Stage 8
月子を枝とでも勘違いして、休憩しているのだろうか。
動くことが憚られる一方、緊張し続けるのが億劫になった時。
黒鳥が、かぱっと口を開いた。
「〈イリス〉に守護されし、七部族の方とお見受けする」
黒鳥は、再び口を閉じた。
硬直したまま、どこか遠くで別の鳥の鳴き声が耳に届いた。
「おや、俺の声が聞こえないかな?」
また黒鳥は、口を開いた。月子は悲鳴をあげそうになった。
何とダナン・ガルズには、人語を話せる鳥がいたのか!
「き、聞こえ、ます」
「そうか、それはよかった」
安堵した声音に、月子は一度空を仰いだ。
人の声帯模写をしているだけかとも思ったが、これは明らかに会話だ。
(何らかの力を使える人が、たくさんいる世界だもの。人と話せる鳥くらい、普通なのかも……しれない)
黒鳥は足を動かし、月子の胸の方に移動してくる。
「あなたは誰? デスピオ山の守護をしているの?」
「そんな大仰な存在ではないよ。俺はちっぽけな者だ」
人と会話できる鳥が、果たしてちっぽけだろうか、月子は突っ込みたくなった。
「七部族の方ならば、俺の親友を知っているのではなかろうか、そう思って、こうして声をかけたんだ」
「親友……?」
黄金の瞳を見つめていると、ふわりと眠気が忍び寄ってくる。まずい、と月子は思った。
昨夜からそうだ、体が疲れを訴えているのだ。
「親友って、どんな人なの?」
「恥ずかしながら、親友のくせに身の上の詳しいことはわからないし、忘れてしまっていることもある。けれど七部族の者だったことは、覚えているんだ。あなたの知り合いならば、俺は無事だと伝えて欲しい」
「どの、部族の人? 名前、だけでも……」
問いながら、確実に意識が薄れていく。
昨日の今日で、〈風〉の力を使って駆けてきたのは、やはり無茶だったか。
「この世を潤す力のある者だ。名は確か、――」
黒鳥の正体もわからぬまま、月子は気絶するように眠りの世界に入ってしまった。
○
瞼の向こうがまぶしい、と感じた。
額や頬に、冷たく心地よい何かが当たる。
月子は体の痛みを覚え、目を開けた。固い地面に横になっていたのがよくなかったようだ。
目の前に、思いもよらない人物がいた。
「え、メルンさん?」
濡れた布を持ち、ほっとした様子のメルンがこちらを見降ろしている。
次いで、マリンが覗きこんできた。
「月子ちゃん、どこも痛いところはない?」
二人を交互に見た後、空を見上げる。太陽は中天まで昇っていた。
それなりの時間、眠っていたようだ。黒鳥の姿は、見当たらない。
「どうして二人が?」
「……ツキコ様を探しに来たに決まってるだろうが」
メルンの視線にも声音にも、たちまち険が宿る。
マリンが止めるより先に、メルンの拳骨が月子の頭に落ちた。
かなり手加減してくれたようだが、ついで怒声が炸裂する。
「勝手に動き回るんじゃねえよ、このじゃじゃ馬娘! 大人しく休んでろって言ったのに、何で言うこと聞かないんだよおっ!」
月子は身を起こし、マリンにしがみついた。
マリンは腰に腕をまわしてくれたが、メルンが喚くのをそのままにしている。
「俺達が先だったからいいものの、盗賊や〈デミウルゴス〉が見つけてたらどうなってたかわからないぞ! あんたはこの世界に来たばかりの上に、体も参ってるんだ。やってることが無謀どころじゃない! お馬鹿ちゃんだ! じゃじゃ馬が過ぎるようなら、本物の馬みたいに手綱でもつけてやろうかっ!」
口角から泡でも飛ばす剣幕に、月子は首を縮めた。
メルンは月子が憎い訳ではない。きつい物言いは案じていたことの裏返しなのだ。
そう理解していても、年上の男性にこうまで怒られると、身がすくんでしまう。
「ご、めんな、さい」
ひとすじ涙が落ち、マリンにますますしがみついた。
泣かせたと気づいたメルンの語調が、明らかに弱くなる。
「って、ぁ……な、泣いて済むもんじゃないからな。何だよ、向こうみずかと思えば泣き虫なんてよ」
成り行きを見ていたマリンが、遠慮がちに言う。
「メルンさん、今のは私も怖かったわ」
「なっ……そ、それならマリン様も、リオみたいに無礼だって咎めりゃいいんだよ!」
その後メルンはぶつぶつ言いながら、月子の体についた草や泥を拭ったり、怪我がないか簡単に診察してくれた。
「擦り傷も打撲もなし。頭は打ってないんだな?」
「多分」
「それならよし……昨日飲んだ薬と同じものがあるから、とりあえず飲んどけ」
馬がつないであるらしい方向へそそくさと去っていく。彼なりに気まずいらしい。
うなだれた月子の頭を、マリンが優しく撫でた。
「びっくりしたね」
目がうっすらと赤いまま、月子はマリンを見た。
「マリンさんがメルンさんを止めなかったのは、マリンさんも怒ってるからだよね?」
マリンは返事をするかわりに、月子をしっかりと見据えた。
「月子ちゃんがいなくなったってわかった時、寝坊したウーレア以外、みんな怒ってたわよ。それに弦稀君だっけ? ものすごく心配してたわ」
弦稀の名前を出され、昨日のぼろぼろだった彼の姿が脳裏に浮かぶ。
「麻倉君の怪我は?」
「あちこち痛いみたいだけど、メルンさんが言うには、ちゃんと治療すれば回復するそうよ」
盛大な安堵の息をついた月子に、マリンは首をかしげる。
「どうして、ここまでしてデスピオ山に行きたいの?」
月子は、服の下の石を握りしめた。