その5 傘の花が咲く日に


「紀里(のりさと)君、初詣の時はありがとう。はい、これ。よかったら食べて?」

俺が内心何を思っているのかをてんでわかっていない深空(みそら)は、俺の目の前で紀里へと手作りのお菓子を差し出す。

冬休みが明けたばかりの廊下は寒く、白い息を指に吹きかけ、両手をこすり合わせた。

「いいんですか? 僕がいただいても」

「うん。だって紀里君のおかげで、お賽銭箱にお金を入れてお祈りすることができたんだもん。弟と私の分の五円玉、ありがとう」

深空は満面の笑みと共に、紀里へラッピングした小箱を押し付けた。紀里は俺を一瞬だけうかがった後、深空へ微笑み返す。

「ありがとうございます。せっかくですので、いただきますね」

「うん、今回は成功したはずだから、たぶん大丈夫だよ! あっ……」

深空のクラスは、次は移動教室のようだ。理科室へ行かなきゃ、と言い残し、深空はあわただしく廊下を駆けていった。

その後ろ姿が見えなくなった後、俺は耐えていた分を吐き出すように、深々とため息をつく。

用事があるからちょっと付き合って、と深空に言われ、ついてきた結果がこれかよ。紀里のクラスを探して、紀里にお菓子を渡して……俺には何もないってか。

「これ、僕が貰ってもいいんですか?」

いましがた深空からお菓子を受け取ったばかりの紀里は、困惑を表情に混ぜている。

「いいだろ。どうして俺に聞くんだ?」

「何となく、あなたが残念そうな顔をしてますから」

一番ついてほしくないところをぐっさり刺されてしまい、思わず乱暴な言葉遣いになってしまう。

「……んなこと思ってねえからな!」

吐き捨てた後、そっぽを向いてその場にとどまるよりも、さっさと自分の教室へと引き返せばよかった――そう後悔したのは、紀里が意味ありげな笑みを唇に刷いてからだ。

「広希(ひろき)君、案外純情なんですね。無口なのに」

「……っ違うって言ってんだろ」

「おや、もしかして……」

紀里は顎に手をあてて少し考え込み、ついで、目を丸くして俺を見た。

「まさか深空さん、あなたにはお菓子渡してないんですか?」

「……」

俺はそれには答えなかった。けど、この沈黙の意味がわからないほど、紀里は鈍くはない。

「あの、これ、本当に僕が貰っても」

「あいつの感謝の気持ちを踏みにじるなよ。そんなことしたら、ぶっとばすからな?」

視線を外したままで凄んでやると、紀里はまた笑った。

俺は、これ以上何か言われる前に、すたこらとその場を後にした。もうそろそろ、休み時間も終わるころだしな。


*****


授業時間中はいつものように、ぼんやりしたり、寝こけたりしていた。真摯な授業態度を全くとる気がない俺を、先生は咎めすらしない。

そうこうしているうちに、もう帰る時間になってしまった。

俺は部活をやってないので、だいたいそのまままっすぐ家へ帰ることが多い。

唐突に、休み時間中での紀里との会話を思い出してしまい、俺の眉根は不機嫌によせられた。次いで、元旦の出来事を脳裏に浮かべる。

年が明けて早々、深空は俺の家へやってきて、初詣に行きたいからついてきてほしいとダダをこねた。

しぶしぶ深空の願いを聞き入れた俺は、眠いのに神社へとついていく羽目になり、賽銭を忘れたと言って嘆いていた深空へ五百円を渡した。

なのに、五円玉を渡した紀里の方へ先にお礼のお菓子を渡すなんて――

「そりゃあ、確かにべっこう飴はもらったけどよ……」

と、こんなことを考えている自分の根性がものすごく卑しいと感じてしまい、一人で恥入った。

俺はすねているわけじゃないし、嫉妬しているわけでもない。そう必死に、言い聞かせる。

言い聞かせなきゃならないほど、わきあがる思いを制御できなくなっていることには、気がつかないふりをして。

「あ、広希ももう帰るの?」

緩慢な動きで下駄箱から靴を出していると、後ろから声がかかった。振り向かなくてもわかる。深空だ。

俺はわざとめんどくさそうなそぶりで、深空を振り返る。頭ひとつ以上身長差があるせいで、首をよけいに動かすはめになった。

「なら、一緒に帰ろう?」

「ああ、そうだな」

深空は書道部なのだが、話を聞く限りよくさぼっているらしかった。

というか、書道部自体がかなりマイペースに活動をしているらしく、現部長も部員たちの個々のペースに任せているらしい。

それは集団行動としてどうなんだ、とは思うものの、大会などがある時はちゃんと一致団結しているそうだ。

玄関を出て、生徒の流れを目の端にとらえつつ、深空と俺もそれに混じる。

「あ、あのね、広希の分のお菓子は、ちゃんと後で渡すから……」

まさか俺の内心を読みとったわけでもないはずなのに、いきなりそんなことを言われたものだから、俺は息をのんだ。

「別に気にしなくていいぞ」

「ううん、広希にもお礼するからっ……あ、でも、来月まで待ってくれる?」

「来月?」

二月までか? そりゃなんでまた。目で問うと、深空は拳を握って力説する。

「それまでに、もっと上手にならなくちゃ! だから、ちょっと待っててね、広希」

「あ、ああ」

俺は深空の迫力に少し驚く。と同時に、もしかしたら紀里は実験台にされたのではないかという気がしてしまった。

「なあ、伸城(しんじょう)にあげてたやつは……」

「紀里君にあげたお菓子? あれね、けっこううまくできた方なんだ。でも、広希にあげるときには、もっともっとうまくなるからね!」

料理がうまいとは決して言えない――むしろ、腕前は独創的にもほどがあると言って差し支えない深空が、これだけ意志をみなぎらせている姿が何だか可笑しくて、俺は噴き出してしまった。

「なんで笑うの?! 広希ったらひどい!!」

頬を最大限に膨らませている深空をなだめる余裕もなくて、俺は声を何とか抑え込んだ。あんまり笑いすぎると、人の注目を集めてしまうからな。

と、頭にごく軽い衝撃を感じた。見上げると、鼻にも冷たい飛沫が降りかかる。

「やべえ、雨だ」

俺はとっさに鞄から折り畳み傘を取り出し、慌てふためいて鞄で頭をかばっている深空へ体を寄せた。

「え? な、何?」

「何、じゃないだろ。濡れたくないだろ? ほら、入れよ」

傘を差しだし、深空を招き入れる。俺の肩よりも低い位置にある深空の頭が、俺の腕にぶつかる。

「わっ! ご、ごめんなさい……」

嗅いだ事のない、甘いシャンプーの香りがした。

俺は、一瞬感情が大津波をおこしたことをごまかすべく、深空の腕を乱暴に引っ張って歩き出した。

「コンビニへ行って、傘買うぞ」

深空を振り返らずに、短くそれだけを言った。

「う、うん。わかった」

深空の声が動揺していた。少し怖がらせてしまったかもしれない。参ったな。

俺は昔から、自分の言動のせいで周囲の人間を遠ざからせてしまうところがある。俺は無口で無気力でぼーっとしているだけのつもりなんだが、はたから見るとおまけに威圧感がついてまわってくるらしい。

そんな中でも深空は、保育園の時から俺に何度となく話しかけてきてくれた。俺にしつこくかまってくるその熱意はなかなかすさまじく、堪忍袋の緒が切れかけたことも何度かあったが、俺は深空を嫌いにはなれなかった。

小学校高学年の時は、思春期の入口に差し掛かったせいで深空と距離を置いたけど、過剰な自意識が終息してからは、またあれこれと話をしたりしている。

面白いくらい長く続いているくされ縁。それを、心地よく思う時もある。

そして、もどかしく思う時も、あった――それは、あまり認めたくないけど、まぎれもない事実だった。

俺は首をふって、物思いから強制的に離脱する。

「広希、もうちょっとゆっくり歩いて……」

「あっ……悪い」

深空の腕を放し、歩調を合わせる。

深空の制服をさっと確認したが、あまり濡れてないみたいだ。よかった。

「広希、肩が濡れてるよ。風邪ひいちゃうよ」

「平気だよ。気にするな」

「でも……」

と、数メートル先にコンビニが見えてきた。

これで一安心だ。後は、ビニール傘が売りきれていないのを祈るのみ。

「ちょっと、離れてよ! 気持ち悪いじゃない!」

「そんなこと言わないでください、吉乃ちゃん」

「だ・か・ら!! 私の名前を呼ばないでって何度も言ってるでしょ?!」

コンビニ敷地内のせまい駐車場で、ものすごくよく目立つ高校生が二人いた。

一人は男で、一人は女で、どちらにも見おぼえがあった。

(何やってんだ、あいつら……)

俺は、あきれたまなざしで須賀吉乃(すがよしの)と伸城紀里(しんじょうのりさと)を交互に見る。

無視して暖房の効いた店内へ逃げ込もうとしたが、深空が足を止めた。

「吉乃ちゃん、紀里君、どうしたの?」

なんで面倒事に首を突っ込むんだよ、と言いかかった言葉をかろうじて飲み込んだ。どうせ、いつものどうでもいい痴話喧嘩なのに。

「あ、ちょうどいいわ。ねえ広希君、こいつと一緒の傘で駅まで行ってくれない?」

「何でだよ!」

俺まで会話の輪の中に強制参加させられた。くそう、面倒くせえ。
 
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