Stage 7


月子は、自分の部族に戻れなくなっている理由を、簡単に説明した。

『俺たちが逃げている間に、そんなことがあったのか』

『じゃあ〈シュビレ〉の誰かが、〈はじまりの女〉について、教えてくれた?』

『いえ……教えてくれたわけじゃなくて、少し話題になっただけでした』

話してくれた際の、リオの様子を思い出す。

謎の死を遂げた、神話時代の女性の墓地周辺に薬草を取りに行く――日本で育った月子には、対した感慨もないことだ。初めて存在を知った大昔の遺跡に行く、くらいのものでしがない。

が、〈ダナン・ガルズ〉で育った人々からすれば、恐れを覚えるのだろう。

ふと月子は、あることに思い当たった。

『あの……私たち〈イリスの落とし子〉の力って、〈イリス神〉っていう神様からもらった力、ですよね?』

〈シュビレ〉で世話になった時、確かにそんなふうに説明されたはずだ。

けれど昨晩のカエンの説明は、少し違ったものだった。

『そう、私たち七部族は、虹を象徴する〈イリス神〉を昔からあがめ、守護してもらっているの。そして特別に一人だけ、強力な力を授かった者が〈イリスの落とし子〉として存在する――表向きは、そういうことになっているのよ』

月子の心臓の鼓動が、また早くなる。舌が乾いてきた。食事はあと少しで終わるのだが、なかなか匙が進まない。

マリンの説明の後を、カエンが受け継いだ。

『月子さんもある程度察していると思うけど……〈イリスの落とし子〉の持つ力は、〈イリス神〉とは関係ないところからもたらされたんだ。〈はじまりの女〉が持っていた、力の名残を七つに分け合ったもの、と言われている。でも、このことを知っているのは、七部族の中でもごくわずかだよ。歴代の〈イリスの落とし子〉本人と、長老たちと、ごく一部の語り部くらいじゃないかな』

『そうなの……このことは、大事な大事な秘密なの』

口に頬張った団子の咀嚼を忘れそうになる。この単純な動きにでも気をそらしていないと、落ちつくことができない。

それにしても、カエンとマリンの芝居は見事だ。二人とも、非常に涼しい顔で朝食を黙々と食べている。

少し前まで地球で中学生をしていた月子と違って、もう完全にこの世界の――ダナン・ガルズの人間として生きているのだろう。とらわれている状況だとはいえ、その落ち着きっぷりは見習いたい。

『秘密になっているのは、どうしてですか?』

この質問の答えが返ってくるのには、少し時間がかかった。もうテレパシーは出来なくなったのかと思ったが、カエンが眉根を寄せて考え込んでいるふうなので、息をつめて待つ。

『……建前上は、混乱を避けるためかな。本音を言えば、後ろめたいからだとか、神の権威の問題だと思う』



短めの説明だったが、なかなか的確かもしれない、と月子は思った。

〈イリスの落とし子〉という呼称がついているくらいだ。その力は、神からの贈り物だと、宣伝しているようなものだ。

まさか遥か過去に生きていた、単なる人間の力の名残りだとは、誰が思うだろうか。

月子は、はたと手を止めた。椀の中は、もうほとんど無くなりかけていた。

『あの、っていうことは、まさか〈イリスの落とし子〉って……』

(七部族以外の人が、なろうと思えばなれるもの、なんでしょうか……ん、あれ?)

ふつ、と何かがゆるむ感覚がした。どうやら、テレパシーの時間が尽きたようだ。

少し間を置いて、マリンが椀を床に置き、口を開いた。

「ねえお兄ちゃん、〈デミウルゴス〉に文句言ってもいいかな? いい加減別のものが食べたいって」

「俺はこれでいいけど。何か気になるのか?」

「うーん、味は悪くないのよね。むしろ美味しい方だわ。でもあと少しでいいから、何か工夫をしてほしいのよね。毎度同じ材料なのは仕方ないとしても、同じ味付けはどうにかしてほしいわ」

やや不服そうに腕を組むマリンに、カエンは肩をすくめてみせる。

「相手がへそを曲げて、もう料理が出てこないなんてことにならなければ、マリンの気の済むようにすればいいよ」

呆れているのか、それとも面白く思っているのか、カエンは苦笑めいた笑みを浮かべる。

唐突に、切羽詰まっている状況だというのに、月子はあることを思い出した。口を開きかけるが、軽妙なやりとりを繰り広げるカエンとマリンの間に割って入るのは、難しかった。

しかしどうしても二人に聞きたくて、好奇心を押さえられない。

と、カエンと目が合う。彼は首をかしげ、妹にするかのように微笑んだ。

「どうしたの? 月子さん」

そこで、マリンもこちらを見た。月子はここぞとばかりに、思い切って話を切り出す。

「お、お二人って、仲がとっても良いんですね」

「あはは、そうかもしれないね」

カエンは愉快そうに声をあげた。マリンはというと、なぜか難しい顔をしている。

「……マリン、もしかして俺のこと、あんまり好きじゃない?」

「いや、そうじゃなくて……月子ちゃん、私たちに敬語使うの、いい加減やめていいのよ? 同じ〈イリスの落とし子〉なんだから、そうやって固くなる必要なんてないわ」

それは、全く考えたこともなかった提案だった。すぐに答えを返せない月子に、マリンは重ねて言う。

「私とお兄ちゃんも、ウーレアに遠慮は……あ、ウーレアは、〈地〉の部族の人間で、現在の〈イリスの落とし子〉の中では一番最年長なの。でも、気さくに接しているわ。だから月子ちゃんも、私たちに遠慮しないで、ね?」

月子は戸惑った。これはきっと、喜ぶべきことなのだろう。

くだけた調子で話すことができれば、二人ともっと近づくきっかけになるかもしれない。
 
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