Stage 8
「そう、ここの近くに、〈シュビレ〉の知り合いがいるんだ。彼の住み家の近くに到着するよう地上に出たから、さっきも笛を吹いたんだけど。おかしいなあ、聞こえているはずなんだけどなあ……」
うーん、とウーレアは後頭部をぽりぽり掻いてぼやいた。
「予想していたより、到着が遅い気がするねえ」
マリンが声を低くする。
「まさかとは思うけど……その知り合いって人の家から、かなり離れているんじゃないの、ここは?」
笑顔で固まったままのウーレアが、あは、と短く陽気に声をあげた。
「……いや、そんなはずは、ない……と思うよ」
語尾が弱くなる青年を、マリンもカエンも無言でなじる。月子はその様子を見、がっくりとうなだれた。
(もしもの時は……麻倉君を頑張って運ばないと)
「遅くなりました、ご無事ですかっ?」
耳に飛び込んできた声は、聞き覚えのあるものだった。
風のように突然現れた青年は、息を切らして〈イリスの落とし子〉達を見まわしている。
月子は彼と視線が合ったとたん、叫んでいた。
「リオさんっ!」
「ツキコ様! ご無事でよかった……」
喜色を浮かべた彼は一転、満身創痍の弦稀を見て言葉を失う。
焦って近づいてくる彼に、月子は安心させるように微笑んだ。
「大丈夫です。眠っているだけだから」
「何と大変な目に遭われたのでしょう。でも、どうぞご安心ください。治癒に心得のある者が、おりますので」
リオは顔をあげ、近づいてくるウーレアに対し片膝をつく。
「もしかして、予定の場所より相当離れているかな?」
「そこまで遠いわけではありませんが、出立直前に馬が暴れてしまい、僕だけが先に来たのです。遅くなってしまい、申し訳ありません」
「そうか、わかったよ。それなら、怪我人も何とか運べそうだね」
報告を聞いたウーレアは、ほっと息をついた。
「ウーレア、その人は……」
たずねかけたカエンに向きなおり、リオは頭を下げる。
「申し遅れました。僕は〈シュビレ〉のリオと申します。今回皆様の救出にあたり、ウーレア様のお手伝いをさせていただきました」
「そうなんだ。元々は〈シュビレ〉のメルンって知り合いに、ダフネ捜索の件で助けを求めたんだけど、彼を訪ねたらこのリオ君がいてさ。話を聞いたらとんでもない事態が起きてるようだったし、何はともあれ、先に君達を探すことにしたんだよ。リオ君、メルンがここに来るまで、まだ時間かかるよね?」
「はい、馬でこちらへ向かってますが、もう少しかかると思われます」
リオは懐に手を入れ、ウーレアが弦稀に飲ませたものと同じ薬を四人分取り出した。
それをウーレアが受け取り、月子と、カエンとマリンに分ける。
「僕はとても早く走れるのですが、誰かを伴って走ることは出来ないのです。せいぜい薬を運ぶことしかできず……申し訳ありません」
うなだれるリオに、薬を飲み終わったマリンが近づいてしゃがみこんだ。
「ありがとう。あなたのおかげで体が楽になったわ。これなら、私達は何とか歩けそうよ」
月子も、薬を飲んだすぐそばから、体の中にエネルギーとでも呼ぶべき熱が、ぐるぐると回りだすのを感じていた。
その熱は、疲れや痛みも徐々に取り去っていく。体が軽くなるのを感じ、麻薬のようなものか、と一瞬考えた。
(でも、あんまり悪いものって感じがしないな、この薬。誰がつくったんだろう)
「月子さん、調子はどう?」
いつの間にか、カエンが覗きこんできている。月子は頷いた。
「はい、もう少し休んだら歩けそうです」
「また丁寧に喋っているね。堅苦しくならなくてもいいんだよ」
「あ」
くす、と愉快そうな笑みを浮かべるカエンを見て、少しだけ頬が熱くなる。
どうも彼に、子供扱いされているようだ。
実際、カエンは月子より三歳程年上だから間違ってはいないのだが、決まりが悪い。
そのうち弦稀が再び目を覚まし、リオとウーレアが簡単な手当てをしている最中、ウーレアがふと顔をあげた。
「蹄の音が聞こえるね。向こう側だ。おそらく、メルンだろう」
ウーレア以外は全く何も聞えなかったが、やがて西の方角から、一騎の影がこちらへ駆けてくる姿が目に飛び込んできた。
「悪いっ、待たせた!」
馬から降り、息せききって走ってきたのは、リオとそう年の変わらなそうな、二十歳前後の青年だ。
彼は周囲をさっと見まわし、ウーレアに尋ねる。
「〈デミウルゴス〉につかまってた〈イリスの落とし子〉は、全員助けたのか?」
「そうだよ、と言いたいところだけど、〈雷〉の〈イリスの落とし子〉は、連れてくることができなかったんだ」
説明しているウーレアの横顔は、月子には険しく見えた。飄々としすぎている印象を与える彼だが、真守のことを気に病んでいるのだろう。
布を巻き止血処理をした弦稀の体を起こし、立ち上がる。
「ともかくも、この子を君の家まで運ばないとね」
「ああ……おっと、俺は〈シュビレ〉のメルンといいます。このリオとは昔からの知り合いなんだ……って、よく考えたら、ここにいるのはリオと俺以外全員〈イリスの落とし子〉なんだよな。うひゃー! こんな状況、〈シュビレ〉の長老格でもないと経験できないぞ。おいリオ、お前よくこの人たちの前で緊張しないな」
「その態度で緊張してる? 冗談はやめろ、メルン。そもそもなぜ敬語を使わないんだ」
月子はおや、と目を瞬かせた。
いつも物腰穏やかに接してくれるリオだが、メルンという青年にやや苛立っているように見える。
「お前はウーレア様にも馴れ馴れしすぎる。いくら頼りにされているからといっても、最低限の礼節はわきまえろ」
「だってよお、ウーレアは様をつけるのは嫌だって言ってるんだぜ」