Stage 6


いたわるような微笑みだが、月子の心音は驚きと気まずさで早くなっていく。

しかも彼は、体を横にして寝ている月子と、向かい合う形になっているのだ。ほっとしたようなカエンの微笑みを見るに、本当にこちらを心配してくれているのだろうが、息がふれてしまいそうで、どぎまぎしてしまう。

もうひとつ、心臓が暴れてしまいそうなわけは、彼の手がいたわるように、月子の肩を撫でているからだ。

「もう、痛くないかい?」

「はい、平気です」

月子は、自分が回復しているのを訴えるため、ゆっくり起き上がってみせた。だが、極度の疲労と緊張にさいなまれた体は、まだ本調子ではない。

鉛のような重さを感じ、月子はそっとため息をついた。

「無理しちゃいけないよ。さあ、おやすみ。残念だけれど、時間はたっぷりあるからね」

ふと見ると、床でマリンがすやすやと寝息を立てていた。

「私だけ、やわらかい布団で寝ちゃって、ごめんなさい」

「謝る必要なんてない。君は、よく頑張った。数日前に、〈ダナン・ガルズ〉へ来たばかりなんだろう?」

カエンはそういうと、また頭をいたわるように撫でてくれた。元々、双子の妹がいたせいか、目下の扱いには慣れているのかもしれない。

「いろいろと、信じがたいことがたくさんあったと思う。ほんの数日前まで、あちらの世界では普通の女の子、だったのにね」

その笑みに、カエンがかつて抱えていた心の痛みが見えた気がした。

(そうか……この人も、今は慣れているように見えるけれど、とても大変な思いをしたんだ)

苦痛が消え去り、さらに心配してくれる人が近くにいるせいか、張りつめていたものが前触れもなく切れたような心地になった。

月子は、自分の心の底からせりあがってくる大きな塊に、呼吸を忘れた。

うつむくと、ぽたぽた、と、手に涙が落ちる。

「違う……今も昔も、普通じゃ、なかった。私は……自分の持つ〈風〉の力が誰かに知られてしまうのが、怖くて怖くて仕方がなかったんです……あまりに怖くて、話しかけてくれた男の子を、突き放してしまった」

我が身を押さえつけるかのように、敷布をぎゅうっとつかんだ。顔をあげることができなかったが、カエンは話を聞いてくれている気がした。

「ここに来てから、数えきれないくらい、自分に何度も言い聞かせたのに。この世界で生きていくのを、受け入れるしかないのに、それでも、こんなに嫌がってしまうのは、私が弱いから?」



できることなら、父と母の待つ暖かい家に帰りたい。

だがもう既に、カエンとマリンの時のように、別人の月子が月子として、生活しているのかもしれない。

「追いかけられて、痛めつけられて、誰かが私のせいで死ぬかもしれないなんて……もう、こんなことばかり、嫌だ……帰りたい」

また、カエンが頭を撫でてくれた。優しさに触れた反動か、また涙があふれてしまう。

目の前の彼は、月子が捨てきれない葛藤をすでに乗り越え、ここにいるのだ。

きっと、すべてを受け入れて微笑むことが出来るまでに、何度もつまづいて、人知れずに泣いたこともあっただろう。

「月子さんは、今はとても、辛いだろうね。でも……俺が言えるのは、ここが君の帰るところだった、ということだけだ」

静かで、押さえた声だった。月子は、泣き腫らした目でカエンを見上げた。

「カエンさん……強いんですね。やっぱり、〈火〉の力を持っているから?」

カエンは、ふっと瞳をやわらげ、首を振る。

「強くなんかないよ。今は異常事態だ。俺だって、この状況が怖くて仕方がない。もしも、俺が強く見えるとしたら、妹が……いや、マリンがいるからだ。月子さんも、例えば自分より年下の誰かや、小さい子供が泣いていたら、何とかしなきゃって思うだろう? ただ、それだけだよ」

ちらり、とカエンは視線を外した。おそらく、寝入っているマリンを見たのだろう。

再び月子に向き直ったカエンは、自嘲気味にいった。

「単なる見栄だよ。一人になってしまったら、きっと、ひどく取り乱すと思う。こんなことを言ってはなんだけど、マリンと月子さんがいてくれて、よかったかもしれない」

確かに月子も、弦稀と二人で〈ダナン・ガルズ〉へ来ることが出来ていなかったら、どうなっていただろう。

ひたすら動揺し、取り乱して、今よりもひどいことになっていたかもしれない。

(麻倉君は、最初は嫌な奴だと思っていたけど、結果的には彼がいてくれて、本当によかった……)

だからこそ、一人であちらの世界に残してしまった真守に、申し訳なく思うのだ。

カエンは、壁に背を預け、片膝を立てた。

「とにかく、もう何ともなさそうでよかった。もし、このまま寝付けそうにないなら、もう少し話をしてみるかい?」

月子は一瞬だまりこんだ。体力回復のためには眠ったほうがいいのだろうが、目は冴えている。

そして幸か不幸か、こんな状況なので時間は余るほどあるのだ。

「……教えてほしいことが、たくさんあります。でも、どれから話をしたらいいのか、わからなくて」
 
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