Stage 6
「……あ、あの」
月子の唇を、真守のもう片手の指が、つうっとなぞって。
怖気とも、恐怖とも言えない感情が、背筋を駆け抜けた。
月子が心底脅えきっているのを確認し、真守は謳うように言う。
「女の子って、やわらかいな」
その声色に、妙に昂ったものが混じっている。彼の吐く吐息も、艶めいていて。
驚愕と恐怖で、月子は動けなかった。
(遠城寺君……?)
彼は、誰なのだ? 本当に、自分が知っているクラスメイトと同一人物なのだろうか。
愕然として、膝であとずさろうとしたのに――体が、全然動かなかった。
まるで凍りついてしまったように、指先すら、自分の自由にならない。
(そんな、どうして?)
頭が真っ白な月子を、真守は抱きしめた。
優しく、それでいて、決して逃がさないとの強い意志を込めて。
「きゃあっ!!」
寝台に引きずりこまれ、なすすべなく倒れた月子は、覆いかぶさってきた真守へ叫んだ。
「遠城寺君、どうしちゃったの!」
脅える少女の手首を、ぎゅっと爪を立てて寝台に押し付けて。
それでもなお、真守の唇の口角は、上がったままだった。
少年の暖かい吐息が、首筋にふれる。
「や、やだっ!」
かすれた叫びを聞きとってくれる人間は、いなかった。
月子は空いた片手を、寝台の外へ必死に伸ばす。
そこに、眠りに落ちているもう一人の少年が、いるはずだから。
「助けて……助けて、麻倉君っ!」
「真守?……真守、気がついたのか?」
月子の耳に届いたのは、自分を呼ぶ声ではなかった。
はっと我に帰る。月子はいつの間にか両腕を枕にして、寝台のふちにうつ伏せになっていたようだ。
嫌な汗が体をつたう。震える自分の吐息の音が、耳に届く。
その隣で、弦稀が寝台に横たわる少年へ呼びかけていた。
「真守? 真守、俺がわかるか?」
すがるような声を辿るように、視線を上げる。
そこにいたのは、ぼんやりし戸惑っている様子の真守だった。
(……さっきのは、夢だったの?)
にわかには信じられないことだ。押さえつけられた手の感触も、首筋に触れた吐息も、脅える月子を嘲笑うような声も。
全部、生々しく記憶に残っているのに。
(そんな、そんな……どうして)
真守が目覚めたのだから、喜ぶべきことなのに、体が震えてしまう。
弦稀は真守の回復を知らせるために外へ駆けだしていき、二人きりになってしまった。
「風賀美、さん?」
弱弱しい誰何にさえ、肩が大げさに跳ね上がってしまう。
「は、はいいっ!」
引きつった声に、真守の方が苦笑してしまった。
「俺、どうしたのかな? さっき頭が痛くなって、たぶん倒れちゃって……ここ、どこなんだ? 風賀美さん、どうしてそんな変わった格好をしているの?」
「……」
唇をひき結び、月子は顔をあげた。
――今は、見た夢に無責任に脅えている場合ではないのだ。
「遠城寺君、落ちついて聞いてほしいの」
無言で首をかしげた真守に、目を合わせる。
「ここはね、地球じゃないのよ」
そして月子は、自分自身もなかなか受け入れられなかった事実を、彼に語りだした。
○
真守の体調の回復は、あまり思わしくなかった。
ヘレムが引き続き治癒にあたり、リオもあれこれと気を配ってはくれたのだが、真守はどうも、一定時間動いた後、横にならないと体が持たないらしかった。
弦稀も月子も、こういう不調を訴えることはなかったので、〈シュビレ〉の一族の皆は、あれやこれやと知恵を出し合う日々が続いている。
月子はその様子を、傍らで呆然と見ているばかりだった。
(本当に、この世界の人たちにとって、〈イリスの落とし子〉って大事な存在なんだなあ……)
とても違和感のある、むずがゆい事実だった。
月子たち自身は以前と何も変わりないのに、〈イリスの落とし子〉という付加価値が、彼女を大層な存在に祭り上げているのだ。
ある夜、〈シュビレ〉の面々と、弦稀と月子が集い、真守の今後について話し合いの場を設けた。
すでに日は暮れ、天幕の中に点された光が、各々の表情を淡く照らしている。
「真守の一族に……雷の〈ロキア〉でしたっけ? に、応援を頼むのはだめなんですか?」
すかさずリオが、言いにくそうに口を開いた。
「お二人には、説明がまだでしたね……すべての七部族と最近交わした約条で、保護した〈イリスの落とし子〉たちは、なるだけそこから動かさないこと、安全のためにしばらくは元の一族に戻さないことを、決めているのです」
リオが言うには、
「〈イリスの落とし子〉たちが自分達の部族の領域にいれば、〈デミウルゴス〉に発見されやすいので、攪乱のためというのが第一の理由です。他の理由は、例えばツルギ様の剣の一族にあなたをお返しした場合、あなたは同族が人質に取られてしまえば、すぐに〈デミウルゴス〉たちに降伏せざるをえないでしょう」
との理屈らしい。
「何度も話し合いを重ねた結果なのです。ですからお三方とも、しばらくは我々〈シュビレ〉の元に留まることをご了承ください」
弦稀は盛大に眉をしかめた。