1ヶ月目

 いけないいけない、今日は思ったより仕事が長引いてしまった。
 これで「残業時間を減らせ!」「手が遅いからそうなるんだ!」「ちゃんと周囲を観察して業務改善しろ!」なんて言われてみろ。私のストレスだけが溜まっていく一方だ。
 日々の癒しであるカラッカ観察と縺ッ繧九″お兄さんとの授業に遅れてしまわないようにと、リュックの揺れを気にしながら小走りでいつもの場所へ向かう。

 人付き合いをするより、勉強の方が好きだ。
 興味のおもむくままに、調べることが好きだ。
 技術や知識を追い求める事が大好きだ。
 知ることが、大大大好きだ。

 その為には食事も、睡眠も、ふと空いた暇さえ時間が惜しいと思う。自分の知的好奇心が満たされればそれで良い。人様に迷惑をかけない範囲で、一人きりで自己完結しているのだから別に良いではないかとムッとする事がある。
 ――今日はどんな話を聞けるだろう。私だって縺ッ繧九″お兄さんに負けず劣らずカラッカについて大分詳しくなってきたと思うのだが。
 そんな事を頭の片隅で考えながらいつもの場所へ辿り着くと、何やら違和感を覚える。

「……何、この臭い……」

 月に一度訪れる生理現象が急に起きたわけではないのだが、鉄錆と、何とも表現し難い、鼻腔にこもるような嗅ぎなれた臭いがする。まずひとつめの違和感はこれだ。

 血の臭いがする・・・・・・・
 ふたつめは、いつもなら先にこの場所へ訪れている筈の縺ッ繧九″お兄さんの姿が見当たらない事。
 別に『カラッカについて教えてください』という約束は強制ではないから、コンビニに立ち寄っただとか急遽仕事の呼び出しがあっただとかなら分かる。私だって以前の職場で何回か休日に連絡があったり、取引先の業者からしつこく連絡が入ってきたりだとかがあったものだ。
 もし仮に縺ッ繧九″お兄さんが似たような境遇にいたとしたら、メンタルが心配だなぁなんて思う。
 会えないことが寂しい気もするが、彼と私はとびきり仲良しというわけでも無いし、出会って1か月も経っていないのが現実なのだ。

「…………いやいやイヤイヤ。やめよう、この年で恋愛脳は恥ずかしすぎる。経験が低いのは否定出来ないけど、これはそういうのじゃないぞ!純粋たる興味と好奇心だ!」

 頭をブンブンと勢いよく左右に振り、無粋な考えを頭の中から振り払う。
 別に彼がいなくなったからどうという話では無い。縺ッ繧九″お兄さんがいない観察日記を書き始めた最初の頃に戻っただけなのだ。
 自分にそう言い聞かせながらカラッカの所へ足を運んでいると、珍しい先客がいた。

「ネコチャン!」

 随分人なれしている猫だ。駐車場内を薄明るく照らす街灯の明かりで、首を下げ香箱座りをしてジッとしている猫の後ろ姿が見える。茶トラ柄で、鳴き声ひとつ上げないという事は眠っているのだろうか。幸せそうな寝顔を想像しつつソロリソロリと近づき、足音を立てないよう慎重に正面へと回り込む。
 そういえば駐車場でよく近所の野良猫が集まって猫集会を開いている様子を見た事はあったが、カラッカがこの駐車場に植えられてからはパタッと見なくなった。
 きっと集会場所が移動したか、人間が集まるようになったから変更せざるを得なくなったのかもしれない。
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