朝からの出来事を心の中で追おうとして、黄尚書に”天寿”として手首を捉えられた時のことを思い出し、音が止まる。
再び奏で始めた時は、また少し異なる音色になっていた。
カサリ…と音がして、背後に人影が立った。
振り返らなくてもわかる、昨日と同じ気配。
背中に緊張が走る。
「今日は、振り返ってくれないんだな」
少し寂しそうな、綺麗な声が聞こえる。
(あぁ、今日も素顔…)
春麗はそっと瞳を閉じて小さく一呼吸した後、答えの代わりに、音を奏でる。
「君の音色は、昨夜は川をゆっくりと流されているような、不安げで心許ない音だった。今夜は、その中にわずかな戸惑いがあるように聴こえる」
(!!)
明らかに動揺して手が止まる。
どうして、音一つでそこまで正確に読み取ってしまうのかしら?
琵琶を持って、振り返る。
思ったより近くにいた人は、ハッとした表情をして、距離を詰めてきて右手を伸ばされる。
少し体温の低い冷たい指先がそっと頬に触れる。
親指で涙を拭われて、初めて涙が出ていることに気づいた。
(どうして?)
どうして、涙がでるのか、どうして、心が落ち着かないのか
わかるようで分からず、少し驚いた表情で美しい顔を見上げた。
「泣いているのに気づかなかったのか?泣きたい時は、泣けばいい」
その言葉がきっかけとなり、ポロポロと涙が溢れ出す。
少し下を向いて琵琶をギュッと抱えて涙を流していると、ふんわりと周りの空気が温かくった。
黄色い衣に包まれて、そっと頭を撫でられていると気がついたのは、少ししてからだった。
(やはり、この姫は…)
鳳珠の中で疑問が確信になっていく。
ずっと昔、まだまだがんぜない幼女だった頃に、縋り付いて大泣きした姫。
確か”声を上げて泣かない”と言われていた。
「……グスッ……んん…」
あの時はその前の発言からか、慕われた嬉しさより戸惑いの方が大きかったが、腕の中の大人になった姫がほんの少しだけ小さな声を出して泣いてくれているのを、今はほんの少し嬉しく思う。
おそらく、顔で気がついているだろう。
一方で、私が気づいていないと思っているだろうが。
おそらく、この後に名を聞いても、また名乗らずに走り去るだろう。
いつか言葉を交わす日が来るとは思うが、今仕掛けることでもないと思い、そっと頭を撫でた。
程なくして、泣き止んだのか、顔を上げてきた。
子供の時は泣いたまま寝てしまうこともあったが、泣き止んだ後、決まり悪そうな表情で見上げてくるところは昔と変わっていなかった。
少しだけ懐かしい感覚に口角を上げて、目元に残る涙を親指で拭い、「遅いから気をつけて帰りなさい」と言い残して、衣を翻して歩き出す。
後ろからふと手を掴まれて、足を止めて振り返る。
「あの…ありがとうございました」
小さな声でおずおずと礼を言ってくれた。
大人びた美しい風貌からは少し離れた、おそらく年相応の表情で。
ぽんぽん、と頭をたたいて「おやすみ、良い夢を」と告げて、その場を去った。