Stage 1


新しい教室までの通路を、新しい担任の数歩後ろで、リノリウムの冷たい床を睨みつけながら歩く。

月子は両手に軽い痛みを覚え、その原因が、鞄の取っ手を強く握っているせいだと気づき、小さく鼻で笑った。

廊下から見える樹木の色が、冬支度に備えて暗くなっている。風にあおられ、一枚の葉が空中へと身を投げ出した。つい先週テレビで見た、ベタな二時間サスペンスドラマの身投げシーンを思い浮かべてしまう。

黙々を歩を進めていた担任――体育担当で、まだ二十代後半の箸本という――は、二年三組の教室で足を止めた。生徒たちの喧騒が膨れ上がっている教室に入る前に、一度だけ月子の方を振り返る。

「大丈夫。気負わなくていいから」

月子は無言で、うなづくだけうなづいておいた。少しでも反応を見せないと、相手が不安になるだろうからだ。しかし月子は、既にこの担任が、自分のことを少しあつかいづらい生徒だと思っていることを、うすうす自覚していた。

箸本はまだ何か言いたそうだったが、当たり障りのない言葉をもう少ししゃべっただけで、教室の扉をあけた。

まだ席についていない生徒たちや、数名でおしゃべりに余念のない生徒たちの歓声が、波が引いていくように消えていく。

それと引き換えに、たくさんの視線が自分に突き刺さっていることを、月子は自覚した。

(ああ、早く終わればいいのに――)

この瞬間だけは、何度同じことを経験しても慣れることはない。

今まで存在しなかった個体が、その集団に入り込むための、最初の通過儀礼。月子はあまりうつむかないように意識しながら、けれども誰とも目を合わせないようにしながら教室内をさっと見渡した。

この中で、うまく生きていかなければ。月子はそっと、息を吐く。

「はい、では、自己紹介をお願いします」

箸本に促され、月子は手短に話す。

「風賀美月子(かざかみつきこ)です。これからよろしくお願いします。」

儀礼的に頭を下げ、それで最初の通過点はクリアした。

月子の席は、窓側の一番後ろの席だった。腰かけたとたん、またため息が出てしまう。


「……あのさ、風賀美さん、体の調子が悪いの?」

右側から突然声が聞こえ、月子はびくっと肩を震わせた。あわてて振り向くと、男子生徒が不思議そうにこちらを見つめ返している。

大きな瞳が印象的な少年だ。短く刈り込んだ髪型は典型的なスポーツ少年を思わせるが、だからといって筋肉質というわけではない。華奢でもなく、適度に細い体をしている。

その名札には、『遠城寺真守(おんじょうじまもる)』と記されていた。

しまった。油断していた。月子は内心舌打ちする。自分が必要以上に神経をすり減らしていることを、他人が大勢いる前でさらしてしまうなんて。

「顔色、ちょっと悪いように見えるんだけど……もしかしたら具合が悪い?」

「そんなことないよ。寝不足ってだけで、元気だから」

とっさに笑みを顔に貼って、取り繕う。遠城寺という生徒は、目をぱちくりしばたたかせた後、「そう、ならいいや」とあっさり引き下がった。

「でもさ、疲れてるんなら、無理したら駄目だよ?」

「うん、ありがと」

それだけ会話を交わすと、月子は目をそらし、新しい教科書とノートを取り出す。

そして、最初の授業終了後、予想通りと言えば予想通りなのだが、数名の生徒が自分の机の周りを取り囲んだ。

箸本が言っていたことなのだが、この中学校に転校生が来るのは久しぶりなのだそうだ。そんな物珍しさも手伝ってか、月子の予想を上回る人数が、机のまわりに集結している。

「ねえねえ、風賀美さんってどこから来たの?」

「へえ、転校これで三度目なんだ。大変だねー」

「住んでるのは三丁目のマンション? あたし近所なんだー」

「髪、長くてきれいだね。お手入れ大変じゃない?」

目まぐるしくぶつけられる質問。次々と繰り出される会話。

こういうのがめっきり不得意な月子は、早くも目が回りそうだった。笑みを刷いた口元が、ひきつりかけている。

と、突然強いめまいにとらわれ、思わず机に突っ伏していた。数人の驚いた声が、頭上で錯綜する。

それらに応えることができず、月子は背骨から忍び寄る悪寒に震えていた。

(な、何? どうしちゃったの……?)

少し考えて、理解した――石が、騒いでいるのだ。
 
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