Stage 8


しかし、〈はじまりの女〉は突如亡くなってしまう。

彼女は子どもを産まなかったため、その一族の能力の継承は途絶えてしまった。

七部族及び〈イリスの落とし子〉達の能力は、表向きは、虹を司る神〈イリス〉からもたらされたものということになっている。

だが実際は、〈はじまりの女〉が持っていた力を分け合ったものなのだ。ただしこの事実を知っている者は、ごく少数に限られている。

(石を通じて、〈はじまりの女〉とつながっていると言えるのかも……)

月子は、断片的な夢のいくつかを思い起こした。

最初は声くらいしか聞こえず、会話の内容もわからなかったのに、徐々に鮮明な夢を見るようになっていった。

夢に出てきた、男と女。

女はおそらく、〈はじまりの女〉で間違いないだろう。嬉しそうに声を弾ませている時もあったのだが、悲嘆にくれていることが多かったような気がする。

そして彼女が、自ら命を絶とうとする夢まで見てしまった。

(事故とか病気じゃなくて、自殺してしまったんだ)

彼女以外にも、正体不明の男がいた。それも二人。

月子の中に、岩のようにどっしりとした確信があった。

(その男の人は、たぶん、神様だ)

あの重厚な存在感、気配は人外のものだろう。

一人の人間の女と、二人の男神。

時の彼方に埋もれた神話時代に、一体何があったのか――

「……あーもう、これ以上考えても答えは出ないのに! だから山に行きたいのに!」

そう思う一方で、真守や弦稀のことが頭をよぎる。

真守は〈デミウルゴス〉に操られたままで、弦稀は重傷を負ったまま。

勢いで飛び出してきたが、〈デミウルゴス〉にどう対峙するか、という重大にして喫緊の課題がある。

それを放りだしてまで、〈はじまりの女〉について知りたいから山へ向かう、という選択は、間違っているのではないか。

月子は思わず、髪をくしゃくしゃとかき回した。

「もう、どうしたらいいの!」

煮詰まって叫んでも、どうにかなることではない。夜露でしっとりしている地面にごろんと転がり、空を見上げる。

白み始めた天を背後に、千切れた雲がゆったりと流されていた。再び昇った太陽は、黄金色の光であまねく世界を照らし出す。

どこまでも突き抜けていきそうな広い青色に、ゆっくりと手を伸ばす。数度、高みを掴むように手を握りしめた。

ふわりと、風が手にまとわりつく。

「……?」

自然に吹き抜ける風ではない。くるくるとなぞるように、月子の手を撫で続けている。

ふと、もう片手で服の下にある石を引っ張り出した。首から下げていた水色の石は、朝の光を受けているためか、縁が白金色に似た輝きを帯びている。

しかし月子は、すぐ唖然とした。

「光ってる……」

石が、炎よりも明るく輝いている。跳ねたり震えたりはこれまでにもあったが、強い光を発するのは初めてだ。

言葉もなく、しばし石に見入る。何かを訴えかけている気がした。

空に伸ばしたままの片手を、変わらず風が撫でている。

石から視線を離さないまま、ゆっくりと立ち上がった。

「もしかして……デスピオ山の場所を、あなたは知ってるの?」



光続ける石が、一度震える。肯定の合図だ、と思った。

優しい風は、いつしか全身を包みこんでいた。時折、東の方へ向かって吹きぬけている。月子が目指していた方角だ。

道のりは間違ってないのだと、背中を押されている気がした。

「ありがとう……」

石を両手で包みこみ、祈るように礼を言う。また、相槌とばかりに石が震えた。

月子は、風の行く方を見据えた。

目を焼くほどの、新しい朝日が視界一杯に広がる。

「どうか、私をデスピオ山まで案内して――我が元に来たれ! 我が翼となり、助けとなれ」

優しい風が少しずつ勢いを増し、月子を中心に渦を巻く。そのうちの一筋が、月子の背を叩いた。

今だ、と直感し、一歩踏み出す。

そこから先は、跳ねるように地面を駆けた。

まるで、バネでも足に着けたかのようだった。景色が次々と後方へ遠ざかっていく。

一歩の幅が大きいのに、踏み出す力は軽くすんで、足も痛くならない。

背中に、足に、守護のように風がまとわりついているのがわかる。

風と共に駆けることができるなんて、思いもよらなかった。じわじわと感動が沸き上がってくる。

(できることが一つ増えただけで、こんなに嬉しいなんて)

普通に走るよりも早く、馬で走るよりも楽だ。

風に乗り、息を合わせ、つま先でしっかり地面を蹴る。置かれた状況も忘れ、楽しささえ覚えてしまうほど、体が軽い。

風に叩かれ続けた頬が冷え切った頃、ふと思った。

(そういえば、止まりたいときはどうすればいい……)

前触れなくきゅっと、体が宙で静止する。

まとわりついていた風が一切失われたことに気づいた時には、地面をごろごろと転がっていた。

悲鳴を上げる間もなかった。勢いが失せて回転が止まった後、口に入った草を慌てて吐き出す。

心臓がばくばく鳴り、息もあがっている。すぐに起き上がれず、大の字に寝転んだまま、月子は朝の空を見上げた。

手足を少し動かしてみて、体が無事動くことを確認する。

(今のは、私が使った力だよね? でも、止まる時はコントロールできなかった)

服の下の石を取り出してみると、もう光っていない。

ということは、山への案内が終わったということだろうか。

視線を動かしていくと、頭上のかなたに逆さになった山頂があった。

同じ方角から、ひとつの影が飛んでくる。鳥だ。

まるで空の黒い染みが移動するように滑空し、月子の方へと飛んできた。

「え?」

軽やかに自分の腹に着地した鳥を、まじまじと見る。

カラスに似た、真っ黒な鳥だ。

ただ月子が知っているカラスより目が二倍くらい大きく、瞳は金色だった。

秋の稲穂を連想させる豊かな光彩で、こちらをじっと伺っている。

こくりと息を飲んだ。

月子の印象だと、鳥という生き物は首を傾げたり、周囲を見渡したりして、ちょこちょこと動き続けるものだ。

だが目の前の黒鳥は、彫像のように微動だにしない。
 
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