Stage 8
腕や腹の傷がズキズキと響く。まだ耐えられる痛さだ。
包帯を巻いてある片手を額にのせ、弦稀は唇をかみしめた。
(真守……)
訳がわからぬまま親友とたたかい、話せないまま置いてきてしまった。
何度叫んでも、どれほど懇願しても、憎悪にまみれた真守は自分の言葉を聞いてくれなかった。
(どうしてこんなことに……くそっ、あいつを一人にしたのが間違いだったんだ)
弦稀がこのダナン・ガルズに来たのは、月子と二人でだ。
もしもあの日、真守も一緒に行動していたら――無意味な仮定に、ぎり、と歯ぎしりする。
足音がし、誰かが顔を覗きこんできた。
「目が覚めたのね、具合はどう?」
優しく問うてきたのは、弦稀よりも少し年上の少女だ。記憶が正しければ、マリンと呼ばれていた気がする。
「……ちょっと、痛いです」
本音を覆い隠して言うと、すかさず別の声が割って入った。
「強いのは結構だけど、強がるのはあんまり良くないぞ」
近づいてきたのは、マリンそっくりの少年だ。
こちらは弦稀ほどでないにしろ怪我がひどいようで、肩に厚い包帯が巻かれている。
「お兄ちゃん、それ自分のこと?」
少年は一瞬、言葉に詰まった。
「まあ、自戒も込めて。強がらなくてもいい時もあるんだって、覚えておかないとな」
二人は続いて、順番に名乗った。弦稀もそれに応える。
「弦稀と言います。そういえば、風賀美は?」
泣きぬれていた彼女に、大丈夫だと伝えたかったが、姿が見当たらない。
「月子さんのことかな? 彼女なら、別の小屋で寝ている……」
カエンの説明はそこで途切れた。
どたどたと音をたて、慌ただしく誰かが駆けこんでくる。血相変えて飛び込んできたのは、メルンだった。
「ツキコ様はここにいるかっ?」
叫ぶ問いかけに、カエンもマリンも顔を見合わせた。
「まさか月子ちゃん、いないの?」
メルンはすぐ答えず、落ちつこうと深呼吸を繰り返す。
「いや、見つからないだけで、いないと決まったわけじゃ……」
「メルン!」
続いてやってきたのは、リオだ。彼は一目散に弦稀に近づいて礼をとった後、何かを差し出した。
「ツキコ様が使っていた寝台の近くに落ちてました。僕では読めません。何と書いてあるでしょうか?」
弦稀は手を伸ばし、ノートの切れ端を受け取った。ボールペンで、日本語が書いてある。
一度黙読し、全員に聞こえるように読み上げた。
「『一人でデスピオ山へ行ってきます。必ず戻ります。心配しないでください。ごめんなさい。 月子』……あの、これって」
疑問を最後まで口にすることは出来なかった。
全員の表情が――特にリオとメルンの表情が、たちまち強張っていく。
弦稀以外の誰もが絶句し立ちつくす中で、一番最初に言葉を発したのはメルンだった。
「何考えてんだ……あの、じゃじゃ馬むすめぇーっ!」
○
くしゅん、と月子はくしゃみをした。ぶるりと身を震わせ、何となく来た方向を振りかえる。
朝の静謐な空気が、指先に絡まり熱を奪っていく。しかし先程のくしゃみは、体が冷えたせいではないかもしれない、と感じた。
(もうそろそろ、ばれちゃったかな……)
眠りに入る前、月子はこう決めたのだ。
リオたちよりも早起きができれば、一人でデスピオ山へ向かうのだと。そうでなければ、弦稀の看病を手伝うつもりだった。
運が味方したのか、まだ薄暗い時にぱっちり目が覚め、日本語で書き置きを残し、窓からそっと逃げ出すように出てきた。
東の方向に山がある、ということらしいので、日が昇りつつある方を目指して黙々と歩いてきたのだが――
やはり勇み足だったか、と月子は後悔していた。
メルンの集落を出てから、左手側には低い山々がずっと続いている。
これではひたすら歩いていても、どれがデスピオ山なのかわからない。そもそも月子は、デスピオ山の特徴を知らないのだ。
方角も、メルンの集落から東の方、としかわからない。
出発したばかりの時は、さくさくと歩を進めていたが、やがて足取りが重くなっていく。
疲れのせいではなく、心許なさのせいだ。
気ばかり急いたあげく、空回りしているような気がする。
(ああ、本当に私、一人じゃ何も出来ないんだ……)
とうとう月子は歩を止め、ぽつんと立ちつくした。薄かった影は、いつの間にか暁の光によって濃く長く地面に落ちている。
(馬鹿だなあ、昨日リオさんが言ってくれたこと、全然わかってないじゃない)
無意識のうちに、左手首を握っていた。服の下に、腕時計が隠れている。
中学の入学祝いとして親が買ってくれたものだが、針は全く動かず、時計としての用はなしていない。
おそらく、ウリリヤが〈デミウルゴス〉に囚われた月子達を探す際に使ったものが、この腕時計だ。
腕輪みたいなものに気配を一番感じた、とのことだが、該当するものはこれしかない。
また人探しの能力を使われないように、と思って持ち出したのだが、よく考えれば〈イリスの落とし子〉が他に何人もいるので、月子の気配を辿ろうと思えば辿れるではないか。
もうじき、追いつかれるかもしれない。
はあ、とため息をつき、ぺたりとしゃがみこんだ。自分の浅はかさが情けなかった。
「でも、どうしても知りたかったの」
誰にともなく独白する。拙いなりに考えあっての行動だったのだと、自分自身で確認したかった。
「夢はいろんなものを見せる癖に、断片的過ぎて、まるでわからないんだもの」
夢の内容を思い出す前に、これまでに知り得たことを整理する。
ダナン・ガルズの神話時代に存在した、〈はじまりの女〉。
既に名前が失われた女性とその一族は、人間でありながら死した命を再生させる能力を持っていた。