短編・旧サイト拍手ログ


私の彼は星が好きで、一風変わった変人だ。

どこが変人かって言うと、私よりも一人で天体観測している方が好きなんだそうだ。

天体観測しているとき、私は必要ないらしい。

この間、あっさり言われた。

「ねえ、この星座早見表って結局どう見ればいいの? わかんないよ」

私は数十分前から、彼から手渡された円形の表とにらめっこしていた。

二枚の厚紙を重ねた作りで、片方を回す度に季節ごとに見える星座がわかるらしい。

それは、手早く説明されたから、一応理解した。

けど、どうやってこれを利用すればいいのか、どうやって見ればいいのか、てんで見当がつかない。

ていうか、そこまで教えなさいよ。という、無言の念を彼の背中に向かって発してみたけど、当然気づかれなかった。

「おおおーっ!!今夜は火星の模様がいい感じに見えるぞっ!!見間違いじゃないよなっ!よしっ!!」

私の彼は火星にご執心のようだ。そう思ったとき、瞬間的に頭に血がのぼった。

「もう、火星と私とどっちが大事なのよ。宇宙のロマンよりも目の前の彼女大事にすべきじゃないのこの天体バカっ!!」

あまりに頭に来たので私は星座早見表を地面に叩きつけ、牙をむいた。

びくっと彼はこちらにふりむいた。私の怒りが頂点に達しているのを、彼は本当に不思議そうな眼で見返してきた。

もう、この天体バカ、バカめ。

全く私がバカだった。

なんでこんなやつ、好きになっちゃったんだろ。

どうして、大好きになっちゃったんだろ。

悔しくて、そんな自分がなさけなくて、ひとりでに涙があふれてきた。

ぽろぽろととめどなくこぼれてきて、どうしてもとまりそうにない。

「うっ………バカ、バカ………バカ! おたんこなす!」

やけになった私は、いろいろとわめきちらしてみた。

子供っぽいのはわかってたけど、どうしようもなかった。

彼の両手が私の肩を抱いたのがわかったけど、それでも泣きやみはしなかった。

そのぬくもりが、今はどうしようもなく憎たらしい。

しばらくした後、泣き疲れてうなだれた私をあやしながら、彼は静かに語りだした。

「たぶん俺、お前より星のほうが好きだと思う」

こいつ、今の今でそういうことさらっと言うか。

殴ってやる。

私はひそかに拳を握って臨戦態勢になった。

「俺、人間よりも宇宙のロマンを追っかけてる方が性に合うと思うんだ」

その言葉を聞いて、怒りよりも悲しみの方が、私の心に突き刺さった。胸の奥が急にしめつけられる。

そんな、誰も必要ないって、言ってるみたいじゃない。

やめてよ、そんな悲しいこと。

夜空に夢中なあなたの背中をずっとずっと見ている、私の気持にもなってみてよ。

「けどさ、俺、お前以外の誰かを、そんなに好きにならないと思うんだ。たぶん、これからもずっと、そうだと思う」

「………ふえ?」

一瞬空耳かと思った。

彼は微笑んで、私の髪をその細い指でからめとり、そっとすいた。

ああ、そうだ。これが、彼の癖だ。

どうしようもなく私に優しい時の、彼の癖だ。

呆けたように彼を見ていると、その瞳が、やわらかく笑んだ。

「だからさ、俺が勝手に夜空に飛んでいかないように、お前さえよければ、俺をこの地球にとどめてほしいんだ。そしたらおれは、そばに大切な奴がいるんだって思いながら、星を見るから。そしたらきっと、俺はどこへもいかない。大丈夫だ」

そう言って、彼はまたほほ笑んだ。

丁寧に発せられたひとつひとつの言の葉をかみしめながら、私は、ちょっとした恐怖に陥った。
 
私がいなかったら、彼はここにはいなかったのだろうか。

どこか、もっと遠くの遠くの世界へ、誰が止めるのも聞かないまま、飛び立ってしまうのだろうか。

その笑みが、地球とシリウスとの間にある距離のように、絶望的なまでに向こう側にあるような気がして、

私はわけもわからず彼の背に腕をまわして抱きついた。

驚いた彼の声が頭上で響く。

鼓動を耳に感じる。

ぬくもりも、全身で包み込んで受け止める。

お願い、私のそばから、いなくなってしまわないで。

私は、ひとつ涙をこぼした。

そして、小さな声で言った。

「私は、あんたのそばにいるから……だから、あんたも私のそばにいてね」

時折感じてしまう、とても近くにいるはずなのに、宇宙の端と端に分たれてしまったような、いたたまれない孤独。

その胸を締め付けるやるせなさを、私と彼は、どうしようもなく感じながら、どうしようもなく互いを必要としている。


ねえどうか、この温かさが、いつまでも私のもとにありますように。


彼の掌のぬくもりに心地よくなって目を閉じ、私は、どこにいるのかわからない、えらい神様とやらに向かって、そっと囁いてみた。



〈了〉  ネット初出 2008.2.7
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