Stage 7
にやり、と彼は両の口角を持ち上げた。
月子の背に、怖気が走る。
「風賀美(かざかみ)さん、そこ、どいてくれないかな?」
「嫌よ!」
両手を広げ、月子は立ち上がる。真守がわずかに踏み込み、月子にさらに穂先を近づけた。
脅しのつもりなのだろう。視線を降ろせば、〈雷〉の小さな稲光がちりちりと明滅する、白い槍が胸に刺さりそうだった。
力の圧を感じた。月子が持つ〈風〉とは質の違う、ただ荒ぶる面のみを持ち合わせた、暴力的なまでの圧だ。
あんなに優しかった真守の操る力とは、こんなに怖いものだったのか。
「遠城寺君。もうやめて。あなたは、こんなことする人じゃないわ。どうしちゃったの?」
「聞こえなかったの、風賀美さん。そこを、どいて? 俺はそいつを、殺したいんだよ」
一瞬、頭が真っ白になった。聞き間違いだろうか。ちらりと覗かせた黒い憎悪は、幻ではないのだろうか。
遠くから、カエンとマリンが何かを言っている。二人は〈デミウルゴス〉に押さえつけられて、駆けつけてこれないのだろう。
たぶん、逃げろというような内容を言っているのだ。おそらく二人の判断は、正しい。
だが月子は、どうしても真守に向き合わなければならないと、強く思った。
「どうして……遠城寺君は、麻倉君と友達でしょう? 私は、二人が羨ましかったんだよ。ずっとひとりぼっちだった私と違って、二人は助け合ってきたんじゃないの? どうして、こんなことになってるの、ねえ!」
真守は答えなかった。代わりに、強い衝撃が肩を中心に全身に走った。
「あああっ!」
瞼の裏に光が明滅し、気がついた時には倒れていた。真守が持っている槍に刺され、〈雷〉の力に打たれたのだと、遅れて気がつく。
「風賀美っ!」
弦稀の手が伸びてきたが、真守が月子を抱きかかえ、飛びすさる方が早かった。
「ごめんね、風賀美さん」
真守の腕の中で、痛みをこらえながら、月子は彼を見上げた。
相変わらずの、感情を忘れたような瞳。それでいて口は笑っているのだから、恐ろしくて仕方がない。
「君に、こんなことをしたくはないんだ。本当だよ、信じてほしい」
真守の片手がすっと動き、月子の頬を包んだ。
その仕草が、やけに丁寧だった。そのまま指が、するりと顎をつかむ。真守の顔が、近づいてくる。そして――
唇に、唇が、軽く触れて。
「……え?」
その意味を理解したとたん。月子は耳まで真っ赤になった。
はくはく、と口を開いては閉じるを繰り返すが、痛みと羞恥で言葉がなかなか出てこない。
「な、なん、で……」
(遠城寺君が、私に、キスした……?)
顎に添えられたままの指が、今度は唇をなぞる。月子の頬は、ますます赤く染まった。
「可愛いね、風賀美さん」
感情の読めない目のまま、再び、真守の顔が近づいてくる。
「……ま、待って!」
もがこうとしたが、まるで自由にならない。雷撃の痛みが体に残っているのもあって、うまく力が入らないのだ。
「や、遠城寺、く……」
名を呼ぼうとしたが、真守の唇で再び塞がれる。
もがいているのに、それ以上の力で押さえつけられ、体が思い通りにならない。恐ろしさから、どんどん鳥肌がたってくる。
両手首をつかまれ、無理やり背中にまわされ、もう一度唇を重ねられる。知らず、月子の目尻に涙があふれた。
知っているはずの人が、どんどん得体のしれない人になっていくようで、たまらなく怖い。
何とか首を降り、唇が離れ、叫びそうになった時、いきなり拘束を解かれた。
突き飛ばされたその足元に、槍が一本、転がってきた。
雷撃で槍をはじいた真守は、稲光を指の間に溜めたまま、槍の持ち主を睨む。
「そんなにぼろぼろになって、まだ戦えるのか?」
嘲笑と苛立ちを含んだ問いに、かろうじて立ち上がった弦稀は吠えた。
「お前の相手は、俺のはずだろ、真守……風賀美を、巻き込むな!」
だがそこで、弦稀は膝をつき、くずおれた。
辛そうに息を吸い、血を吐いた弦稀に、月子は這いながら近づく。
「麻倉君!」
何とか手を伸ばそうとして――誰かが、弦稀の体を蹴りあげた。
低く宙を舞った弦稀は、ひどくせき込んで、再び床に転がる。
彼を蹴ったのは、ゆったりとした黒い布で全身を覆った人物だった。
先程の、声の主だろうか。そう思って見ていると、その姿が、水面が揺れるようにぐにゃりと歪む。
(え……?)
次いで現れた姿に、月子は目を見開いた。
「往生際が悪いね。降参したら、楽になるのにさ」
声の主は弦稀に歩み寄り、体を曲げてうめいている彼の髪をわしづかみ、無理やり起こす。
顔を近づけ、わざとらしい猫なで声を出して。
「君の友達は、とても良い人形になってくれたんだよ。だから君もお揃いで、降参してほしいな。友達なんでしょ? だったら、友達と同じことをしようとは思わないのかい?」
月子はただ驚きで動けず、その声の主を見ていた。
「どういう、こと……」
どうしてこの世界に、〈ダナン・ガルズ〉に――かつての弦稀や真守と一緒の、中学校の制服を着ている少年が、いるのだろう。
さっきからあまりにも沢山のことがおこりすぎて、そろそろ現実についていけなくなりそうだった。考えたくても、頭が全く回転してくれない。
少年は弦稀から手を放し、月子に向きなおる。
灰色がかった髪と瞳。日本人離れしている美少年という点では、弦稀と同じだ。
にこりと微笑んだ彼は、片手を胸に当て、軽く頭を下げる。
「はじめまして。君がこの世界にやってきた後、君が通っていた中学校に転校した、四谷拓爾(よつやたくみ)と言います。よろしくね」