Stage 8
昼下がり、小さな森がすぐ傍にある平原で、五人の〈イリスの落とし子〉がぐったりと横たわっていた。
(想像以上に怖かった……)
まだ心臓がどくどくと暴れている。薄い青空と太陽に目を細めながら、月子(つきこ)は自分が無事だった奇跡をかみしめていた。
地上に出るまでの間――体感で十分程だろうか――まさに真っ暗な空間の中、ジェットコースターに乗っていた、という感じだった。
振動が激しく、ひたすら縦に横に激しく蛇行し続けながら上昇していく中で、よく悲鳴をあげなかったなと、自分を褒めてあげたいくらいだ。
(いや、叫ぶ余裕もなかったなあ……)
「みんな大丈夫かい? あんまり安全に運べなくて、ごめんねえ」
沈黙が続いていた中で、まだ横たわったままのウーレアが、やっと喋った。
気の抜けたその口調は、謝罪しているのか笑っているのか、不明だ。
一人だけ何とか身を起こしたカエンが、安堵のため息をつく。
「みんな、いるな……ウーレア、乱暴すぎるだろ、いろいろと」
握った何かに息を吹きかけた後、あはは、とウーレアは笑った。
「わかってるよ。一歩間違えたら、俺もつかまってただろうね。全員じゃなくても、せめて一人だけでも助けなきゃ、と思ってたんだけど、結果的にはよかったんじゃないかな? あの、〈雷〉の彼以外についてはね」
月子ははっとして、首を起こし辺りを見回す。
手の届く距離で、弦稀(つるぎ)がゆるく目を閉じたまま横たわっていた。
気絶しているのか眠っているのかはわからないが、胸がかすかに上下しているのを見て、気が抜けそうになる。
目頭が熱くなりかけたところに、ウーレアの影が太陽を遮った。
「大丈夫かい?」
何とか立ち上がったらしいウーレアが、こちらを覗きこんでいる。月子はゆっくり身を起こし、頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとうございます。私は月子といいます」
「ツキコちゃんだね、いいよ、無理しなくて。まだ顔が青いから、横になっていなよ。びっくりさせて、ごめんね」
ウーレアは弦稀に視線を移し、その表情を曇らせる。
「なんて、ひどい怪我だ」
そう言いながら、懐に手を入れた。取り出したのは革の水筒と、小さな包みだ。
「彼に、この薬を飲ませてあげて? 応急処置にはなるはずだから」
受け取った月子は、そっと弦稀の肩を叩いた。
「麻倉(あさくら)君……助かったよ、私達」
彼の首がぐらりと傾いたのち、ゆっくりと目が開かれる。
弦稀の瞳に青空が映っていることが、ひどく嬉しかった。
「風賀美(かざかみ)……泣くな」
かすれた声で慰めながら、弦稀は月子の頬をぎこちなく拭ってくれた。
「これ、薬だって。飲めそう?」
両膝に弦稀の頭を慎重に乗せ、一粒だけあった錠剤を彼の口に放り込んだ。
弦稀が顔をしかめながら、何とか水と共に嚥下する。その動作すら負担だったようで、大きな息をつくと、また瞼を閉じてしまった。
すぐに寝息を立てた彼の頬に、乾いた血がこびりついていた。
それを隠すように、そっと自分の手のひらを重ねる。草の匂いをはらんだ緩やかな風が、彼の髪を優しくゆらす。
やっと起き上がれたマリンが、カエンに肩を借りて歩きながら、こちらに近づいてきた。
「その子、大丈夫なの? 早くどこかで手当てしてあげないと」
「さっき回復薬を飲んだから、窮地は脱したと思うよ。勿論このまま放っておくことは出来ないし、皆も疲れているから、ここから移動したほうがいいのに越したことはないけど」
飄々と喋っているウーレアだが、彼の顔色も快調には見えなかった。
月子もあの乱暴な地中の移動で疲れ果てたが、ウーレアも相当力を使ったようだ。
「確かにな、このだだっぴろい草原にいつまでもいるわけにはいかない…けれどあそこから逃げれただけでも、本当によかった」
カエンがやれやれとため息をついた。
「ところでウーレア、どうして私達の居場所がわかったの? 今まで誰も〈デミウルゴス〉達の根城なんてわからなかったのに、なんであなたは突き止めれたわけ?」
カエンも重ねて問うた。
「俺もいろいろ聞きたいことがある。そもそも今までどこにいたんだ、とか、一緒にいるはずのダフネは無事なのか、とか。落ち着いたら、山ほど問い詰めてやるからな」
カエンの呆れかえった視線に、ウーレアはわずかに肩をすくめた。
「こっちにもいろいろ事情があってね。あ、ダフネは無事だと思うよ。数日前に喧嘩してはぐれちゃったけど、まあ彼女なら大丈夫でしょ」
「喧嘩?」
マリンは目を見開き、次いで額を押さえた。
「あなたたちって、仲が良いのか悪いのかどっちなのよ。しかも〈デミウルゴス〉が私達を血眼になって捜している状況で、ダフネを一人にするなんて」
「俺が一人にしたわけじゃないよ。彼女が俺と一緒にいるのが嫌になったんだってさ。まあ、詳しい話は後にしようか……ああ、念のため、もう一度鳴らそうっと」
ウーレアは再び懐に手を入れ、小さな縦笛を取り出した。手のひらに収まるくらいの其れに、彼は息を吹きかける。
だがその笛は音色を奏でず、息のぬけるかすれた音しかしない。
「ん……笛なのに音がしないの?」
目を丸くしたマリンに、ウーレアは笑んだ。
「マリンちゃんは見たことないのかな? カエンは知ってるかい?」
「確か、〈シュビレ〉の人たちが使ってる笛だろ。俺達には聞こえないけど、聞こえる人には聞こえるんだよな?」