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喫茶『真宵猫』でのバレンタイン2025

 2月某日――。『ゆめがね食堂』台所にて。
 私がいつも通り昼営業の仕込みをしていると、顔馴染みのはるちゃんが「準備中」という看板関係なく引き戸を開けて入ってきた。きっと回っている換気扇だとか、湯気に混じって漂う出汁の香りで絶対にいると判断したのだろう。

「ゆ~め~ご~り~。邪魔するぜ」
「準備中だから出直してね」
「まあそう言わずに」

 相手はそう言うと、カウンター席の手頃な椅子を引いて適当に座って話を続けた。そろそろカウンター席の座布団を変えようかなぁなんて考えながら、作業を中断して手を洗い、相手の話に耳を傾ける。どうやら非常勤先の喫茶「真宵猫」さんでバレンタインフェアをやるらしいのだが、動ける人間が少ないということで我々非常勤2人に協力要請が出たらしい。
 井戸端会議のように、あちらのメンバーさんとよくお話をする機会があるのだが、持病で静養中であったり機材トラブルからお休みをしていたり、学業に専念していたりと最近はあちらもなかなか能動的に活動出来るメンバーさんがいないようで大変らしい。そういう事ならと、二つ返事で支度を済ませ「しばらく喫茶『真宵猫』へお手伝いに行っております」と入口の引戸へ張り紙を貼る。
 ――少々レトロチックな飴色の扉を開け、チリチリと小気味よい音を立てるドアベルを見上げながら「こんにちは」と挨拶をする。温かい店内に入るとそこにはいつもと違う装いに身を包んだ結輝さんが「ゆめがねさんだ!」と言いながら出迎えてくれた。

「ゆきねえ、連れてきたよー」
「人手が足りないとお聞きして」
「あーい、2人ともいらっしゃぁい」

 取り敢えず何を準備してくれば良いのか分からなかったので身ひとつで連れられるままにやってきたが、非常勤組にもバレンタイン用の衣装を用意しているとのことだった。食材などを管理している保管庫を借りて着替える。
 渡された衣装は出迎えてくれた結輝さん同様、チョコレート色の地に2色のチェック柄のラインが入った、襟と袖口の形が特徴的なロングワンピースと、汚れないためのフリルエプロン、そして動きやすいようにと明るい色のロングブーツだった。いつものように長く伸びた髪をまとめようとすると、「ゆめがねさん!こっち!」と櫛を手にした結輝さんから卓上鏡のあるテーブル席へと手招きされる。招かれるままに席へ着くと、あれよあれよという間に伸びた髪を編まれ、うまい具合にまとめて薄緑色のリボンのカチューシャを差し込まれる。

「女性陣はリボンお揃いでつけるんだって」
「女性……陣……?」

 はるちゃんのその言葉に、思わず結輝さんと恋仲であるぽいさんを見た。店内には一応、確かに、ロングワンピースを着ている女性の姿しか見当たらない。
 が、しかし。しかしだ。

「……女性陣?」
「女性陣」
「ぽいさん女性陣枠で良いんですか?結輝さん」

 猫のような鳴き声の返事で面白可笑しそうに返事をすると、彼女は「お洋服のデザインどう?」とバレンタイン用の衣装の感想を求めてきた。今に始まったことではないが、何だかうまい事ぼかされたような気がするなぁと、「素敵なデザインだと思います」と回答しながらぽいさんの方をじっと見る。彼というべきなのか、彼女と呼ぶべきなのか、とにかく相手は相手である事に変わりはないが、他人に紹介する時が若干表現に困るなぁと思っていると視線がかち合った。

「ゆめがねさんどうしたんです?」
「いや……キッチンとホールのどっちを非常勤組は対応するのかなぁと……」
「邪神2階席で座敷童してるから、ゆめごり頑張って」
「いや遊びに来たんじゃないんだよ?はるちゃん。我々お手伝いに来たんだよね?」

 あっちもこっちもどっちもそっちも、何から手をつけるべきなのか、何から突っ込むべきなのかが分からない。ひとまず渡されたメニュー表を見ながら、これならいざという時自分1人でも対応出来るかもしれないなと説明を聞きつつ考えこんでいると、唐突に席を移動するように指示され、「はいコレ持って」とハート型の包みを渡される。
 両手で受け取りながら「何故渡されたのだろう?」と膝の上に置いて不思議に思っていると、「それじゃあ広告用に撮りまーす、2人ともこっち向いてー」と声を掛けられた。

「え?」

 隣に座っていたはるちゃんが、先端がハートの形をしたスティックチョコをカメラのある方角に向けてポーズを撮っていた。

「えっ?」
「ん〜良いねぇもう1枚いこっか邪神様」
「あいよぉ」

 何故だ。何故何事も無いように撮影会が繰り広げられているんだ。
 2回目のシャッター音と共に、一瞬フラッシュが焚かれる。

「……え?」

 もしかすると何も知らされていないのは私だけなのか?
 隣ではいつの間に集合したのかカラッカさんとももさん達がはるちゃん同様普通にポーズを取りながら広告用の写真撮影を行っている。

「えっ、はるちゃんどういうこと?私何も知らないんだけど今日って撮影する日だったの?」
「そうだよ」
「何で?」
「そうだよ」
「報告連絡相談は?」
「そうだよ」
「はるちゃん?」

 そうだよBotと化してしまった相手を前に姿勢を正して説教でもしてやろうかというに入るのだが、そうこうしているうちに来客を知らせるドアベルが鳴った。こういう時の接客慣れしている輩の動きは速い。

 「いらっしゃいませ、喫茶『真宵猫』へようこそ」
 「何名様でご来店ですか?」

 今年の春は、何だかいつも以上に忙しくなりそうだ。
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