その2 ある日の昼休み


「ねえー広希(ひろき)、お菓子作ったんだ。食べてみてよ!」

いつもの平日の昼休み、俺が自分の席に突っ伏して浅い眠りをむさぼっていると、教室の喧噪のなかに深空(みそら)の声が響いた。

いきなり耳元に話しかけてきやがったのだ。

実は俺は、昨日の夜、やりたくもない課題と格闘していたせいで、寝不足なのだった。

そんな不快な個人的事情のせいもあって、思わず深空をにらんでしまう。

「………なんだって?」

ついでに声も低くなってしまった。これも個人的事情のせいだ。

怖く見えるのは不可抗力のゆえだ。

「あれー? もしかして広希、昨日ちゃんと寝てないんじゃないの?」

深空は俺の不可抗力の半眼にもひとつもおびえず、それどころか俺の不機嫌な理由をずばり言い当てた。

これが、クラスの奴らと深空の大きくちがうところだな、と思う。

深空の顔には正解を確信している笑みが浮かんでいる。

得意げな、いたずらっ子のような、満面の笑みだ。

これくらいでそんなにうれしそうにするなんて、まだまだガキだな。

俺は眠気覚ましをかねて伸びをする。

「ちげーよ、ちゃんとねたよ」

「本当に? だって広希は昔っから、十時には寝ないと持たない体質だったでしょ? だから、そんなに眠たそうにしてるってことは、ちゃんと寝てないんだよ。そうでしょ?!」

高校二年にもなってそんな時間帯に寝る奴がいるか。

希少価値高すぎるぞ。

さすがに俺だって、六時間睡眠に慣れてきたんだからな。

まあ、確かに足りなく感じるときは、よくあるけどな。

「広希、今日はちゃんと早く寝てね。寝る子は育つからね」

「……もうこの年になったら身長は伸びないだろ、たいていは」

「あ、本当だね。うん、もう広希は伸びなくていいよ。私より身長二十センチ以上高いんだもん」

「なんで自分が基準なんだよ?」

「だってさ、広希がどんどん大きくなるのに、私は伸びないんだもの。それは何だか嫌なの」

「んなこと言ったってしょーがねーだろ。個人差ってやつだよ」

「うー、納得いかない」

深空はむくれてしまった。

これくらいですねるなよ、とは思ったものの、そんなことは口には出さず、代わりにこう言った。

「深空は今のままの身長のほうがいいと思うぜ。俺より小さくてかわいいし。みおろせるし、な」

深空は一瞬赤くなったが、ちゃんと俺の最後の言葉を聞きとがめてさらにむくれてしまった。

「もう、広希ったらひどい! 気にしてるのにっ!」

そしてぷいっとそっぽを向き、捨て台詞を残して去っていく。

深空がいなくなってわかったことだけど、どうやらクラスの奴らが俺達二人の会話を盗み聞きしていたようだ。

まあ、俺はここじゃ普段一人でいるし、ほとんど誰ともしゃべらないし、さっきの光景が珍しいといえば珍しいんだろうな。

まだ視線がいくつか適当にあつまっていたので、適当に睨んでやると、いっきに散っていった。

さて、昼寝再開するか、次の授業に食い込むなんて気にしてたら身が持たねえ。

と、俺はいまさらながら、机の隅に置いてある小さなラッピングに目をとめた。

ああ、これか、深空が持ってきたお菓子は。

それは、手のひらサイズで、やけに軽い。

水色と黄緑のチェック柄のラッピング紙にくるまれ、黄色のリボンでギュッと結ばれている。

何のお菓子だ? 

こういうのの定番はクッキーだと思うけど、やっぱりそうなのか? 

そう思いながら、リボンをほどき、中からあらわれたのは。


キッチンペーパーに包まれたポテトチップスだった。


……またずいぶんと手間のかからないお菓子を作ったんだな。

しかも、学校に持ってくる途中で何があったのか、かなり粉々になってるぞ。

それに、油切りをしたのか? かなり油すってるようにみえるのは気のせいか?

「……ったく、しょうがねえなああいつは」

苦笑とともに小さなかけらを口に放り込む。塩、かけすぎだな。

まあ、深空らしいといえば深空らしい、か。

少し問題があるような気がしないでもないけどな。

俺は深空が悪戦苦闘してポテトチップスを作っているところを想像しながら、結局は全部平らげた。

今日の帰りに、礼のついでに謝らなきゃな。

あいつ、まだ怒ってるだろうから。

机の上には、温かい午後の陽光がふりそそいでいる。

ぽかぽかと背中があたたまり、俺はいつしか誘惑に負けて、目を閉じ再び眠りについた。

――眠りに落ちるほんの数瞬前、深空に感謝の気持ちをつぶやくのは、忘れなかった。


〈了〉  ネット初出 2009.3.29
 
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