Stage 7


マリンは、周囲に聞こえないよう兄に小声で耳打ちした。

「お兄ちゃん、この力の気配、もしかして……」

カエンの頬は、引きつっていた。

「うん、多分そうだな……これ、助かったって言えるのか?」

「言えると思うけど……私も嫌な予感しかしないわ」

そして月子もまた、緊張したラクネに支えられながら、力の気配を感じていた。

(まさかこれ……〈イリスの落とし子〉の気配? でも地球では、麻倉君にも遠城寺君にも気がつかなかったのに、どうして今さら、わかるようになったんだろ?)

靴の裏で、地面がわずかに揺れる。だが月子は、薄暗く果ての見えない天井を仰いだ。

「上だ……」

「は、どうしたの?」

訝しげにラクネが問うてくる。そして拓爾もまた、月子と同じように天井を見上げていた。

「〈地〉か……まさかこんなに早く見つけるとはね」

彼が吐き捨てたのと、硝子が割れるような高い音が轟いたのが同時だった。

ラクネが突然の音に怯んだ隙に、月子は彼女の支えを振り払い、弦稀の方へ走る。重たい足を引きずりながらも、何とか彼の元にたどり着くことができた。

二人の〈デミウルゴス〉も、ラクネと同じように音に驚いたらしく、弦稀を床に寝かせ、身構えていた。

月子が近寄ってきても、制止する余裕がないようだ。

「風賀美……」

「麻倉君、気がついてたの?」

弦稀を抱き起こし、彼の目を見たとたん、視界がぼやける。

ラクネの怒声が、背後から聞こえた。

「ちょっと〈風〉の女! 勝手に動かないで……」

そこで、少女の声は消えた。天井から何かが突き抜け、落ちてくる。耳をつんざく轟音と振動、塵芥が辺りにたちこめ、月子は弦稀を守るように抱きついた。

「……大丈夫かい?」

柔らかな手のひらで、頭を撫でられる。

聞き覚えのない男性の声に、月子はおそるおそる目を開いた。声の主はしゃがみこみ、月子と視線を合わせてくる。

「初めまして、君達二人は、きっと俺と同じだよね?」

年は二十を少し過ぎた頃だろうか。

若葉色の瞳が、青年の印象を柔らかいものにしていた。月子は目ざとく、彼が首から下げているものに気がつく。紫色の石だ。

「あなたは、〈イリスの落とし子〉……?」

「おっと、ちょっと待って」

言うやいなや、立ち上がった青年は、先程弦稀を運んでいた〈デミウルゴス〉の二人に次々拳をお見舞いした。

物騒な殴打音が数度響いて、敵はあっけなく倒れてゆく。

「ねえ今の俺、かっこよかったかな?」

見上げた彼の体格は、かなり大きい。次いで彼は、背後に向かって何かを投げた。ラクネの短い悲鳴が響く。

月子は目を丸くした。ラクネが片方の手を押さえ、こちらを睨んでいる。



「何でわかったのよ……」

噛みつかんばかりに問われ、青年はあっけらかんと答える。

「君、殺意を出し過ぎだよ。もう少し、押さえる練習をしたらどうかな。あ、下手に動いたら、もう片方の手も怪我させちゃうよ?」

青年の右手には、いつの間にか拳大の石が握られていた。一体いつの間に準備したのだろう、と月子は驚く。

それとも、これが彼の能力に関わるものなのか。

「やれやれ、とんでもないところに来ちゃった。〈デミウルゴス〉がたくさんいるね」

月子も思わず、息を飲んだ。ラクネ以外の〈デミウルゴス〉達が、こちらの様子を伺いながら、じりじりと距離を詰めてきている。

「これで全員? そんなはずないか、もっといるよね。とりあえず今、集めれるだけ集めたってところかな」

青年は呑気そうに言いながら、拳大の石を、右左の手で交互に投げ合っていた。

拓爾が、不審げに問いかける。

「〈地〉の〈イリスの落とし子〉だね。君は招待してないはずなのに。よくここがわかったね。どうやって結界を破ったんだい?」

「お招きどうも、ってお礼を言うべきところなのかもしれないけど、俺はちょっとお邪魔しただけだよ。長居するつもりはない」

ぱちん、と青年は石を再び右手に握る。

クリティアスを始め、〈デミウルゴス〉達は臨戦態勢に入っている。

奥の方にいる真守は微動だにせず、彼らの中に取り残されているカエンとマリンは、はらはらしながらこちらを見守っていた。

いつその緊張が破られてもおかしくない中で、最初に声をあげたのは、〈イリスの落とし子〉の青年だった。

「……まあ、そんなことはどうでもいいや、何だか眠くなってきたなあ」

ふわあ、と欠伸しながら大きく体を伸ばし、この場に全くそぐわないことを言う。

月子は一瞬、その言葉の意味を理解できなかった。

そしてあろうことか青年は、床に腰を降ろし、拳大の石を放り投げて、その場に寝そべろうとしたのだ。

「なんだ、こいつ……」

弦稀の小声はまさに、月子の気持ちを代弁している。片手で頭を支え、「ちょっと休憩するね」と横になった青年に、月子は慌てた。

「こ、こんなことしてる場合じゃ……」

「おい、ウーレア!」

たまりかねたようなカエンの叫び声が、空間いっぱいにこだました。

その隣ではマリンが、片手を額に当て、やれやれと首を横に振っている。

まさしく目を閉じかけていた青年――ウーレアは、空いた片手でやあ、と呑気に合図を送った。

「久しぶりだね、カエン。マリンも。元気だった?」

「お前、助けにきたのか、つかまりにきたのか、一体どっちだ!」
 
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