短編・旧サイト拍手ログ
「どうしてあのとき、私を連れて行ってはくれなかったの……?」
激情をかろうじて押し殺したような声が、耳に届く。彼はそちらのほうを見やったが、既に視界はぼやけはじめ、相手の表情を見ることはかなわなかった。
それでも、銀の弾丸で作られた二の腕の銃創を押さえながら、彼女の方へ体を向ける。
ぼんやりと、色をもった人の輪郭は見えるのに、肝心の表情がわからないとは。
久しぶりに、本当に久しぶりに、会えたのに。
「成長、したな……」
過ぎ去った時の流れを思って、人と自分とでは時間の意味が違うのだということをあらためて思い知って、感嘆をもらす。
びくっと、彼女が体を震わせた気がした。
「僕を、殺しにきたんだろう? どうしてすぐ、とどめをささない?」
記憶にあるよりも、大きくなった彼女。
きっと、美しく成長したことだろう。自分のそばにいた時から、におい立つような容姿をしていたのだから。
「……私の問いに、答えて」
彼女は彼のもとへ歩み寄る。銃を向けたままで、低い声で、なじるように問う。
「どうして私を連れて行ってはくれなかったの?」
壁にもたれかかり、床へくずおれた彼は、ゆっくりと頭上を振り仰いだ。
さっきよりも、相手の表情が見える気がする。その瞳を覗き込みながら、言葉を紡ぐ。
「……君は、僕と一緒に行きたかったっていうのかい?」
永遠の、暗闇の中を?
「そうよ……私は、あなたと一緒に行きたかった」
小さな嗚咽が響く。彼女の口から洩れたものらしかった。
「あのままあなたのそばにいて、あなたの腕にとらわれて、あなた以外の世界を知らず、あなただけを思う人形になって、生きていたかったのに……!!」
気が付いたら、彼女の顔がすぐ目の前にあった。しゃがんで目線を合わせてくる彼女の瞳を覗き込む。
その目からは、次から次へと涙があふれていた。
ああ、久しぶりに君の顔を見たよ。とてもきれいだ。美人に育ったんだね。彼は、心の中でそうつぶやいた。
「君は、僕のそばに、いたかったのかい?」
「そうよ」
間髪いれずに彼女は答える。
「でも、あなたは私を置いていってしまった。だから、私はあなたを追いかけることにした。他の誰かに殺されてしまうくらいなら、私があなたを殺すんだって、そう思って、今まで過ごしてきたわ……」
彼女はそっと、彼の首筋にふれた。そのまま指で、そっとなぞる。と、五本の指で、蒼白なそれをわしづかみにした。
数瞬の沈黙があって、先に口を開いたのは、彼だった。
「どうして、力を入れないんだい?」
答えはなかった。彼はそのまま続ける。
「君が僕を殺してくれれば、僕は解放される。人間に仇をなす吸血鬼が、ひとり減る。君は英雄になるだろう。さいわい、僕は銀の銃弾で弱っているんだ……君の顔も、ほとんど見えていないくらいにね」
はっと、彼女が声にならない声をあげるのがわかった。
「久しぶりにあったのに、きれいになった君をよく見れなかったのは残念だよ。どうせなら、君の顔をしっかり見てから、地獄に堕ちたかった」
彼は、自分の首にかけられている手を、そっとつかんだ。
そのままゆっくりと上へなぞっていき、最後に、彼女の指の上から、自分の指をそえる。
まるで、いざなうかのように。
「ひと思いに、やってほしい。君が与えてくれる苦痛なら、僕は喜んで受け入れる」
さあ、僕を解放してくれ。
駄目押しとばかりに希望を述べると、自分をなじる怒声が届いた。
「馬鹿っ…!!」
「殺すんだ、さあ!!」
「いや、いやあっっ!!!」
彼女は彼から飛びすさろうとした。けれど、彼はそれを許さなかった。
自分の首に添えられた指を、両手で強く押さえつける。
「僕を、殺したいと思ってたんだろう? どうしていまさら躊躇するんだ」
「他の誰にもあなたを奪われたくなかったからよ!!……でも、だめ、やっぱり……あなたを殺すことなんかできないっ!!」
彼は、自分の腕にあたたかい何かが落ちるのを感じた。彼女がとめどなく流す涙だった。
「決めたはずなのに……あなたを殺すって、決めたはずなのに……どうして、今さら…」
彼女は、しばらくうつむいたままだった。
彼は、彼女の気が済むまでまっていた。
お互いの脳裏には、過去の記憶が再生されている。
初めての出会い。彼女は家族を失った直後で、彼は自分の生に倦みすぎていた。
孤独な者同士が寄り添い、確実に二人の心は、ともし火よりも強く確かな暖かさで癒されつつあった。
しかしその幸せなひと時は、彼が、自分の家族を惨殺した張本人であると彼女が知ってしまった時点で、終止符を打たれる。
彼は、いとおしんでいた彼女を殺そうとした。愛する者が、自分から決して離れていかぬように。
彼女は、恨みと恋心で引き裂かれそうになりながら、それでも、最終的に彼から逃げる道を選んだ。
「あなたが憎かった。お父さんもお母さんも、お兄ちゃんも、あなたのせいで血まみれになったんだから……でも、あなたは私にやさしくしてくれた。私はあなたが好きだった。でも、あなたを許すことは、できないと思ったのよ……」
「今でも、そうなの?」
「ええ、今でもよ。今でも、私はあなたがどうしようもなく好きで、あなたがどうしようもなく憎いわ」
「僕だって、今でも君が、愛おしいよ。君の血はおいしいだろうなって、何度思ったことだろう」
彼女の首筋にかかっている髪をどかし、そっと首筋にふれる。
あたたかい血潮がめぐる音が、すぐそばで聞える気がした。甘美な御馳走が、この白い肌の下で廻っているのだ。
「でも、だからこそ、僕は君を、僕のものにはしたくはなかった。何度も僕から血を吸われ、ゆっくりと狂い僕を忘れていく君を、見ていたくはなかったんだ」
「私はそれでもよかった! あなたへの恨みと愛しさで苦しむくらいなら、あなたに無理やりにでも壊されたかったわ!」
「僕はそれがどうしようもなく嫌だったんだ!」
彼は腕を伸ばした。彼女はその意味することを知って、止めようとした。
だが、すべては遅かった。
耳をつんざく爆音がして、彼がゆっくりと横に倒れる。腹から真っ赤な血を、とめどなく流しながら。
彼女の悲痛な叫び声と、自分の名を呼ぶ声がする。
ああ、愛しい者に名を呼ばれながら死ぬなんて、なんて幸せなんだろう。
彼は、痛みと、やがて訪れる永遠の闇のはざまに立ち止まりながら、微笑んだ。
そして、意識を手放し、永遠の眠りの彼方へと旅立つ。
君を殺すよりも、君に殺されたかったんだ。
君を愛するよりも、君に恨まれたかったんだ。
どんなにいつくしんでも、愛しても、その分だけ相手を壊してしまう。それが僕に科された忌まわしい因果であるならば――
君を泣かせて、戸惑わせて、僕はどうしようもなくわがままだったかもしれないけど。
でも、どうしようもなく幸せだったよ。
〈了〉 ネット初出 2009.12.30