Stage 6
「俺たちが、もう抵抗できないのはわかっているはずだ。仲間も呼べないし、脱走もできない。なら、拘束する必要もないはずだ。あの子の縄をといてくれ。頼む」
月子も、そしてマリンも瞠目した。カエンはなんと青年の前に跪いて、頭を下げたのだ。
「これ以上、月子さんが苦しんでいるのを見てられない。頼む、お願いだ」
「お兄ちゃん!」
マリンが、泣き顔でカエンに取りすがる。月子も、思わず声をあげた。
「やめてカエンさん。そんなこと、しなくていい!」
すると、赤髪の青年は、おもむろに月子を見た。まるで、今はじめて居ることをしったようなそぶりだ。
「確か、あなたは〈風〉でしたね……数日前に、異世界から帰還したばかりの」
青年は、月子が体を起こしている寝台へゆっくり近づいて。
「……っ!」
突然肩を強くつかまれ、月子は身をのけぞらせた。刺すような痛みがひいたかと思えば、鈍痛がじわじわと広がる。
悲鳴を喉の奥で殺し、ぜいぜいと荒い息をする中で、感心したような声が降ってきた。
「限界でしょう。よく我慢できますね」
「お前、わざとやったのか!」
今度は、カエンが怒鳴る番だった。青年は意に介さずに、一言だけ残して壁の向こうに消えた。
「術を仕掛けた人間を呼んできます」
ぐったりした月子の元へマリンが駆け寄り、きつく月子を抱きしめる。
「ごめんね、月子ちゃん」
涙ぐむ年上の少女の謝罪を、月子はぼんやりと聞いていた。
すべての感覚が、肩の痛覚に邪魔されている。
マリンが、優しく両の肩を撫でてくれているのには気づいていたが、反応することもできない。
例の、リオを苦しめた少女が青年と共に現れたのは、しばらく経ってからだった。
「ラクネ、わざとやったんですか?」
「そうよ、いい気味じゃない。これだけじゃ足りないくらいよ。もっと苦しめばいい」
ラクネと呼ばれた少女の言葉に、カエンとマリンが目の色を変えた。
「なんてことを……!」
「私たちが〈イリスの落とし子〉だからって、何をしてもいいと思っているの?」
ラクネは、マリンの方を見た。目は仮面で隠れていたが、少女からは激しい憎悪がほとばしっていた。
「そう、〈イリスの落とし子〉だからよ。でなければ、こんなに傷つけたいとも思わなかったし、憎むこともなかった。特に、〈風〉の女」
ラクネは、うつろな目で横たわる月子を睨んだ。
「この女のせいで……」
「ラクネ」
青年は、少女の名を呼んだ。たった一言、呼んだだけ。
なのに、水をうったように静かになる。
「私たちの目的に、お前の個人的な考えは不要だ。あの縄を解け」
「……」
ほんの少しの間があって、ラクネは片手を持ち上げた。
ぱちん、と音がし、月子を拘束していた縄は解けた。
月子は、大きく安堵の息をついた。だが、これで終わりではなかった。
肩の痛みがなくなるまでは、時間がかかるだろう。今すぐ回すこともできないほどに、しびれてしまっているのだ。
起き上がることも、声をあげることもできなかった月子は、安心して気が抜けたのか、眠るようにして意識を手放した。
○
夢の中に、女がいた。
顔は一切わからないのに、その立ち姿や雰囲気から、女だと思ったのだ。
年は二十代だろうか。月子とは少し年が離れているだろうと思われる。
『まあ、うれしい』
女は、誰かに向かって微笑んだようだ。だがその相手は、人間ではないと月子は直感で悟った。
(誰と、話しているの?)
その相手は、人間の形をしている。
だが、人にはあり得ない存在感と、息が詰まるような威厳をまとっている。
他の者なら、この人間の形をした存在の前では、落ち着いていられないのではないだろうか。
だがその女の表情は、純粋な喜びに満ちていた。まるで、恋が叶った少女のように。
『夢のようです。私もこれで、ようやく役目を果たせるのかもしれません』
だが、浮かれるような女の声は一転する。次に聞こえたのは、ひどく動揺したものだった。
『なぜ、なぜ私にこのような……』
女が話しかけているのは、人間にそぐわない威厳の持ち主だ。だが先ほどとは、何かが違う。
別人と対峙しているのだろうか。
『私は求めているのだ。決断するのは、お前だ』
『そんな………なぜ、どうして、私なのですか?』
涙にくずれた女の声は、次第に遠くなっていく。
月子は、その声に向かって手を伸ばした――
○
何かに持ち上げられるようにして、意識が浮上し、覚醒する。
はっと目が覚めた、そこには。
至近距離でまじまじとこちらを見ている、カエンの顔があった。
「えっ……あのっ」
「気がついた? よかった」