Stage 8


優しい言葉をゆっくり反芻するうちに、雪解けのように心がほどけていく。

強くなりたいあまり、自分を追い込んでいたのだ、と気づく。焦燥と悲壮感を伴った決意は、確かにとても辛かった。

けれどもそれが、一番最良の選択だと信じたのだ。

今でもその思いは、変わってない。

「リオさんの言葉、忘れないようにします。けどやっぱり、甘えすぎるつもりはありません。誰も、私の盾にはなってほしくないから」

過ちを繰り返したくはない。けれどそればかりに囚われたあげく、別の過ちをおかすこともあるかもしれない。

リオは、そのことを気にかけてくれたのだろう。

「リオさん、ありがとうございます。おかげで少し、楽になりました」

ぺこ、と頭をさげつつリオを伺うと、彼は柔らかな笑みを口に刷きながら、また月子の頭を撫でてくれた。

「どうかこれからも、一人で抱えず、無理をなさらないでくださいね」





そのうち疲れも癒えたので歩き出すと、ほどなくマリンの姿が見えた。

「調子は良くなった?」

「はい、何とか。待たせてごめんなさい」

「気にしないで。あともう少しよ、頑張りましょ」

と張り切って言うものの、マリンが動く気配はない。

おまけになぜか月子とリオを、好奇心一杯に交互に見ている。

「どうかなさいましたか?」

リオが問うと、マリンはいたずらっぽく瞳をきらめかせた。

「もしかして、二人は恋人なのかなって思って。あ、ごめんなさい、こんな質問不躾よね」

言葉では謝ってはいるものの、きらきらした笑顔からは答えを待ちかまえているのがありありとわかる。

月子はたちまち顔中を真っ赤に染めて両手を振った。

「ち、違います……じゃなくて、違う! リオさんには恋人がいるんだもの!」

「あら、そうなの? ごめんなさい、勘違いしちゃった。すごくお似合いに見えたから」

付け足された説明に、ますます頬が染まる。

一方リオは、困ったようにはにかんだ。

「〈シュビレ〉の僕が〈イリスの落とし子〉とそのような関係になること事態、恐れ多すぎます」

「そんなこと言っちゃいけないわよ。恋には部族の違いとか立場の違いなんて無いに等しいもの、ね」

最後の問いは月子へのものだったが、一般論について意見を言えるほどの余裕はなかった。

真っ赤なままで俯く少女に、またマリンは微笑む。

「こんなに初心だったなんて、可愛い子ね、月子ちゃん。からかってごめんなさい」

「い、いえ……」

かろうじて答え、リオを見上げると、リオもくすくすと笑んでいた。

それは月子が知る限りの、リオの最も飾らない笑顔だった。

が、月子と目が合ったとたん、彼は慌てたように咳をひとつしてかしこまる。

「し、失礼いたしました」



月子は首を横に激しく振ってから、まくし立てた。

「さっきも言いましたけど、私は向こうの世界の感覚が抜けてないから……だから、リオさんがそんな風に笑ってくれて、何だかほっとしました」

リオは最初から、年下の月子に対して礼儀正しかった。

彼の立場からすれば、そう振舞うのが自然だったのだろうが、月子は戸惑いと申し訳なさしかなかったのだ。

「さっき、お兄ちゃんみたいに思ってもいい、って言ってくれましたよね。私も時々でいいので、リオさんが今みたいに笑ってくれたら嬉しいです」

リオは一瞬目を丸くしたが、また柔らかく相互を崩す。

「それなら、ちょっと難しいかもしれませんが、やれることはやってみましょう」

そのやりとりを見ていたマリンが、得心したようにうなずく。

「私の見当違いだったわ。あなた達は恋人じゃなくて、兄妹がとてもお似合いね。あーあ、私もリオさんみたいなお兄ちゃんが良かったなあ。私のお兄ちゃんは、やたらと過保護だから」

マリンが大げさに嘆くので、月子はカエンの振る舞いを思い返してみたが、非のあるような兄には思えない。

「カエンさんは優しいと思うけど、過保護かなあ……」

「月子ちゃんは知り合ったばかりだから、あんまりわからないかもね。お兄ちゃんの優しさは、しつこすぎるのよ」

話が長くなりそうだと思ったのか、マリンは二人を促して歩き出した。

月子はマリンの隣で、愚痴とも自慢ともつかないカエンの話を聞かされた。

後ろから、リオが静かについてきてくれる。今はそのことがとても、安心できた。

「この世界に来てから最初の数年は、月に一度は私の様子を見に来てたのよ、信じられる? 向こうの世界では双子だったけど、ここでは違う部族の人間だから、兄妹という扱いは受けてないんだけどね……でも結局、お兄ちゃんが過保護なのは私のせいかな。たくさん心配かけたし、いつまでもお兄ちゃんって呼び続けていたから」

「マリンさんが、そうしたかったの?」

「十年間ずっとお兄ちゃん、って呼び続けていたから、改めて名前で呼ぶことが出来なかったの。それでそのまんま。過保護だって文句を言ってるけど、甘えてるのは私の方なのよね。そういえば、あの時だって……」

マリンの声が低く沈む。月子は歩きながら真横の彼女を振りかえった。

マリンは、空より遠くのいずこかを見ていた。

「――がいなくなった時も、お兄ちゃんがいなかったら、どうなってたかな」

その独白すべてを、月子は聞き取れなかった。

だが深く問うべきではないと、とっさに悟る。

(マリンさん、すごく辛そう……)
 
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