短編・旧サイト拍手ログ


「ごめんなさい、フリート」

それでも、己の望みを捨てることはできない。いろんな人に心配をかけても、あきれられても、兄を諦めることはできないのだ。

「何を言われても、お兄ちゃんを忘れることはできないの」

孤独な自分を救ってくれたのは、兄であるルークだけ。

あの温もりが、悲しい幼少時代に灯火をくれたのだから、今度はエッダが兄を助けたかった。

それが、笛吹き男の仕掛けた罠であろうとも。

「待ってて。必ず帰ってくるから」

慰めにはならないだろう言葉をかけ、エッダはフリートの肩に治癒魔法をほどこす。

エッダの実力では簡単なものしかできないが、血は何とか止まったようだ。

ほっと胸をなでおろし、立ち上がる。

扉に手をかける直前、フリートが叫んだ。

「お前、馬鹿だろ」

こみ上げてくる感情に歪んだ声を、笑うことができなかった。





「気配がきれいに消えている。一体どうなってるんだ」

ユンは、自身が務める学院の運動場の一角で、いらただしげに息をついた。

教師が二人もいながら笛吹き男の識魔法に調伏され、生徒が連れ去られた。その事実はどうしようもなくユンを苛立たせる。

緊急事態のため、授業は中止だ。生徒は帰宅、もしくは寮で待機となっている。

第二運動場には今、駆けつけることが可能な教師すべてが、男の残した魔力の残骸を探っていた。

しかし王立学校が抱える優秀な才能を持ってすら、“子供さらいの笛吹き男”の足跡がつかめないでいる。

「魔法災害とはよく言ったものだな」

すぐ傍で、同僚の一人が別の同僚に話しかけた。相手は汗をぬぐい、けだるげに同意する。

「全くだ。とんでもない災害だ。白昼堂々、生徒が連れ去られるなんてな」

ユンは、拳を強く握り締める。次いで同僚が放った言葉に、体が震えた。

「世の中は、わからないことが多すぎるよ。俺たちは所詮、未知の力に魔法という名を付け、研究し、使役しているに過ぎない。人間が驕らないように、魔法災害というのは存在するのかもな」

ユンはその考えに賛成もできたが、反発も感じた。

(僕も、人間が万能だなんて思いませんし、世界のすべてを知り尽くしているなどと、微塵も考えてません。ですが、僕の知っている人間を三人もさらった笛吹き男は、決して許さない)

縁があり、短い間だが家庭教師として接したルーク。その妹であるエッダと、彼女の婚約者であるフリート。

なぜ三人の存在が、自分の世界から奪われなければならないのか。

「僕は持てる限りの技術で、不条理をぶち破ってみせます」

その瞳には、普段の柔和な表情からかけ離れた、静かに燃え上がる熱が宿っていた。





『落ちこぼれのエッダ!』

『簡単な魔法も使えないんだってな。ダッセー』

『お前、本当にアデルベルトの子か?』

無邪気で、残酷な子供の悪口。自分より弱いとわかったとたん、相手の気持など構わずになじり倒す。

幼いエッダは泣いていた。エッダは、自分の肩に手を置こうとして、できなかった。伸ばした手は、過去の自分に触れることなく宙をさ迷う。

エッダは首を振る。これは幻だ。自分の記憶が魔力のせいで膨張し、実際にあったことやなかったことまでも見せているだけだ。

「私は、昔の私じゃない」

祈るように唱えると、自分と子供たちの姿は、溶けていった。辺りには、夜明け直前のような頼りない薄闇が広がる。

胸を押さえ、息を吐く。魔法の気配が充満しすぎていて、気分が悪い。油断すればあっという間に飲まれてしまいそうだ。

扉の向こう側は迷路だった。しかも魔法でつくられた空間であるため、通路は度々つくりかえられ、曲がり、行く手を遮る。

数歩進んで危険を悟ったエッダは、懐から兄のくれた赤い手袋を取り出した。お守り代わりに持ち歩いていたそれを、悩んだ末にほどき、扉の取っ手に頑丈に結びつける。

物を倍に増やす魔法をかけた赤い糸の残量を測り、軽く引っ張る。手ごたえがあったので、糸は外れていないはずだ。

汗をぬぐい、再び風魔法の発動呪文を唱えた。

「――かけめぐる翼よ、我をかの人のもとへ」

正確に発動できる数少ない魔法の行方を探ろうと、全神経を研ぎ澄ます。

薄い闇。頬に感じる風。後方へ遠ざかっていく自分の姿を目にしながら、風に意識を委ねる。しかし。

「……だめか」

先程と同じ、人探しの風は途中で霧散してしまった。

何かが、エッダの魔法を乱暴に立ち切ったのだ。まるで、張り詰めていた糸を鋏で切断するかのように。

「お兄ちゃん、待ってて」

止まりそうになる足を、兄を呼ぶことによって奮い立たせる。

「ここ、どこだろ」

喉が渇いてきた。体が水分を欲しているが、飲料物など持っていない。

迷路の中は坂道や階段や断崖があったりと、地形はよく変化するのだが、薄暗さに変化はない。目は光の少なさにとっくに慣れているが、気分はよくなかった。

足を止め、腕を組む。

作戦を考え直す必要があるようだ。

当初、深入りしない程度に迷宮内を歩き回り、人探しの魔法を唱えれば手掛かりをつかめるのではないかと思っていた。

エッダには、兄がかつてくれた赤い毛糸の手袋がある。そのおかげで、帰り道だけは確保できているのだ。

迷路をさ迷う間、辺りは幾度となく変化を見せたが、糸は空間の変化によって切断されることはなかった。

だが、エッダは壁をくぐりぬけることはできない。つまりエッダという個体存在にのみ、識魔法は働きかけているのだ。

魔法は地・水・火・風・空・識にわけられる。うち識は、生き物の意識へ直接働きかける魔法だ。これは非物質領域魔法とされ、幻覚や催眠術などはこの部類に入る。

「だからここは、精神体にのみ有効な強い識魔法であふれている上に、それをさも現実のように見せかけるための、補助としての物質領域魔法もあふれているってことよね」

物質と、非物質は完全に切り離すことはできない。精神活動と肉体活動を同時に行う人間という生き物が矛盾なく存在しているように、両者は持ちつ持たれつの関係で成り立っている。

「うわあ、試験の課題みたいじゃない。頭がくらくらしてきた」

壁に依りかかろうとする。が、悪寒を感じて飛びすさった。

先程まで存在したた壁は消失し、虚空が口をあける。下をおそるおそる覗いてみれば、底が全く見えない暗闇だった。

「冗談きっつ。容赦なさすぎよ」

顔がひきつり、ふとエッダは思い当たる。
兄は、この迷路の中にいるのだろうか。もしかしたら、消失した空間のかわりに現れた虚空に飲み込まれてないだろうか。

そして、自分は。

「帰れるのかなあ」

押し殺した不安が、全身をふわりと包み込んだ。





フリートは、肩から広がる苦痛を何とか抑え込もうとした。

エッダがかけてくれた治癒魔法は、効果が薄まってきている。だから自由の効くもう片方の手を、傷口へと近づけた。

(これは識魔法だ。識魔法だ。だから実際に体は傷ついていない)

「何をしているの、人質君」

笛吹き男が、傷口を何の前触れもなく踏みつける。悲鳴もあげられず痙攣するフリートを、男は愉快そうに眺めた。

「人質君、知らない訳ないよね。物質と非物質は、無関係じゃないんだよ」

改めて言われなくても、フリートは承知していた。

例えば、苦痛を与え続ける識魔法を対象者にかけたとする。場合によっては、対象者は痛みのあまり死に至る事もありうるのだ。このように物質と非物質は、相互依存関係に置かれている。

「いつまで耐えられるかな?」

楽しげな男を、最後の気力でねめつけた。

「エッダに何かしてみろ。絶対に許さない」

「威勢がいいね。そういうの大好きだよ」

彼は、優雅に笑んだ。

しかし、その顔が青ざめていることに、視界がぼやけていたフリートは気がつけなかった。





気弱なことを言ってしまった自分を、エッダは内心ののしった。

弱った気持ちに、迷宮に満ち溢れた識魔法が飛びついてきたのだ。

それは人の形をとった。エッダのよく知っている人たちが、次々と目の前に現れては消えてゆく。

『お兄様は優秀なのに、妹様は出来が悪いなんて』

噂話をしていた使用人たち。

『なぜ、私をこうまで悩ませるのだ』

幼い娘を見はなした父。

『エッダ、何か習い事をしなさい。楽器? それとも絵がいいかしら?』

慰めるふりをしつつ、失望の目で見る母。

『あの子、アデルベルトの子供なの? 信じられない』

影で嘲笑する同級生。

「やめて!」

エッダは頭を抱えてうずくまる。姿をとっては滅する幻。くるくると入れ替わり、様々な暴言をエッダへぶつける人々。

すべてが敵に思えた時期があった。誰も自分を受け入れてくれず、涙を拭いてくれる人がいなかった。

当たり前だ。だって自分はアデルベルトの家系でありながら、満足に魔法も使えない。落ちこぼれにもほどがある、劣等生なのだ。

少女は名に縛られ、名ゆえに貶された。

『また泣いているのか?』

そんなエッダを気にかけてくれたのは、ただ一人の兄だけ。

「お兄ちゃん……」

それは、久しぶりに見る兄の姿だった。魔法で見せられているのは理解できたが、嬉しさの方がこみ上げてしまう。

三年前に時間が止まってしまった、ルーク・アデルベルト。

エッダは手を伸ばし――何の手ごたえもなく、兄の体をすり抜けた。

「あ……」

茫然と目を開くエッダへ、ルークはかわらない笑顔を投げかける。

『エッダ。お兄ちゃんと一緒に寝るか?』

思い出の中のルークは、とても優しくて。

『怖い夢なんて、やっつけてやるから』

そんな兄は、笛吹き男に連れ去られてしまった。

『そんなに泣くなよ。俺の、かわいい妹』

涙を指先で拭ってくれたしぐさを最後に、識魔法で構築されたルークは、消えた。

両目から、感情の切れ端が次々と流れ出る。胸の奥から湧き上がる激流に耐えきれず、糸を握りしめ慟哭した。

誰もが言った、「ルークはもう帰ってこない」という言葉。

エッダは否定した。自分のために。

ルークの背に隠れていなければ、周囲の人間と対峙できなかった。

あの頃の自分と今の自分は、何が違うというのだろう。

兄を求めていたのは他ならぬ自分のため。遅まきながら気づき、エッダは泣きながら笑った。自分を嗤った。

「私、何もできない……」

強気だけまとって平気になったふりをして。現実を見ることもせず、向き合うこともせず、愚かな道を歩んでいた。

『残念だね』

見れば、消沈した笛吹き男が立っていた。

『僕の笛の音に負けなかったのは、君だけだったのに。僕達を、失望させただけだったね』

男の声はまるで数人の、いや、数十人の少年や青年の声がひとつに合わさったかのような、複雑な厚みをおびている。

『僕達を解放してくれる人は、君だと思った。勘違いだったのかな。ああ、また妄念に踊らされる。もう茶番劇は終わらせたいのに』

男の側に、ルークの幻がよりそう。男は、彼を乱暴に壁の向こうへと突き飛ばした。

『さよなら。魔法使いの兄妹』

笛吹き男の姿も消えた。が、エッダはそんなことなど気に留めなかった。

壁の向こうへ消えたルークが、エッダの方へ手を伸ばしていたから。

助けて、とその唇が動いていた。

エッダは飛び上がり、兄が消えた壁にとりすがる。手のひらで思い切り叩き、声を張り上げる。

「お兄ちゃん!」

やっとわかった。兄はあの日以来、自分を呼んでいたのだ。

壁を殴り、足で思いきり蹴りあげる。時折風魔法をぶつけ、壁を傷つけようと試みた。

びくともしなくても、攻撃を加えずにはいられなかった。

殴打に耐えきれない手から、血が滴りおちる。汗で視界がはっきりしなくなる。けれど、激情がエッダを突き動かす。

「返して! お兄ちゃんを返して!」

身の内から、熱い何かが沸き起こってくる。今まで感じたこともない衝動だった。

芯から発する熱をどこへ向ければいいのか、直感で理解した。両掌からあふれる光と、強力な魔法。力のぶつかり合いで生じた風が、少女の髪をあおる。

地下に蓄えられた熱が、眠れる大地の奥深くより、真実の姿を現す。

「――あらゆるさだめにとらわれぬ、有翼の御身の力をここへ」

口からついて出たのは、風魔法の発動呪文のひとつ。

身の内から沸き起こるのは風の魔力ではないのに、エッダはなじんだ言葉を唱えていた。

「――私の想いを、聞いて」

その情熱にひれ伏したかのように。

壁も、地面も、周囲の薄闇の空間は、彼女の手のひらで渦巻く光に飲み込まれていった。





まばゆい閃光の中で、エッダは人影を見た。

人影はエッダに気づくと、歓喜の笑みを浮かべ、両手を広げる。

エッダはその胸に飛び込んだ。

「お兄ちゃん」

握りしめたままの赤い糸が、二人の周囲を舞う。

「もう、どこにも行かないで」

懐かしい香りに顔をうずめ、エッダは目を閉じた。





光が徐々に薄れ、先ほどの森に立っているのだと分かった。

(戻ってきたの?)

「エッダ!」

フリートの声で我に返ったエッダは、抱きしめている人物を見上げ、凍りつく。

兄であるはずのその人は、笛吹き男だったのだ。

「そんな!」

絶望がエッダを支配する。

兄を取り戻すことが条件だったのに、できなかった。

大好きな家族に再び会うことができず、この森の中でフリートと共に永遠にさまよう――暗澹たる未来に嘆いたのは、ほんの一瞬だった。

男の輪郭が崩れ、苦悶の声が耳をつんざいたかと思うと、歪んだ像が別の姿をつくりあげる。

「……あ」

「え、え?」

「お、お兄ちゃん?」

かわって現れたのは、ルークだ。同じ金髪に青の瞳を有す、実の兄。

一瞬、その場にいる全員が声を失った。最初に言葉を発したのは、ルークだった。

「エッダ!」

彼は妹の頬を慎重になで、本物だと理解するなり、ありったけの力をこめて抱きしめる。

エッダも、その腕と声が夢ではないのだとわかり、抱きつき返した。

三年前にいなくなった兄が、あの日と同じ服で、同じ見た目で存在している。

心がどうしようもなく震えた。

「ごめんね。ありがとう、エッダ」

突然詫びを言われ、何のことかと思えば、無言で後ろを示される。

振り返ると、後方に笛吹き男が立っていた。

ただしその姿は透けていた。彼の体の向こうに、木々が揺らめくさまが目に入ったくらいだ。

男は、人の頭程の大きさの光球を抱きしめていた。その光に見覚えがあるエッダは、あれは自分の体から発した魔法の名残りだと理解する。

球の中には、真っ赤な横笛があった。

『あの人はどこにいるの』

物悲しい女性の声。笛の声だ。

『どこにもいないよ。もう、この世からいなくなってしまった』

答えたのは笛吹き男。小さい子供に言い聞かせるような物言いに、笛は反発する。

『嘘よ! 私を創ったあの人は、きっとどこかにいる。私が唯一愛した人。また再び出会えるまで、私は……』

『不毛な旅は、もう終わりだよ』

男が言葉を重ねるたびに、声は何重にも増えていった。

「歴代の笛吹き男の魂が、一斉に笛に話しかけているんだ」

解説するルークを、エッダは見上げた。

「エッダの、どんな魔法も無効化する魔法のおかげで、やっと笛に話しかけることが出来たんだ」

「無効化?」

それについてはまた後で、と告げられ、エッダは口をつぐむ。

自力で起き上がったフリートが、肩を押さえつつ問いかける。

「どうしてそんなことを知ってるんですか?」

「俺も、笛吹き男だったから」

その告白に、エッダとフリートは息を飲んだ。

『私はあの人を探し続けるの』

『もうどこにもいない。僕達は、彼とは違うんだ。わかるかい?』

『嘘よ!』

笛は否定の言葉を重ねる。しかしそれは、弱々しいものだった。

彼女は、気がつきたくないことに気がついてしまったようだ。

『吹き手を何度替えようと、満足しなかっただろう? 僕達は、あなたが求めている人じゃなかった』

『あ、あ……』

『さあ行こう。僕達と一緒に』

男は光球を抱きしめる。その姿が、光の筋となって溶け込んでゆく。

『気がついてくれてよかった。もうお互い、苦しむのはやめにしよう』

『ごめんなさい。私はなんてことをしてしまったの』

『泣くのはやめて。僕達はあなたを憎んでいたけれど、同時に僕達なりに愛していたんだから』


――恋にさ迷う、哀れな女性(ひと)。


笛吹き男は一筋涙を流し、エッダ達の方を見やる。

エッダは、男に礼を言われた気がした。




男の消失と同時に、森の木々も悲鳴をあげて消えていく。

ルークはとっさにエッダとフリートをかばい、地に伏せた。

頭をかきまわすようなめまいと頭痛の後、目を開けると、そこは見知った第二運動場だった。

教師たちの驚愕の視線を受け止めきれず、エッダとフリートはもじもじと体をゆする。

そんな三人に声をかけたのは、ユンだった。

「おかえりなさい。エッダさん。フリート君……ルーク君も」





“子供さらいの笛吹き男”の正体。

それは、亡くなってしまった創り手を思い続けた“笛”の強い思いが引き起こしたものだった。

「あの笛は、今では無名の魔法使いによって創られたんだと思う。単なる術用媒体だったのが、人格を持ち、魔法使いに恋をしたんだ」

エッダは驚いた。笛に精神が宿るなんて、常識の範囲外だ。

「俺も最初はびっくりしたよ。で、魔法使いは寿命によって亡くなった。でも笛はそれを信じたくなかった。だから探し続けたんだ。自分を大切にし、奏でてくれる吹き手を」

さ迷っていた笛をたまたま手に取ってしまった少年がかつていた。それが最初の笛吹き男の誕生であり、悲劇のはじまりでもあった。

「笛は識魔法を操ることを覚えた。恋人を求め、定期的に人間の許へ現れた。自分の音色に魅了された子供たちの中から、最もふさわしい吹き手を選んだんだ」

候補から外れた子供たちは、新しく笛吹き男となった少年たちがその都度、笛の支配から逃れた瞬間を見計らって元の世界に戻していたそうだ。

「でも俺の前に笛吹き男だった人は、一人の子供を帰す前に死なせてしまった。彼はそれを、とても悔やんでいたよ。俺は、自分の姿と記憶が完全に上塗りされる前に、子供たちを元の世界へ戻して、エッダに会いに行こうと思ったんだ。“笛吹き男”は、エッダに賭けていたから」

「どうして?」

「俺がさらわれた時、エッダは吹き手候補じゃなかったのに、動きを封じられなかったんだろ? 彼はそのことを教えてくれた。あの日の女の子に会いに行って欲しいって。もしかしたら、苦しみの連鎖を断ち切ることができるかもしれないから。彼は、そう言って亡くなった」

一瞬陰ったルークの表情を、エッダは生涯忘れないだろう。

「その瞬間、俺の服も髪も変わった。記憶が消えていくのもわかった。俺は何とか自由の効く間、エッダに会うために森を出たんだ」

話を聞く限り、ルークの時間とこちらの時間とは、流れる速さが違うようだった。

ルークはエッダより三歳年上のはずなのに、あの日と見た目が全く変わっていない。

つまりルークとエッダの肉体年齢は、同じ十五歳になってしまったのだ。

それでも再び会えたことが、エッダは何よりも嬉しかった。

もう、ぽっかり空いた心を抱えて泣く必要はないのだ。同じ世界に、大切な家族がいる。

それだけで、胸がいっぱいになった。





魔法災害のひとつは、アデルベルトの若き兄妹によって解決された。

その後、周囲の変化はめまぐるしかった。

エッダの汚名は一気に返上された。何しろ、数百年間未解決だった件の真相を解明した上、アデルベルトの跡継ぎを取り戻したのだ。手のひらをひっくり返したような扱いの差に、彼女が一番驚いた。

もっともそれはルークの根回しらしい。彼は昔から、自分の愛する妹が不当な差別を受けていることが我慢ならなかった。なので、今回のことを利用しここぞとばかりにエッダをほめそやしたのだ。

「エッダのおかげで俺は救われた。妹は命の恩人だ」

他人に逐次強調することにより、エッダの評判はあがっていく。

さらに、エッダがなぜ魔法が不得意だったのか、その理由も突き止められた

「たぶんエッダは、魔法を無効化してしまう魔力が強いんじゃないかな?」

兄の言ったことが、最初なんのことかよくわからなかった。そこであらゆる文献を引っ張り出した結果、かつて祖先にそういう魔力を有していた人物がいたことが判明したのだ。

「俺たちの先祖は、戦いでこの力を使い、仲間の防御に徹したみたいだね。エッダは慣れてないせいで、自分が発動させる魔法にすら無効化が効いてしまうんだ。練習すれば、力が調整できるはずさ」

兄の講義に耳を傾け、エッダはますます彼を尊敬した。

「すごい、お兄ちゃん!」

すると、ルークは真面目くさった顔で言う。

「俺の妹が、優秀じゃないわけないだろ。俺は信じてたよ」

あまりにきっぱりと言われたものだから、エッダの頬は真っ赤になった。





ルークは万が一の大事をとり、自室で静養中だ。

エッダは兄の帰還が嬉しく、寮があるのに頻繁に家へ帰った。学院側も、大目に見てくれている。

しかし本日は、すがすがしい笑みとともにユンが現れた。

「お久しぶりです。エルンスト先生」

「ルーク君、元気そうで何よりですね。さて、エッダさん」

あいさつもそこそこに、ユンは大量の課題エッダに見せつける。

「これだけたまってます。さあ、もりもり勉強しましょう」

「こ、こんなにあるんですか?」

「いえ、これで減った方ですよ」

ユン曰く、あの日の実習は点数をおまけしてくれたらしいが、他はそうもいかないらしい。

追加課題の山にエッダはげんなりしたが、次の一言に身を引き締めた。

「理事長から聞きました。エッダさんの特性を見抜けなかったとは、恥ずかしい限りです」

「そんな、先生が悪いわけじゃないですよ」

「でも、あなたが苦しんだことにかわりはありません。私に、罪滅ぼしをさせてください」

つまりそれは、教師としてビシバシしごいていくという意味であり、エッダは目の前が暗くなった。

「では移動しましょうか。この後ルーク君は、フリート君とお話があるそうなので」

「へ?」

扉の方を振り返ると、いたたまれなそうにフリートが立っていたので、エッダはぱちくりと目をしばたたいた。




エッダとユンが退出したのち。

ルークは、何の前触れもなく吐き捨てる。

「妹と婚約解消をしてくれないかな?」

笑顔とちくちくした物言いの落差についていけず、フリートは反応が遅れた。

「嫌です」

「良い返事だ。だけど俺も引き下がらない」

帰還した跡取りと将来の婿養子は、視線を容赦なくぶつけあう。

「君が昔から、妹を狙っていることに気づいてたよ。あの時から気に食わない奴だと思ってた。跡取りはまた俺になるから、もう婿養子なんていらないんだ」

「なら、エッダを嫁にもらいます!」

「駄目だ。エッダには俺が、しかるべき相手を選んでやるんだ。君は候補から外れてる」

フリートは思わず、本人にさえ言ったことのない本心を大声で叫んだ。

「俺はエッダが好きなんです。だから諦めない! あなたには屈しません、義兄さん!」

ルークの眉が、はねあがった。

「義兄さん? 誰が、その呼び方を許した?」

フリートはかろうじて悲鳴を飲みこんだ。

試練は、始まったばかりだ。





「二人は何の話をしてるのかなあ」

自室へ向かっている最中、エッダはぽつんと疑問をもらす。

「あなたも罪な人ですね」

「え? 何か言いました、先生」

「何でもありません。それはさておき、楽しい課題のことを考えましょう」

なぜかうきうきとした調子で言われ、エッダは逃げ出したい衝動にかられる。

「あなたを優秀な学生にするため、手加減はしません」

計画を語るユンの手には、いつの間にか鞭が握られていた。

目をむいていると、床がばちん、と音をたてる。

「個人指導の最中、質問は受け付けます。しかし課題を投げ出すのは許しません。わかりましたか?」

「……了解しました」

それ以上何も言えず、エッダは来るべき課題の山を想像して、がっくりと肩を落とした。

彼女の試練もまた、始まったばかりだった。



〈了〉ネット初出 2010.12.3 ~ 12.14
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