短編・旧サイト拍手ログ
男は焦っていた。手動で回していたオルゴールが、突然壊れてしまったからだ。
傍らで歌を口ずさんでいた少女は、不服そうに頬を膨らませる。
「何やってるの! 早く直してちょうだい!」
「君に言われなくても、するさ。ほうっておいたら、えらいことになるんだからね」
夜空には星が瞬いているが、そのひとつひとつの光が、まるで涙ぐんでいるようにぼやけている。男は溜め息をつくと、オルゴールを解体しにかかった。
慎重を要する作業だ。一歩でも間違えると、どえらいことになるのだから。
天板を外すと、複雑な中身があらわになる。男は、星屑が数欠片挟まっているのを見つけた。
「ああ、これじゃあ動くわけがないなあ」
そっとピンセットを使って取り除き、慎重に天板を閉めた。再び取っ手を回すと、オルゴールからメロディが流れ始める。
すると、凍っていた夜空が、再び息を吹き返した。
「ああ、何とか元に戻ったみたいだね」
「そのオルゴールがないと、ちゃんと空が回転しないんだから、しっかりしてよね」
少女が内心安堵しつつ、それでも釘をさす言い方をする。
男は頬の真っ赤な少女に対して、ただ、ふわりと優しい笑みを浮かべて返した。
(2010.4.9~7.5)
「ねえ、私のこと好きなの?」
「……そうだけど?」
「そのわりには、愛が感じられないんだけど、何でなの?」
むうっと頬を膨らませた愛おしい少女を見て、彼はため息をついた。
「お前、愛が感じられないっていうけどさ、どうすれば納得するんだ?」
少女は一瞬悩んだ後、指を折りつつ言ったことを数え上げていった。
「もっとべたべたしたい」
「ふーん。他には?」
「もっと私に抱きついてよ」
「うー……他には?」
「もっと、キスして?」
彼はあまりの直球な物言いにのけぞりかえってしまった。
「あのさ……あんまりそういうことを、ずばずば言ってもらっても困るんだよなー……」
「どうして?」
なおも少女は頬をふくらませたままだった。
彼はその赤いリンゴのような頬を人差し指でつつきつつ、少女との距離をぐっと縮める。
「俺が、我慢できなくなりそうだから」
「………」
「………わかったか? だからあんまり、不用意にかわいいこと言うなよ?」
そういって彼は少女に背を向け、ごろんと床に横になった。
少女が先ほどよりも赤くなっているのは容易に想像がついて、そんな彼女の表情を見てみたいとは思ったけど、できなかった。
同じく真っ赤になっているこの顔を、見られたくないから――
(2010.4.9~7.5)
「知っているか?」
「何を?」
「この世にありとあらゆり苦痛を解き放ってしまったのは、他でもない女なんだ、ってことを」
「ああ、それって、ギリシア神話のパンドラと、旧約聖書のイヴのことかしら?」
「そうそう、その通り。パンドラは開けてはいけない匣を開けてしまった。イヴは、食べてはいけない知恵の樹の実を食べてしまった。だからこの世界は、苦痛であふれているんだ」
「パンドラもイヴも好奇心に突き動かされて、言いつけを破った――その二つの逸話は、この世界で生きていく苦しさを説明しようと、昔の人が知恵を振り絞った証しってわけね」
「昔の人たちは、女の恐ろしさをよくわかっていたんだなあ」
「……でも、その女達に苦痛をもたらしているのは、他でもない男達よね?」
「そうか?」
「そうよ?」
「俺は男の方が何かと苦労していると思うんだけど」
「私は女の方が振り回されて悔しい思いをしていると思うわ」
「そうなのか?」
「私はそう思うわ」
「俺はそうは思わないけど……」
「いいえ、私の言ってることが正しいのよ?」
――それは、決着のつけようがない、永遠のナゾナゾ。
(2010.4.9~7.5)