青嵐の月草−1
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葵皇毅に”近づくな”と言われた後宮に慎重に足を踏み入れる。
最も、まだ藍家の姫が到着したという噂は聞こえてきていなかったため、そこまでの警戒は不要だろう。
次に来るときは戸部官吏として。
私的に来ることができるのは今しかない。
春麗には秀麗のこと以外に、もう一つ気がかりなことがあった。
目当ての室の前にたち、扉を叩いて声を掛ける
「春麗です。珠翠様、いらっしゃる?」
扉を開けて珠翠が目を丸くする
「まぁ春麗様…お珍しい、どうぞ。それより、珠翠様はやめてくださいっていつも言っておりますのに…」
春麗はふふっと笑って、「では珠翠、お邪魔します」と珠翠の室に入る。
珠翠は黙ってお茶を淹れた。
いつみても優雅な仕草だわ、と春麗も見惚れる。
「本当に綺麗な所作ね、わたくしも見習わなくては」
「まぁ嫌ですわ、春麗様こそ完璧ですのに」
こういう会話はいつぶりかしら、と春麗は頭の片隅で考える。
思い返してみたら、瑞蘭やたまに会う玉蓮、秀麗以外、女性とほとんど話していなかった。
そしてこの3人は女性らしい会話を楽しむ関係性でもない。
珠翠の淹れたお茶は茶葉も最高級で、その味を十分に引き出すお手前だった。
「ふぅ、相変わらず美味しい…」
「よかったですわ。春麗様のご活躍は、常々聞いておりますよ」
「ご活躍だなんて、そんな…主に藍将軍から?」
「え、ええ」
珠翠の表情と声が急に硬くなる。
「でも、最近はいらしていないでしょう?」
「そうなんです。まぁ、こちらとしては厄介ごとが減るので助かりますけれど…」
「代わりに、なのかしらね、藍家の姫が入られるのは。女官見習いというからあなたも忙しいんじゃない?」
「ご存知、でしたか…」
春麗はクスリと笑って、またお茶を一口飲んだ。
「えぇ。おかげさまで話は入ってきやすい立場なのでね。もう戸部から警備の現地確認の依頼は来ているかしら?」
「はい、昨日いただきましたわ」
「そう、わたくしも時間が合えば同行するつもりですけれど、ダメな時は景侍郎と誰かが来ると思いますので、その際はよろしくお願いしますね。それから…今回、秀麗も絡むのかしら?」
珠翠は流石に目を丸くした。
その様子に、少し先走りすぎたか、と春麗は気がついて付け加えた。
「あぁ、詳しくは知らないわ。ただ…この前、御史台長官様から”しばらく後宮には近づくな”って言われたものだから、おそらくそうなのではないかと思っただけよ」
「そういうことならお話ししますが…御史台から話は来ています。おそらく、秀麗様も関わることになると…」
「知っての通り、あの子はわたくしと違って、武はさっぱりです。今回は、わたくしは手伝えない。無理のない範囲でお願いしますね…」
「そこはもう、任せてください」
珠翠はキッパリと言い切って顔を上げた。
「でも…珠翠もだいぶお疲れのご様子。夜の眠りが浅いのではないですか?」
「そ、そんなことありません。大丈夫ですよ?」
「誤魔化しても無駄です。少しやつれたように見えますし、目の下も…お化粧で隠していると思いますけれど、見る人が見るとわかってしまいますわよ。まぁ父様は気付かないと思うけど、きっと秀麗ですら気づくわね」
「…」
珠翠は下を向いて黙った。
(春麗様は私のことについて、どこまでご存知なのだろうか…邵可様に確認しておいたほうがいいかもしれない)
「ご心配、ありがとうございます」
「無理のない範囲で、ね。おそらく、わたくしはもう後宮にはしばらく来られないと思います。近寄るなと言われていますし、ここだけの話、少し前から御史台に探られているので…珠翠にも藍家にも、立場上、迷惑はかけられないから」
(それから、鳳珠様にも…)
「どうしてもの時は、戸部に書翰を送ってもらうか、父様のところへ知らせてください。個人的なことでも構わないわ」
「でもそれでは、春麗様のご迷惑になりませんか?」
「戸部であれば…大丈夫ですわ。わたくしたちがお世話になっている珠翠のためだもの、何か役に立ちたいわ。と言ったところで、きっとあなたは言ってこないでしょうけれど」
ちょっと寂しげに笑って、「お茶、ごちそうさまでした。また」と春麗は室を出ていった。
残された珠翠は、今の会話をもう一度脳内で再生する。
(春麗様は一体、何を言いたかったのか…もしかしたら、藍家の姫はきっかけで、わたしのことを?)
愛した、大切な人たちの一人。
私が頼らなければこれが最後の会話になるかもしれないことを知って、わざわざ足を向けてくれた、と気がついた。
(もう少し、もう少しだけ…)
でも、リオウに会ったことで、もうネジの音は止まってしまった。
残された時間はいくばくもない。
それを知ってか知らずかはわからないが、それでも自分を大切に思ってもらえることに胸が熱くなって、珠翠は泣きそうな顔をして一人笑った。