その5 傘の花が咲く日に


「吉乃ちゃん、傘を忘れたみたいなので、僕と一緒にコンビニまで来たんですよ。それで、ビニール傘を買ったとたん、この有様です。一緒の傘に入りたいってお願いしても、駄目の一点張りで」

「当たり前じゃない! あんたは折り畳み傘を持ってるんだから、別々に傘をさして帰ればすむ話でしょ?」

「でも、少しでも吉乃ちゃんの近くにいたいんです」

「やめて! 何なのよそのストーカー発言! そんなに一緒の傘に入りたいなら、広希君で我慢すれば?」

ちょっと待て。なんでそこで俺の名前が出てくるんだ。だけど、文句を言うに言えず、俺はがっくりと肩を落とした。

頬を真っ赤にして言葉をぶつける吉乃と、常に笑みを浮かべてすべての攻撃を華麗にかわし続ける紀里の、妙にテンポの良い争いに割り込むのは至難の業だ。

俺は、深空へ傘を買ってくるようにと、無言で合図を送った。深空はこくんとうなずき、店内へと入っていく。

その間も、二人の争いはしとしとと冷たい雨が降る中、飽きることなく続けられる。

「広希、お待たせ」

すぐに深空が戻ってきたが、吉乃と紀里の喧嘩は終わりそうにない。

このまんま帰ってもいいだろうけど、放っておくと確実に迷惑になる。ここは、何とかするべきなのだろうか。

首をひねって考えていると、深空がぽつんと言葉を発した。

「じゃあさ、四人で帰ろうよ、ね?」


*****


というわけで、最寄り駅へ向かう約十分の道のりを、俺たちは四人で突き進むこととなった。

前方には、相変わらず眉を逆立てている吉乃と、楽しそうに笑んでいる紀里がぎゃあぎゃあと騒いでいた。

(一体あいつらは、あれだけ声を張り上げて何がしたいんだ)

ちなみにあの二人は親戚だ。幼いころから互いを見知っているらしく、要するに俺たちと同じで幼なじみという関係にある。

で、その上、紀里が会社社長の息子であるせいだからか、吉乃と紀里は元々許嫁だったらしい(補足すると、紀里は長男じゃなくて、上に兄が二人いるそうだ)。

ただ、許嫁ってのは親同士が決めたことじゃなくて、幼い紀里が一方的に言いだしたことだ。俺は深空からそう又聞きした。

その話をしている時の吉乃は、えらく不機嫌だったみたいだ。

「吉乃ちゃんと紀里君、今日も仲がいいねー」

そう評する深空の視神経を、俺は本気で疑った。

と、いきなり前方の二人が静かになる。どうやら、吉乃が黙り込んだみたいだ。

「あんた……肩、濡れてるけど」

「え? ああ、そうですね。帰ったらちゃんと乾かさないと、制服がしわになっちゃいます」

確かに、紀里の左肩は、俺以上にぐっしょりと濡れていた。どうやらこいつ、コンビニにいくまで吉乃に気を配っていたらしいな。

「馬鹿じゃないの?」

そんな紀里を、吉乃は無情にもばっさり切り捨てた。おいおい、なんでそうひどい単語を口にできるんだよ。

「私のせいであんたが風邪なんか引いたら、気分悪いわ」

吉乃はそういうと、鞄の中から取り出したタオルをばしっと紀里へと投げつけた。

「ちゃんと洗ってから返しなさい! わかった?!」

これには俺も、そして紀里自身も、目を見開いた。紀里はタオルと吉乃を交互に、しげしげと見やり、春の訪れを知った小人のような笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。せっかくですので、使わせていただきますね」

紀里の今の笑顔には、休み時間に深空へと向けたのとは別の感情が――静かだけれど濃密な喜びが、ありありと見てとれた。

吉乃はさっと顔をそらすと、いくらか早歩きになる。紀里がその歩調にあわせ、また吉乃は目をむいてどなった。

「ついて来ないでよ!」

「そう言っても、駅はあっちですから」

とうとう吉乃は走り出し、紀里も「吉乃ちゃーん」と名前を呼びながら去っていってしまった。

なんだ、いまのコント。打ち合わせも何もしてないぶっつけ本番のくせに、妙に完成度が高かったぞ。

「明日、吉乃ちゃん怒ってるだろうな」

遠ざかる二つの傘の花を眺めながら、深空はニコニコしていた。

「は、どういうことだよ?」

「吉乃ちゃん、紀里君と何かある度に、私にのろけるんだ」

「のろける?」

お前、さっき「怒る」って言ったくせに、「のろける」とも言ったよな? 矛盾してないか?

「うん。怒って、のろけるんだ」

「……はあ、そうなのか」

女ってのは、全くわけのわからない生き物だな。


*****


数分後、駅の構内へ入ると、床には泥の足跡がたくさんついていた。

滑らないように気をつけていると、先に到着していた吉乃と紀里の姿を発見する。

確か、吉乃は俺たちと同じ方角の電車だけど、紀里は反対じゃなかったっけか。

「吉乃ちゃんのタオル、いい香りがします」

「公衆の面前で、何やってんのよ」

「しょうがないですよ。本当にいい香りですもん。ああ、吉乃ちゃんのにおいだ……」

吉乃の鉄拳をよけながら、紀里はタオルに顔をうずめていた。

俺は顔をそむけ、全勢力をあげて赤の他人のふりをすることに徹する。が、また深空のせいでその努力は水泡に帰した。

「吉乃ちゃん、もうすぐ電車が来るよ」

深空の言うとおり、時刻表を見れば、もうすぐ俺たちが乗る電車が到着するころだ。構内アナウンスも響き渡り、俺たちは改札口へと向かった。

「深空さん、お菓子ありがとうございます。とても、美味しかったですよ」

去り際になって、紀里は深空へ言った。そうか、もう食べたんだな。

そして、その評価はお世辞じゃないみたいだ。深空はほめられたことが嬉しいらしく、かなり舞いあがっている。

一人、何の話なのか理解していない吉乃が、疑問の視線を紀里へ向けていた。

紀里は、そんな彼女と視線をあわせると、ふわりと微笑んだ。

「吉乃ちゃん、本当にありがとうございます。今度、お返ししますから」

タオルを軽く振って、紀里は念を押す。奴の笑顔からは、いつものような胡散臭さがかき消えていた。隠しきれてない、温かい思慕の色が伝わってくる。

俺は見なかったふりをした。吉乃は無言で、改札口を通り抜ける。

「広希ー、電車が来ちゃうよー」

深空の声で俺は我にかえり、定期券をさっと駅の職員へ提示した。

ふと後ろを振り返ると、吉乃の背中をじっと見守っている紀里と、次々と駅構内へ入ってくる、色とりどりの閉じた花たちが目に入った。


〈了〉  ネット初出 2011.1.26
 
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