▽真夜中のごはん

「――真菰まこも!久しぶりにご飯作ろうと思うんだけど何食べたい!?」
「あぁ……?んだよこんな時間に騒々しい」
「ごはぁん!」
「聞こえてるっつの」

 勢いよく開く自室のドア。弾丸のように、勢いよく自身が向かい合っている作業机の前までやってくる影。
 表情だけではなく、声からもウキウキと嬉しそうな調子が伝わってくる突然の来訪者に少し呆れた視線を向けながら、丁度手に持っていた書類を挟んでいるバインダーでコツンと相手の頭を軽く叩く。
 相手は同じ孤児院出身の幼馴染――名を那須まると言う。少しウェーブのかかった彼女の短い髪が、興奮して動き回る度にふわふわと軽やかに揺れた。
 大人しく話を聞く限り、もう一人の幼馴染に少しでも元気になってもらおうと思い立っての行動らしい。

「え、何。アイツの好物知らないの?」
「真菰ほど一緒にいないから知らない……」
「ふーん」
「なので君には実験台になってもらう」
「オイ」
「目玉焼きでいいか」
「せめて何かもう少ししろよ」
「だから聞いてるんじゃん〜!」

 早く早くと部屋の外に連れ出そうと腕を引っ張る那須に引き摺られながら、真菰は慌てて部屋の鍵を引っ掴む。戸締りの確認をし、ヒソヒソと小さな声で食堂への道中会話をする彼女は、消灯時間も過ぎた夜中だというのに昼間のエネルギッシュさが微塵も減っていないかのような明るさだった。きっと太陽を人に例えるのならこんな感じなのだろう。

「れおくん、最近また寝起き悪そうだから、ぐっすり眠れる食材とかあったら良いんだけどね」
「……」
「で、ゆーくんは何食べたいの?」
「……何で俺にリクエスト聞くんだよ。聞く相手間違ってんだろ」

 お互いの革靴の音が廊下にコツコツと静かに響く。無邪気な様子の相手の声を聞いていると、どうも胸の奥底がむず痒くってしょうがない。調子が狂いそうな気がして、苛立ちが込み上げてしまって、食堂に入る前につい立ち止まってしまった。自然と足元に視線を落としてしまう。どうも、相手の目をまっすぐ見ていられないのだ。

「間違ってないけど?」
「いやだってお前、」
「れおくんも勿論だけど、ゆーくんのことも心配だよ?私は」

 思わず言葉に詰まってしまい、しばらく視線を彷徨わせてからイライラと頭を乱暴に掻きむしる。相手を傷つけたいわけでは無いのだが、こんな時どう接すれば良いのか、言葉が分からずつい「バッカじゃねぇの」と憎まれ口を叩いてしまった。恋愛感情は相手に持ち合わせていないし、相手も自分に大して持ち合わせていないのだろうが、やはりどうにも居心地が悪い。

「……ゆーくん、流石に、私でも傷つく」
「…………悪い」
「接し方が分からないのは仕方ないけどね?そういう時はれおくんみたいに、ただ『ありがとう』って伝えるだけでもいいと思うんだ」
「……」
「リピートアフターミー、セイ『ありがとう』!」
「さてはお前気にして無いだろ、まる」
「私とゆーくんの仲じゃん。同じ孤児院の幼馴染として何年の付き合いよ」

 何も気にしてはいないぞと言わんばかりに続ける彼女は、子供のようにただ自分の教団服の袖を引く。「お金のことを気にするのはわかるけどね」と業務用冷蔵庫の扉を開けながら那須は何かを思い出すように続ける。きっとあまり話したがらない自分の生まれ育った家庭環境のことを思い出しているのだろう。
 深くは尋ねられなかったが、孤児院にいたあの頃の自分達は周囲の人間全てが敵のように感じていた気もする。今とは違い、清潔感もなく艶の無いボサボサの髪を伸ばしっぱなしにした彼女は、目も表情も死んだ魚のように濁っていて生気がまるで感じられなかった。自分と同じようにガリガリに痩せて怪我だらけで、それで――。

「ゆーくん、卵料理なんて基本押さえてて良いと思うんだけどどう?」
「……え、あぁ……良いんじゃね?」
「私こんなにでっかいオムライスに、ケチャップで何か書いてもらうのが今でも叶えたい夢だったりするんだよね」

 両手で「このくらい」とジェスチャーする彼女の表情は大真面目だ。くるくると表情が変わり、よく笑うようになった。明るく元気になった。

「なんかこう、大事にされてるなとか、愛されてる〜って感じしない?『自分だけ特別!』みたいな」
「あ〜……」
「しかしこんな時間の炭水化物はダイエットの敵です」

 ツッコミ待ちなのかと、無言で頭ひとつ分下に位置する隣の彼女に軽くチョップする。

「……作れてオムレツくらいじゃね」
「オムレツくらいかぁ。やってみよう」
「少しくらいならアドバイス出来るぞ」
「真菰師匠ぉ〜!」
「おら、良いから手ぇ洗え」
「はーい」

 そう歳が変わらないのだが、このようなやり取りをしていると妹か手のかかる姉がいる錯覚がする。孤児院の子供達とはまた違う接し方だよなぁと我ながら呆れてしまった。作業に手を出すことはせず、作業台に寄りかかりながら遠目にその様子を見守る。
 ボウルに割入れた卵を菜箸で攪拌する小気味のいい音。カタンカタンと調理器具を出し入れする引き出しや戸棚が立てる音。機嫌が良いのか小さく鼻歌が聞こえてくる。
 誰が想像するだろうか。一見普通に見える彼女が、自分と似たような荒んだ家庭環境で育ってきただなんて。
 ぼんやりとその後ろ姿を眺めていると、「ただ卵を巻くだけも味気ないね」なんて話すものだから、傍に寄り「挽肉炒めたやつとか入れると美味かった」と告げてみる。

「天才か?」
「一々大袈裟なんだよオメーはよォ」
「あっあっ、じゃあ、じゃあ!チーズとか、トマト!トマト?トマトさっぱりしてきっと美味しいねぇ入れたいなぁ」

 パッと顔が輝き始め、部屋にやって来た当初のように声がウキウキと弾みだす。本当に何て分かりやすいんだろうと、フッと息を吐くように笑ってしまった。つられるようにして彼女もニコニコと普段以上に上機嫌で笑い始める。十分に温まった鍋肌に注ぎ込まれ、音を立てて焼き上がる光景を静かに見守る。思ったよりも卵の固まるスピードが早いのか、那須はワタワタと菜箸で掻き集めてどうにか形良くまとめようと奮闘するのだが徒労に終わってしまった。「こんな筈では」と端が少し焦げており、固まりすぎたのかポロポロと塊の寄せ集め状態になってしまっていた。チラと彼女の顔を覗き込んでみれば先ほどまでの上機嫌な笑みは消え去っており、スン……と感情の抜け落ちた顔で自身が作った皿上のオムレツを見つめている。

「……食べられはするよね?」
「食えはするな」

 すがるような目で那須がこちらを見上げてくる。お願い食べてとでも言いたげだ。

「……もう一回挑戦したいんだけど、駄目かなぁ〜……?チラチラ」
「食材を無駄にしないでくださーい」
「やめまーす、ぐぬぅ」

 心底悔しそうに那須は大人しく引き下がった。後でまとめて洗い物を済ませてしまうかと、ケチャップとスプーンを取り出す。固さの残るオムレツを切り分けて口に運べば、パサパサとした食感に焦げ臭さが少々鼻についた。お世辞でも「美味しい」とは言えないかもしれない。真菰は眉間に寄せた皺を隠すこともせず、無言でスプーンを那須に渡した。口をつけてしまったが、こういう細かいことを一々気にするような性格では無いのは百も承知だ。
 どれどれと自分で作ったオムレツを一口、那須が食す。

「……あんまり美味しくないね」
「そーだな」
「…………」
「そう落ち込むなって、俺が悪いみてーじゃねーか」
「それは校舎裏に呼び出されて告白失敗したヒロインを慰める男の言うセリフなんだよ」
「変なとこで解像度の高い例えを出すな」
「でも結果として美味しくなかったのは事実なので、」
「うん」
「頑張ります」
「おう」

 しょんぼりした那須が「次はもっと美味しく作れるようにするね」と言いながら残りを食べてしまおうとするので、真菰は黙って食器を奪い取り一気に口の中へと掻きこんでしまう。行儀悪く口端についたケチャップをした先で舐め取りながら、カチャンと音を立てて流し台に食器をおいてやると、彼女がジッとこちらを見ていた。

「ごっそさん」
「……私ゆーくんのそういうとこ本当に大好き。養うね」
「別にまるの為じゃねーよ。あとその言い方俺がヒモ男みてーだからヤメロ」
「うん。でも、作った側としては嬉しいもんなんだよ。ありがとうね、ゆーくん」

 咄嗟に否定の言葉が口から飛び出しそうになったが、一拍間を置いて少し考え込むように目だけ動かし、間延びした声を出しながら何とか良い感じの返しを考える。

「あー……うん」

 二人だけの食堂に、那須の楽しげな温かい笑い声が転がった。
 
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