Stage 7
「お兄ちゃん、月子ちゃんをどうして休ませてあげなかったの? もうちょっと気をつけて! 月子ちゃんも、気持ちは高ぶっているかもしれないけれど、時には我慢して寝ることも大事なのよ!」
次の日(部屋に閉じ込められているから正確な時間は不明だが、おそらくそうだろう)、月子は目覚めた直後にマリンから叱られてしまい、うなだれていた。
どうやら、カエンから話を聞いている最中に意識を失い、そのまま眠ってしまったようだ。
月子より先に目が覚めたマリンは、ろくに眠れてなかったカエンから事の成り行きを説明されて憤慨し、兄に怒りの鉄槌を落としたらしい。
そして今は、二人まとめて説教されている、というわけだ。
「悪かった、マリン。本当に次からは気をつけるから」
「本当よ? また忘れたら承知しないからねっ」
眉を逆立てたままのマリンは、月子へじろりと視線を移す。
「月子、ちゃん?」
「は、はいっっ」
ワザとらしい声の低さに、月子は思わず背筋を正した。
マリンが両手を伸ばしてくるので、反射的にぎゅっと目を閉じる。
両頬にふわりとした温もりが与えられて、意外に思って正面を見た。
気難し気な顔のままのマリンが、月子の頬を手で包み込んでくれていた。
と思ったのもつかの間で、マリンは唐突にふにふにと、月子の頬を軽くつまむ。
「あ、あの……」
マリンが手を放す様子がないので、遠慮がちに声を出してみる。
「あのね、今の月子ちゃんは、頑張りすぎる必要はないのよ?」
あいかわらず、マリンは頬をつまんだままだ。痛くはないのだが、何だかこそばゆい。
と、脳裏にマリンの声が流れ込んできた。昨日カエンに実演されたテレパシーだ。
『こんなに疲れて、お肌もすごく荒れているのに、あれこれ無理やり知ろうとすることはないわ。情報を知るのは確かに大事だけど、自分の体と心をいたわることは、もっと大事なんだから』
わかった? と視線だけで念押しされ、月子はこくこくと首を振った。
「ようし、じゃあいいわ。これでこの話はおしまいね」
からっと態度を切り替えたマリンは、三人がいる寝台の反対側の壁際に置いてある食事を、とりに行った。いつの間にか、〈デミウルゴス〉の誰かが置いていったらしい。
椀は全部で三つだ。団子に似たものと、肉と、菜を何種類か煮てある。冷めてはいるが、思いのほか食欲が刺激される。
匙を入れたところで、月子はふと手を止めた。
「大丈夫だよ。毒は入ってない」
カエンはためらいなく口の中に入れ、咀嚼している。マリンも黙々と食べているので、月子は恐る恐る一口運んだ。
団子は小麦で作ってあるのだろうか。もちもちとした触感が、さらに食欲を誘う。
黙々と食事をすすめる二人に、月子は思い切って口を開いた。
「あの、私……」
『月子ちゃん、聞こえるかな?』
月子は目をぱちくりとさせる。今、自分はマリンに触れていないのに、相手の声がはっきりと脳内に響いたのだ。驚いて、口を開く前に――
『ごめん。何でもないふりをしてほしいの。私達のこの能力を知っている人は、あまりいないから』
月子はあわてかけて、はたと気がつき、しゅんと肩を落とすふりをした。
「す、すみません、あとでしゃべります……」
さじを口に運ぶと、可笑しそうな声が響いた。何と、カエンの声だった。
『今のお芝居は結構自然だったけど、傍から見てると、月子さんがマリンを怖がっているみたいだね』
『え……カエンさんとも話ができている?』
すかさず、マリンの声が響いた。
『私の場合は、私が触れたものに触った〈イリスの落とし子〉全員と、こうやって同時に会話ができるの』
そういえば、椀を運んできてくれたのはマリンだった。だから、こんな状況になったというわけなのだ。
『でも、ずっとは話せない。だから、途中で話がいきなり終わるかもしれないから、注意して』
月子は少し背筋を伸ばした。予想外に美味しいと感じていた団子の味が、わからなくなってしまいそうだ。
『お兄ちゃんは、月子ちゃんとどんな話をしていたの?』
『途中で終わってしまったんだけど、〈はじまりの女〉について、説明していたんだ。月子さんは、こちらに来てから日が浅いみたいで、あまり詳しくは知らないみたいだったから』
しっかり数えたわけではないが、月子が弦稀と共に〈ダナン・ガルズ〉に来てから二十日程経っている。
昨日今日知らない世界に放り込まれた、というわけではないが、目の前の二人と比べれば、確かに新参者だ。
『月子さんが言うには、ここに来る時に男と女が会話する夢を見たらしい。それが、〈はじまりの女〉に関わる夢なのかと、思ったんだ』
『どうして、そんなことがわかるんですか?』
答えたのは、マリンだった。
『歴代の〈風〉の〈イリスの落とし子〉に、そういう景色を見る人が時々現れたらしいの。人によって見えるものは違ったらしいけど、おそらく〈はじまりの女〉が見ていたものを見ているんだろう、って言われてる。他の〈イリスの落とし子〉は、一切そんな夢は見ないんだけどね』
マリンは、咀嚼を続けながら不審そうに眉根を寄せた。
『……このことを知らないってことは、月子ちゃんは、自分の部族の人たちとはまだ会ってないのかな?』
『はい。最初に私と、もう一人の男の子を助けてくれた〈シュビレ〉の人たちにお世話になってます』
『それは、どうして?』
『保護した〈イリスの落とし子〉を、その一族に還すのを、様子見しているらしいんです。そういう取り決めが、知らないうちに決まってしまったみたいで』