ぼやき
好きな番組を見ていろんな思いがよぎった。
2026/03/14 14:51ぼやき
以前使っていたブログで何回か書いてましたが、NHKのBSでやってる教養系娯楽番組が好きなんですよ。毎回見ているわけではないのですが。
その中で、先月放送された「ダークサイドミステリー」のとある回が、いろんな意味で印象に残りました。
タイトルは「ヘブンズゲート集団自殺事件 UFOに乗って天国へ行こう」
この時点でけっこう衝撃的な単語が飛び交ってますが……。
ヘブンズゲート事件とは、90年代後半のアメリカで、ヘブンズゲートというカルト教団の教祖と信者約40名が、3日間かけて順番に自殺していった事件です。
ちなみにカルト教団とはいえ、この集団はご近所トラブル等は全くなく、むしろ近隣住民はカルト教団があったことさえ知らなかった、という。
この番組を見ている時、そして見終わった後でいろんな感情がわいてきました。
「怖い」「悲しい」「一歩間違ったら私もこの信者の人たちの立場になってたかも」「でもここは自分には理解できない」等々……。
まずヘブンズゲートの成立過程について、うろ覚えの部分もありますがざっくりと。
このカルト教団は、諸事情あって鬱になった男性と、スピリチュアルに傾倒していた女性看護師の二人が作りました。
で、男性の方なのですが、この人の来歴がいろいろと気の毒だと私は思ったのです。
この男性は牧師の家に生まれた。本人はバイセクシャルだった。大学で音楽を教えていたけども、男子大学生と付き合っているという噂が流れ、大学をクビになり、離婚にまで至ってしまう。仕事も家庭も失って、鬱になってしまうわけです。
そんな中で前述した看護師の女性と出会い、二人で修行の旅に出て、宗教的な目覚めを得たわけですね。
男性が大学をクビになった当時のアメリカは60年代。同性愛に厳しい時代であったのは間違いない。国は違いますが、エニグマを解読したアラン・チューリングも、今の人権感覚に照らし合わせるととんでもない目にあってますもんね。生きる時代が違うだけで、生き方がものすごく変わってしまう。人間は時代というものから逃れられない、としみじみ思います。
私が男性が気の毒だと思ったポイントはいろいろありますが、まず牧師の家に生まれたが故に、一般的な人よりは宗教的な知識や教義が刷り込まれていただろうこと。だからこそな異性愛者ではない自分に対する葛藤、違和感、罪悪感も強かったのかもしれません。
ここで思うのが、キリスト教にも当たり前だけど限界があるということ。大学の授業で、教授が言ってたことで印象に残ってるのが「キリスト教以前の宗教は、魂は良いもので肉体は不浄という考えのものばかりだったけど、キリスト教は魂と同じく肉体も良いものとした(何故なら聖書で神がそういう風に言ってるから)ので、当時としては画期的な考え方だった」という内容のもの。でもキリスト教は、皆さんご存じの通り同性愛には厳しいですよね。
何で同性愛に厳しいかというと、結局それはユダヤ教が同性愛ダメよ、な社会だったからだと思う。何でダメだったかというと、これはド素人の個人的な考えですが、とにかく子孫を残すことが、私たちが想像する以上に超最重要事項だったから、だと思ってます。
まあとにかく、魂も肉体も同列に扱い、かつ弱者に手を差し伸べる宗教だったキリスト教ですが、それでも教義的に「こいつらはアカン」とされる人々は出てくる。そりゃあいち宗教だからそういうことも起こりうる。
けど、キリスト教が強い影響力を持っている社会で、その救いからこぼれ落ちた人々はどうなるのか。
宗教的救いなんていらない〜、という人たちばかりではない。そうなると、その人々が求めるのは何になるのか……。
ヘブンズゲートは信者が沢山いたわけではないそうですが、集まった信者の中には、生きづらさを抱えた人たちが沢山いた。そこでみんな、大変な修行や規律の厳しい集団生活をすることで、人間を超越し生きたまま天国へ行こう、としていたそうです。
生きづらさを抱えた人たちで集まる、というのはすごく感情移入してしまった私ですが(何とか生きようともがいていたがゆえの行動だもんね)、厳しい修行内容を聞くと「そこまでする必要あるか?」と一気に理解が及ばなくなりました。仏教の開祖は紀元前に「苦行なんかしても悟りは開けない!!」と言ってるからねえ……なんて。
信者で規律を守って集団生活したり、厳しい修行をしたりと、このあたりは宗教集団がやりそうなスタンダードな行動なんですよね。ただ、教祖の言うことに疑いを持ってはいけなかったそうで。スタジオ解説で、これはマインドコントロール状態だと言ってました。これがマインドコントロールか……怖いな。信者たちは教祖を信じたら救われる、とすがってるからこそ、こういう目にあってしまうのは怖いですね。
そして時が経ち、教祖の一人である女性が、病気のため命を落としてしまう。既に人間を超越していたはずの教祖が、普通の人のように亡くなってしまったことで、教団はちょっとしたパニックになります。
そこで、残されたもう一人の教祖の男性は、教義を変えてしまいます。生きたまま天国に行くのではなく、死して救われる、と。
で、さらに時が経ち、教祖の男性が病気にかかってしまう。さらに少しして、地球に彗星が接近して、今なら天国へ導かれると教祖から言われ、そして集団自殺は起きてしまった。
死が救い、という考えはあると思います。人によってはそれこそが唯一の解放、ということもあると思う。
しかし、宗教がそれを言い出すのは良くないと私は思います。宗教というのは人が所属する社会でどう生きていくかを、精神的な面でも道徳的な面でも教えたり導いてくれるためのものであるべきで、積極的な死の選択なんで入れ込んで欲しくないですよ。
………と、書いてますが。私は一応無宗教の人間であることをここに記しておきます。万が一、海外に行って「どこの宗教?」と聞かれたら「仏教徒だよ」とは答えると思いますけど。日本独自の大乗の二乗な仏教だよ、なんてね。
このヘブンズゲート事件から、いろいろと学ぶものはあると思います。狭い宗教的集団において教祖の体調不良や死という変化があると、その集団はどうなっていくか。このケースでは自然崩壊せず、自殺という結末になってしまった。
そして私が「ヒエッ」とビビってしまった部分なのですが、信者の人たち、死ぬ前にビデオで自分達を撮影してるのですよ。しかも全員集合して、それそれ笑みを浮かべたりして。他に、私は納得してますと個別でコメントもしてました。
しかし、元信者の人がインタビューに答えてましたが、あの笑顔の裏には間違いなく葛藤がある、とのこと。救いを求めて入信したはいいけども、マインドコントロール下にあり、決断力を奪われていた、ということでしょうか。そうなると、あの笑顔はとてつもなく悲しいと思ってしまうな……。
でももしかしたら、信者の人だけでなく、教祖の男性も自分で自分に強く言い聞かせていたのかもな、と私は思ってしまいます。社会に一般的に浸透してる規範に、どうしても自分が逸脱してるという絶望。だから別の価値観に救いを求めた。後からいくらでもああだこうだと意見を好き放題言える私からすると、その男性に他の、もう少し安全な選択はなかったのかな、とどうしても考えてしまうんですよね……。
とまあ、視聴している最中も視聴し終わった後も、いろいろと考えてしまった回でした。
いろいろ感じて、考えれる思考回路が動いているのはありがたいと思うし、こういうことが出来るうちは、私にはまだ生きるエネルギーが残ってるのかもなあ、なんて思ってます。
その中で、先月放送された「ダークサイドミステリー」のとある回が、いろんな意味で印象に残りました。
タイトルは「ヘブンズゲート集団自殺事件 UFOに乗って天国へ行こう」
この時点でけっこう衝撃的な単語が飛び交ってますが……。
ヘブンズゲート事件とは、90年代後半のアメリカで、ヘブンズゲートというカルト教団の教祖と信者約40名が、3日間かけて順番に自殺していった事件です。
ちなみにカルト教団とはいえ、この集団はご近所トラブル等は全くなく、むしろ近隣住民はカルト教団があったことさえ知らなかった、という。
この番組を見ている時、そして見終わった後でいろんな感情がわいてきました。
「怖い」「悲しい」「一歩間違ったら私もこの信者の人たちの立場になってたかも」「でもここは自分には理解できない」等々……。
まずヘブンズゲートの成立過程について、うろ覚えの部分もありますがざっくりと。
このカルト教団は、諸事情あって鬱になった男性と、スピリチュアルに傾倒していた女性看護師の二人が作りました。
で、男性の方なのですが、この人の来歴がいろいろと気の毒だと私は思ったのです。
この男性は牧師の家に生まれた。本人はバイセクシャルだった。大学で音楽を教えていたけども、男子大学生と付き合っているという噂が流れ、大学をクビになり、離婚にまで至ってしまう。仕事も家庭も失って、鬱になってしまうわけです。
そんな中で前述した看護師の女性と出会い、二人で修行の旅に出て、宗教的な目覚めを得たわけですね。
男性が大学をクビになった当時のアメリカは60年代。同性愛に厳しい時代であったのは間違いない。国は違いますが、エニグマを解読したアラン・チューリングも、今の人権感覚に照らし合わせるととんでもない目にあってますもんね。生きる時代が違うだけで、生き方がものすごく変わってしまう。人間は時代というものから逃れられない、としみじみ思います。
私が男性が気の毒だと思ったポイントはいろいろありますが、まず牧師の家に生まれたが故に、一般的な人よりは宗教的な知識や教義が刷り込まれていただろうこと。だからこそな異性愛者ではない自分に対する葛藤、違和感、罪悪感も強かったのかもしれません。
ここで思うのが、キリスト教にも当たり前だけど限界があるということ。大学の授業で、教授が言ってたことで印象に残ってるのが「キリスト教以前の宗教は、魂は良いもので肉体は不浄という考えのものばかりだったけど、キリスト教は魂と同じく肉体も良いものとした(何故なら聖書で神がそういう風に言ってるから)ので、当時としては画期的な考え方だった」という内容のもの。でもキリスト教は、皆さんご存じの通り同性愛には厳しいですよね。
何で同性愛に厳しいかというと、結局それはユダヤ教が同性愛ダメよ、な社会だったからだと思う。何でダメだったかというと、これはド素人の個人的な考えですが、とにかく子孫を残すことが、私たちが想像する以上に超最重要事項だったから、だと思ってます。
まあとにかく、魂も肉体も同列に扱い、かつ弱者に手を差し伸べる宗教だったキリスト教ですが、それでも教義的に「こいつらはアカン」とされる人々は出てくる。そりゃあいち宗教だからそういうことも起こりうる。
けど、キリスト教が強い影響力を持っている社会で、その救いからこぼれ落ちた人々はどうなるのか。
宗教的救いなんていらない〜、という人たちばかりではない。そうなると、その人々が求めるのは何になるのか……。
ヘブンズゲートは信者が沢山いたわけではないそうですが、集まった信者の中には、生きづらさを抱えた人たちが沢山いた。そこでみんな、大変な修行や規律の厳しい集団生活をすることで、人間を超越し生きたまま天国へ行こう、としていたそうです。
生きづらさを抱えた人たちで集まる、というのはすごく感情移入してしまった私ですが(何とか生きようともがいていたがゆえの行動だもんね)、厳しい修行内容を聞くと「そこまでする必要あるか?」と一気に理解が及ばなくなりました。仏教の開祖は紀元前に「苦行なんかしても悟りは開けない!!」と言ってるからねえ……なんて。
信者で規律を守って集団生活したり、厳しい修行をしたりと、このあたりは宗教集団がやりそうなスタンダードな行動なんですよね。ただ、教祖の言うことに疑いを持ってはいけなかったそうで。スタジオ解説で、これはマインドコントロール状態だと言ってました。これがマインドコントロールか……怖いな。信者たちは教祖を信じたら救われる、とすがってるからこそ、こういう目にあってしまうのは怖いですね。
そして時が経ち、教祖の一人である女性が、病気のため命を落としてしまう。既に人間を超越していたはずの教祖が、普通の人のように亡くなってしまったことで、教団はちょっとしたパニックになります。
そこで、残されたもう一人の教祖の男性は、教義を変えてしまいます。生きたまま天国に行くのではなく、死して救われる、と。
で、さらに時が経ち、教祖の男性が病気にかかってしまう。さらに少しして、地球に彗星が接近して、今なら天国へ導かれると教祖から言われ、そして集団自殺は起きてしまった。
死が救い、という考えはあると思います。人によってはそれこそが唯一の解放、ということもあると思う。
しかし、宗教がそれを言い出すのは良くないと私は思います。宗教というのは人が所属する社会でどう生きていくかを、精神的な面でも道徳的な面でも教えたり導いてくれるためのものであるべきで、積極的な死の選択なんで入れ込んで欲しくないですよ。
………と、書いてますが。私は一応無宗教の人間であることをここに記しておきます。万が一、海外に行って「どこの宗教?」と聞かれたら「仏教徒だよ」とは答えると思いますけど。日本独自の大乗の二乗な仏教だよ、なんてね。
このヘブンズゲート事件から、いろいろと学ぶものはあると思います。狭い宗教的集団において教祖の体調不良や死という変化があると、その集団はどうなっていくか。このケースでは自然崩壊せず、自殺という結末になってしまった。
そして私が「ヒエッ」とビビってしまった部分なのですが、信者の人たち、死ぬ前にビデオで自分達を撮影してるのですよ。しかも全員集合して、それそれ笑みを浮かべたりして。他に、私は納得してますと個別でコメントもしてました。
しかし、元信者の人がインタビューに答えてましたが、あの笑顔の裏には間違いなく葛藤がある、とのこと。救いを求めて入信したはいいけども、マインドコントロール下にあり、決断力を奪われていた、ということでしょうか。そうなると、あの笑顔はとてつもなく悲しいと思ってしまうな……。
でももしかしたら、信者の人だけでなく、教祖の男性も自分で自分に強く言い聞かせていたのかもな、と私は思ってしまいます。社会に一般的に浸透してる規範に、どうしても自分が逸脱してるという絶望。だから別の価値観に救いを求めた。後からいくらでもああだこうだと意見を好き放題言える私からすると、その男性に他の、もう少し安全な選択はなかったのかな、とどうしても考えてしまうんですよね……。
とまあ、視聴している最中も視聴し終わった後も、いろいろと考えてしまった回でした。
いろいろ感じて、考えれる思考回路が動いているのはありがたいと思うし、こういうことが出来るうちは、私にはまだ生きるエネルギーが残ってるのかもなあ、なんて思ってます。
