Stage 8
「ツキコ様」
ゆっくり膝をつき、月子を地面に座らせたリオに、カエンが近づいてくる。
「どうしたんだ?」
「お疲れのようです。僕達は少し休憩してから行きます」
交わされる会話に、月子は力なく首を振る。
「だ、大丈夫。歩けます……」
そう言いながら立ち上がろうとするが、リオにもカエンにも止められてしまった。
「無理は良くないよ。俺も一緒に休む」
「でも……」
とそこへマリンが引き返して来て、カエンの肩に軽く手を置いた。とたん、カエンが顔をしかめる。
「……っ」
「やっぱりお兄ちゃん、我慢してたのね。治りかけだったのに無理して力を使ったから。こんな状態で肩を貸してくれてたなんて、そんな無茶しないでよ」
「マリン、ひどいじゃないか」
「ひどくないわ。私や月子ちゃんを気遣うのはいいとして、自分のことも労わってよね。私のせいだろうけど、昔から本当に世話焼きなんだから。さあ、お兄ちゃんは先に行って!」
妹に強く押し切られ背中を押され、カエンは振りかえりながらも先頭の三人についていった。
兄を見送ったマリンは地面に腰を降ろすが、リオと月子を交互に見て、考えるように顎に手を添えた。
「えっと……私は残った方がいいかしら? それとも二人で話したいことがある?」
月子は目を丸くしたが、リオは遠慮がちに申し出た。
「できれば、ツキコ様とお話させていただきたいです」
マリンは気を悪くするでもなく、にっこり笑んだ。
「じゃあ、会話が聞こえない距離まで離れて、待ってるわね」
マリンはさっと立ち上がると、皆が進んだ方向へすたすたと歩いて行く。
やがて、リオがほっと息をついたのがわかった。
「リオさん……」
リオは思いつめたような顔をしていた。月子が重ねて尋ねる前に、彼はこちらをひたと見据えて口を開く。
「勘違いなら申し訳ありません……ツキコ様は僕に、遠慮しておられるのではありませんか?」
予想もしない問いに、月子は言葉を失った。
その沈黙をどう受け取ったのか、リオは目を伏せ拳を握る。
「〈デミウルゴス〉に襲われて僕が怪我したことを、気に病んでおられるのですね。あれは僕の力不足です。ツキコ様のせいではない」
彼が言っているのは、月子がこの世界に来た次の日におきた、〈デミウルゴス〉のラクネという少女の襲撃の件だ。
彼女の操る糸で首を締めあげられ、もがくリオの姿を思い出し、身も凍るような恐怖がよみがえった。
「あれは、私のせいです。私がもっと強ければ、リオさんの近くにいなければ、リオさんはあんな目に合わなくて済んだのに」
ラクネのあの行動は、本来彼女にとって不必要なことだった。
彼女がすべきことは〈イリスの落とし子〉を捕えることであって、その側にいる人間を痛めつけることではない。
気まぐれで残酷なパフォーマンスのために、リオは餌食になってしまった。
あの後、弦稀も慰めてくれたが、どんなに気にするなと他者から言われても、リオが苦しんだ事実は消せないのだ。
「それは違います。ツキコ様に非など一切ありません。〈デミウルゴス〉が残忍なだけです」
「リオさん、私は決めたんです。誰も、二度と私のせいで傷つかないようにって。だから、強くならなきゃ。誰にも迷惑をかけないように……じゃないと」
自分のために誰かが犠牲になる。そんな悲劇は、何としても避けたい。
そのためには、力を使いこなし、強くならなくてはいけない。
誰にも頼らずに、泣きごとの類も言わないくらいに。
「常に一人で何もかもできる人なんて、いません。ツキコ様の決意したことに、僕は異を唱えることはできません。けれど傍から見ていて、とても歯がゆいのです。あなたは決して一人ではないのに、わざと一人になろうとしているように見えるのです」
リオはそこで逡巡しつつも、月子の頭にそっと手を置いた。
自分より年上のリオの手のひらは暖かく、優しい。
数度羽がふれるように撫でられただけで、目の奥がつんと熱くなってしまう。
「僕達〈シュビレ〉は、代々〈イリスの落とし子〉をはじめとして七部族の皆様に仕えてきました。ですから、僕がこうしてツキコ様のお世話をすることに、遠慮など覚えないでください。これが僕の、果たすべき使命なのですから」
まずいと思う間もなく、涙が一筋頬を流れる。目元を乱暴に拭い、月子は息を吸った。
「私はまだ、元いた世界の感覚が抜けてないんです。あちらでは、私みたいな力を持っている人間は殆どいなくて、だから私は、ずっと自分のことを変な子だと思ってました」
リオがかすかに瞠目するのがわかった。
彼の感覚では、何らかの能力のない状態での生活が、全く想像できないのだろう。
「〈風〉の力を嫌ってさえいたんです。けどこのダナン・ガルズへやってきて、いきなり〈イリスの落とし子〉と言われて守られ、大事にされて、違和感ばかりでした。私は何も変わってないのに、私を取り巻くものが変わりすぎてしまったんです。だから、その……リオさんを素直に頼れないんです。頼ったら、駄目な気がしてしまって。私は、特別扱いされるような人間じゃないのに」
「そんなことおっしゃらずに、頼れるところは、頼ってください。何なら、兄と思って甘えてくださってもいいですよ」
言ってから、出過ぎた真似をしたと思ったのか、リオは頭を下げた。
「僕に出来ることは限られています。でもそれは、僕だけではありません。ツキコ様にも出来ることと、出来ないことがあると思います。それは当然のことです。これだけはどうか、お心にとめおいてください――あなたの周りには、必ず頼れる誰かがいるのです。だから、一人で抱え込まないでください」