その4 暦の新しい日に
「うーん、まいったわね。お賽銭以外の小銭持ってないから、貸せないなあ……。私、お賽銭は五円玉主義なんだけど、今一枚しか持ってないのよ」
なぜ五円玉なのか、という質問をしたら、「ご縁(五円)がありますように、ってとんちをかねてるのよ」だそうだ。
神様が親父ギャグ、好きだといいな。
「しょーがない、帰るか」
全くやる気のない俺は踵を返したが、当然深空に止められた。
「ま、待ってよ、広希」
「待てねえ。帰る」
「そ、そんなあ……」
がっくり肩を落とす深空。泰陽が俺を睨んでいる。
なんで俺がこんなめにあってるんだ。誰か、この不条理を説明してくれないか。
「……家に帰って、小銭とってくるから、待ってろ」
「え……?」
深空が何か続けようとしたが、俺は無視してすたこら家へと向かう。
そして、神社の敷地内を抜けて数メートル歩いたところで、声をかけられた。
「あ、広希君じゃないですか。あけましておめでとうございます」
うっさんくさい笑みと共に新年の挨拶をしてきたのは、伸城紀里(しんじょうのりさと)だった。
ちなみにこいつは吉乃の親戚で、吉乃がずいぶん俺にからんでくるせいで、俺の名前を覚えているのだ。
「ああ、おめでとう」
側を通り抜けようとするが、さらに相手は話しかけてくる。
「もう、用事は済んだのですか? すれ違いですか。残念ですねえ」
俺はこいつの敬語がどうも苦手だった。キャラ作りのためではなく、何年も前からこんな感じだったらしい。こいつの父親がそれなりに規模のある食品メーカーの社長だってのは、それに関係してるんだろうか。
「家に帰って賽銭を取ってくるんだよ」
俺は、深空と吉乃が待っていることを手短に話した。紀里は、「ああ、それなら」と言って自分の財布をチェックする。
「小銭なら、ちょうどいっぱい持ってます。五円玉なら、五枚ありますよ? これで足りますか?」
おや、こいつももしかしたらお賽銭五円玉主義なのか、と俺は不思議に思った。
「へえ、よくそんなに持ってるな。ていうか、借りてもいいのか?」
「僕とあなたとの仲じゃないですか」
と、紀里は笑うが、果たしてどんな仲なのか解説してほしいところだ。
とりあえず、帰る手間が省けたのは助かった。
再び境内へと戻り、賽銭箱の隣りでうずくまっている深空たちに手を振る。
「おーい、ちょうどよく財布が来たぞー」
「ひどいなあ。せめて僕の名前を言って下さいよ」
「いや、それはそれで面倒なことに……」
深空は、俺たちの姿を認めるなりかけよってきたのだが、吉乃はといえば……
「あ―――っっ!! なんであんたがこんなところにいるのよっ!!!」
すがすがしいほどさわやかな笑みを崩さない紀里にむかって、勢いよく指差し叫ぶ。うるせえ。
「あけましておめでとうございます。吉乃ちゃん」
「いやっ! 名前呼ばないでよっ。馬鹿!」
「つれないですねえ。悲しいなあ。もっと優しくしてくださいよ」
「よるなっ。あっちいけっ! しっし!」
「……僕は犬ですか」
笑みを崩さない紀里と、眉を逆立てていきり立つ吉乃。一体この光景を、何度見てきたことだろう。
ああ、うるさい。周りが注目してるぞ。
「吉乃ちゃんと紀里君、仲いいねー」
深空は呑気にそう評価する。俺は頭が痛くなってきた。
「これの、ど・こ・が、仲がいいんだよ……」
「すごく仲いいよ。うらやましいなあ」
俺は、あのうるさい二人をを羨望のまなざしで見る深空が理解できなかった。
「広希、ありがと……」
小さなつぶやきが耳に入り、振り向くと、深空はすでに賽銭箱の方へ駆けだしているところだった。
結局、紀里が持っていた五円玉を、俺と深空と泰陽はありがたく使わせてもらったわけだ。
紀里は、五円玉を吉乃にも渡そうとしたが、吉乃は断固として受け取らなかった。
「いらないわよ。あんたの情けなんかいらない!」
「じゃあ、十円玉はどうですか? 充分(十円)ご縁(五円)がありますように、っていうのはどうでしょう?」
「十円玉も持ってるからいらないっ!」
ちゃりん! と、吉乃は乱暴に小銭を投げ入れる。鈴をガチャガチャとならし、パンパンと乱暴に柏手を打って、不機嫌そうに去っていった。
「やれやれ。僕はあんなに嫌われてるんだなあ……」
そういった紀里の横顔は、ほんの一瞬だけ、悲哀を帯びていた。
俺は見なかったふりをし、賽銭を投げ入れる。深空と泰陽も、ほとんど同時に投げ入れた。
とりあえず神様には、「健康で暮らせますように」と祈っておいた。深空は、約一分以上、両手を合わせて必死に何かを念じていた。
俺と太陽と紀里は、後方でそんな深空の後ろ姿を観察する。
(何やってんだ、あいつ……)
「お姉ちゃん、早くかえろーよ」
「深空さん、何をお願いしてるんでしょうか?」
駄々をこねる泰陽をなだめつつ、俺は紀里を振り返った。
「お前は、何か願い事したのか? ずいぶん短かったけど」
「僕が望んでいることは、たったひとつですから」
こちらを向いた紀里は、いつもの笑顔で、なんら動揺することなく、さらりと口にする。
「吉乃ちゃんが、僕との婚約解消を解消してくれますように、って、お願いしました」
「…………へ、へえー」
御曹司とその親戚ともなれば、いろいろあるんだなあ、としみじみ思った瞬間だった。
と、祈祷を終えたのか、深空が満足そうに息を吐いて、かけよってくる。
「待たせちゃって、ごめんなさい」
泰陽が姉の手をきゅっと握ったのを合図に、俺たちは帰路につくことにした。
もともと家が全然違う方向にある紀里とは早々に別れ、来た時と同じように、三人だけで黙々歩く。
新年の空気は冷えていて、肌が刺されるようだった。俺はマフラーを調節し、顔を保護しようとする。
「泰陽は、神様に何をお願いしたの?」
「……ピーマンが食べれなくても、お母さんに怒られないように」
俺はひっそりと笑った。なんだかんだで、年相応だなあ。
「広希は?」
次に深空は、俺へと振り向く。
「今年も健康でいられるように、だったかな」
「ふうん……なんか、普通だね」
ありきたりな幸せを願うのは、大事だと思うんだがな。贅沢に何かを希求するよか、よっぽどいいと思うぜ。
「お前は、何を願ったんだ?」
「え……うん、内緒」
「俺は答えたんだから、お前も答えろよ」
「……やだ」
おいおい、求めた情報はそれに見合うものをつけて返せよな。
とはいっても、別に俺は深空の願い事は興味なかったし、別にいいんだが。
ちらちらと、深空がこちらに視線をよこしているのは気がついていたんだが、口を開くと変なことを言ってしまいそうだったから、黙っておいた。
そう、いまはこいつの弟もいるんだ。めったなことは、口走れない。
「じゃあ、広希、今日はありがと」
俺の家の玄関先で、深空はぺこりとお辞儀する。泰陽もそれにならって、俺に頭を下げた。
深空の家まではそんなに距離もないし、まあ、送っていかなくても大丈夫かな。
「おやすみ。じゃあな」
「あ……広希っ」
深空が、とんっと俺にぶつかってくる。そのはずみで俺はあやうくよろけたが、何とか踏みとどまった。
俺が目を丸くしていると、深空は頬を赤く染め――それが、寒さのせいなのか、恥ずかしがっているからか、わからなかったけど――弟の手を引いてさっさと引き上げていった。
小走りで家へ急ぐ深空の背を、俺は茫然と見ていた。
俺の右手には、深空が手渡してくれた、べっこう飴がひとつ。
『本当に、ありがと』
ひっそりと囁かれた礼が、くすぐったく、いつまでも耳元に残っていた。
〈了〉 ネット初出2010.10.29