ぼやき
何年も経って、やっと意味を理解した漫画の演出の話
2026/06/21 22:52読書
※以下、「日出処の天子」という漫画のネタバレを含みますので注意して下さい。
私は親の影響もあって、70年代または80年代に描かれた少女漫画をちょっと読んだことがあるのですが、そのうちのひとつに「日出処の天子」という作品があります。
この作品は、少女漫画の歴史を語るにおいて外せない漫画家の一人である、山岸凉子の代表作。超有名作品ですが、一応説明しますと聖徳太子(作中では厩戸王子)が主人公の歴史ロマンです。いや、厩戸王子と蘇我蝦夷のダブル主人公か?
この作品に出てくる聖徳太子は歴史の授業で習う聖人君子という姿からは大いにかけ離れているので、小学校で歴史を学ぶ前に、うっかり漫画の一部分を読んでしまった私は大混乱した覚えがあります。
「日出処の天子」に出てくる厩戸王子は、とにかく女性と見紛うほど妖しい雰囲気のある美人。そして人に非ざる世界が見えたり、人智を超えた能力を時に使ってみせたりする。たまに女装する時もありますが、それが危険な香りがするほどに美しいのです。そして大の女性嫌いであり、作中で蘇我蝦夷が好きになって彼を求めたりします。
で、私が何の話をしたいかというと、「日出処の天子」のクライマックスに近い一連の場面について、いちばん最初に読んだ時はどういう意味なのか全くわからなかった、という話をしたいのです。
ざっくりと最後の方の場面を説明しますと……
厩戸王子と蘇我蝦夷は友情というか何というか、ともかくある種の信頼関係、絆といえるものがありましたが、あることで瓦解します。でも周りはそれに気がつかない。蝦夷の父親である馬子も、王子に仕える間者も。
しばらく王子に会わなかった蝦夷ですが、父親からの命令で仕方なく王子の屋敷へ向かいます。そこで、蝦夷は王子が新しく迎えた妃を紹介されるのです。その妃は豪族の養子になってから嫁いだのですが、元はストリートチルドレンであり、明らかに何らかの知的障害を負った、言葉もろくに話せない十代前半の少女でした。
その少女を見てほどなくして蝦夷は涙を浮かべ、すぐに屋敷を後にします。蝦夷は耐えられずに駆けだす。そして、以下のようなモノローグが書かれます。
「王子は気がついていないのか あの少女は あの瞳は 間人皇女(はしひとひめ)に似ている」
(※間人皇女は厩戸王子の生母です。息子の厩戸王子が常人とはどこか違うと感じていて、ひそかに恐れている、という設定があります)
長くなりましたが、これが漫画のクライマックスの一場面となります。
この部分を最初に読んだのは、小学生の頃だったか中学生の頃だったか全然覚えてないのですが、とにかく蝦夷はなぜ泣いているのかわからなかったし、新しい妃の瞳が母と似ているからって何なんだ……?と、とにかく疑問だらけでした。
ところがそこからウン年も経って、しかも「日出処の天子」を再読していた最中でもないのに、何故かそのクライマックスの場面が脳裏に流れてきて、唐突に何が描かれていたのかわかったのです。
(うーん、ここまで話を持ってくるのにすごい時間かかった)
まずポイントなのが、厩戸王子が豪族の養子にしてまで妃にした元ストリートチルドレンの少女ですが、漫画で初登場してから厩戸王子が何かと気にかけるシーンが何度か描かれます。
そしてそれに伴い増えていくのが、厩戸王子に仕える者たちが「なぜ王子があの少女を気に入っているのか理解できない」と、王子がいないところで散々口にする、という場面。
ところが、蝦夷は厩戸王子のその妃を初めて見て、一発で理解したわけですね。
ここからは私の解釈になりますが。
王子の母の瞳と少女の瞳が似ている、ということは、王子は心の奥底で母を求めていたということに他ならない。前述しましたが、王子の母は息子に怯えているという設定でしたし、王子自身も「家族の団らんなんてどうでもいい。自分を抜いた他の人たちで適当に仲良くしていてくれ」みたいなスタンスだったのです。
でも実のところは、厩戸王子は母を求めていた。蝦夷は王子の寂しさに即座に気づいてしまった。
他の、王子に仕える誰もが気づかなかったのに、蝦夷だけがすぐに理解してしまったのです。
ここから、作中でも王子が言及していたとおりに、王子と蝦夷には切ってもきり離せないものがあったとわかります。そして王子の一番の理解者は間違いなく蝦夷だったのです。
だがしかし、もはや厩戸王子と蝦夷は違う道を歩み、袂を分かつこととなっていくーー
という解釈を、いい年になってからやっっっっっっっと出来たんですよ。初めてその場面を読んでから何年経っていたことか……計算したくないぜよ……。
また、新しい妃が少女であり、何らかの知的障害を負っている設定になっているのも、作者はあえてこうしたんだなと後から理解できたんですよね。
すごく表現は不適切ですが、何らかの知的障害のせいで喃語のようなものしか話せないということは「大人になることができないと決まってしまっている」と言い換えれるのかもしれません。作中では厩戸王子は女性が嫌いという設定でしたので、瞳が母に似ている「大人になることができない」妃を求めるのは当然の成り行きだったのか? しかもまた、その少女が初登場するのが、蝦夷との絆が瓦解した後というのがまた……。
はい、ええと……なんか長々と書きましたけど。
私が言いたいのはですね、昔の作品に対して思うのが、「説明してくれないものが多いかも」ということ。ヒントになるいろんな描写はするけども、後は読者に委ねるパターンが多いような気がするのです。肌感覚的にそう思ってしまう。あれはああいうことを言いたかったのか、と読者が考えないといけない、というか。これを読後の余韻は各自で楽しんでね、という作者からのプレゼントと見るか不親切と見るか、は人によって分かれそうですね。
最近の作品ってわりとわかりやすくああだこうだと説明してくれるイメージがあります。その反対で「考察する作品」というのが流行っていますが、これはあえて説明しない演出の作品、とはまた違うテイストの作品だと思います。
うーん……ここまで書いておいてなんですが、この記事、いきなり削除しちゃうかもしれません。そうなったら申し上げありません。先に謝っておきますね。
