▽『初めて自分の為に作ってくれたんだもの』

 コンコンと部屋の中にノックの音が転がる。ベッドの縁に腰掛けながら読んでいた本に手作りの栞を挟んで、棚に戻しながら「どうぞ」と声を掛けた。

「那須くん。少しお時間ありますか?」
「教祖様」
「あの、その……」

 夜中の消灯時間前の束の間の自由時間。こちらから彼の部屋に赴くことはよくあっても、逆というのはあまり無い出来事なので、思わず勢いよく立ち上がり小走りで駆け寄る。小声でゴニョゴニョと少し言い淀む彼に何があったのだろうかと、真剣な表情で「どうしましたか」と声を潜めて尋ね返す。

「……おにぎりを作ろうかと思いまして」
「おにぎり」

 消灯時間ももうすぐだというのに?と思いながら、口元の笑みを崩さず申し訳なさそうに眉根を寄せる相手をじっと見つめる。これはきっとアレだろうか。幹部である真菰や鬼灯に差し入れ用の夜食でも作ってあげたいという彼の気遣いなのだろう。あの人達も割とこんを詰めがちな人間だから。
 ピンとひらめき、「もしかして」と考えていることを伝えれば、この拝手教の教祖である年若い青年、深空礼生は静かに頷いた。
 考えてることは同じなんだなぁと思いつつ、少し嬉しくなりながら「おっきいおにぎりを作ろう!」と笑い返せば、彼も自分の笑みにつられるよう少しリラックスした微笑みを浮かべていた。

「――まずは真菰くんにバレないように炊き立てのご飯を用意します」
「教祖様三分クッキング始まっちゃった」
「事前にタイマーを設定していたご飯がこちらです」
「段取りが良い」

 食堂横の台所でガコッと勢いよく電気釜の蓋が開く。ホカホカと湯気立つ釜の中からは、蛍光灯の光を受けてツヤツヤと輝く粒揃いの米がこちらに挨拶をしている。新米かなと思いつつ、しゃもじを手にほぐし始める幼馴染をチラと見る。
 心なしか少し楽しそうなのは、きっと気のせいでは無いだろう。海苔や中に詰める具材が必要かなと、冷蔵庫の中や乾物を保管している棚なんかを物色してみる。
 孤児院の子供達向けなのか味付海苔と、奥の方に『高級』『鬼灯専用』と書かれたお高そうな海苔を見つけた。きっと晩酌用にこっそり用意したのだろう。海苔の善し悪しは全く分からないが、見つけてしまったからにはちょっと食べてみたいなと素知らぬ顔で作業台の上へ置いた。

「ねぇ、まる」
「うん?」
「まるは、おにぎりの具って何が一番好き?」
「……ちょっと待ってね」
「うん」

 手を濡らし塩を擦り込んでおにぎりを握り始めている彼からの唐突な質問に、少し考えこんでしまう。
 残り物の焼鮭をゴロゴロと大きめにほぐして詰めるのが好きだ。真菰が『勿体無いから』と、出汁を取った後のしっとりした鰹節に味をつけたおかかだとか、昆布を刻んで甘辛く煮た、彼が作ってくれるお惣菜が結構好きだ。怒々峰とたまに地域貢献として近隣の高齢者宅に手伝いに行った際、お裾分けされる自家製のちょっと甘い梅干しが好きだ。

「早くしないと全部握っちゃうよ」
「待ってー。沢山あるから甲乙つけがたい……」
「ふふふ」

 リズム良くぎゅっぎゅっと握っている光景に焦りながら、遠い記憶を遡る。

「……たまごふりかけの、おにぎり?」
「ふりかけ?」
「うん」
「……おにぎりの具じゃ無いけれど、ふりかけで良かったの?」
「れおくんが初めて作ってくれたやつだからね」
「……」
「あっ、これおにぎりの具じゃないな!待って今の無しね!」

 ワンテンポ遅れて気づく。相手はきょとんとした表情を一瞬浮かべていたが、やり直しを求めるとまたすぐフッと息を吐くように笑った。慌てて「鮭!残り物の鮭が好きだよ!王道だよね!」と訂正したのだが、深空は「はいはい」とニコニコ嬉しそうに笑っている。これは必死になって弁明すればするほど滑稽なやつだと思いながら、それ以上多くを言うまいとキュッと唇を引き結ぶ。

「まる、海苔ってあるかな?」
「……高級海苔ってどうやって食べると一番美味しいの?」
「えーと……軽く炙って、磯の香りと味を楽しむ……らしいよ?」
「鬼灯さん情報?」
「鬼灯さん情報」
「じゃあ炙るかぁ……」
「ん?まる?もしかしてその海苔って、」

 とやかく言われる前に、さっさと数枚取り出し、オーブントースターに放り込んで直炙りする。熱したせいか、取り出した時ふわりと磯の香りが辺りに漂った。成程これは美味しいやつに間違いない。味付き海苔も好きだが、これはイケてる大人への第一歩という気がする。

「まる?」
「内緒だよ」
「あぁ……鬼灯さんごめんなさい……」

 作業台の上に置いてある海苔のパッケージに書かれた名前を見て、彼は察したようだった。「共犯だからね」と自分史上悪そうな顔をして人差し指を左右に振る。相手は困ったように笑っていたが、仕方無さそうに肩をすくめてみせた。クックックと悪く笑いながら彼が握ってくれたおにぎりに海苔を巻き、アルミホイルで包んでいく。

「……そういえばおにぎりってラップで包む派とアルミホイルで包む派がいるよね」
「そうだね」
「公善さんはラップにペンでお絵描き派なんだって」
「へぇ」
「『おにぎらず』ってやつもあるんですよ、って教えてもらった」
「おにぎらず?」
「サンドイッチみたいな見た目だったよ」
「ふぅん……」

 作業をしながらする雑談の心地よさを感じながら、三つ四つと多くのおにぎりをホイルで包んでいく。人のことは全く言えないが、働きすぎなあの大人達の活力になりますようにと少し念を込めておく。突如始まる怪しげな行動に何をしてるのかとツッコミを入れられたが、「愛情注入中」と大真面目に回答すれば、これもまた珍しく彼が声を上げて笑うのだった。
 願わくば、この人達が笑顔で元気良く毎日を過ごす糧になりますように。
 最後のひとつに、とびきりの愛を込めた。
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