Stage 5


(何か違和感があると思ったら、これなのか……)

手綱はあるものの、これでは裸馬に乗るのも同然だ。そんな技術を、自分がすぐに身につけられるとは思えない。

「あの、手綱だけじゃ不安なんですが……」

おそるおそる申し出てみれば、リオにやんわりと断られた。

「すみませんが、鞍(くら)や鐙(あぶみ)は、我々〈シュビレ〉はあまり持ってないのです」

月子は絶望した。それなら、自力で騎乗できる可能性は、ないに等しい気がする。

補助輪なしで自転車に乗れるまでに、いくつも擦り傷や打撲をこしらえた人間が、自転車以上に複雑な乗り物で、ましてや生きている馬に慣れるとは、到底考えられない。

(生き物に乗るなんて……絶対に、できっこないよ)

となると、この世界での移動手段は徒歩くらいしかないわけだ。が、それではあまりに不便すぎる。

(……やっぱり、練習あるのみ、か)

諦めて、もう一度馬の背にまたがろうとした時、弦稀が馬に乗ったままこちらへと近づいてきた。

「大丈夫か、風賀美」

馬を大人しくさせるのも、お手のものらしい。弦稀を乗せた馬は足踏みしつつ、地面に鼻をこすりつけている。

「どうして、馬に乗れるの?」

驚嘆より悔しさが混ざった声で尋ねると、イギリスに遊びに行った時、何度か乗ったことがある、とさらりと返された。

「す、すごいね……」

「じいちゃんが多趣味なせいで、いろいろ付き合わされただけだ。でもさすがに、鞍なしはきついな……風賀美、乗るか?」

「え?」

弦稀が、こちらへ片手を伸ばしている。どうらや、一緒に乗るか、と促しているようだ。

「え、でも」

「大丈夫だ。落馬してもかばってやる」

「そうじゃなくて、私、練習したいから」

「いいから、乗れ。風が気持ちいいぞ」

なおも躊躇していると、さらに近づいてきた弦稀が唐突に片手を掴んできて、ぐいっと月子の体を引っ張り上げてしまった。

「きゃっ」

信じられないほどの握力に反論する間もなく、馬の背にしがみつく。足は地面から離れているので、心許ない。

そして降りたい月子の気持ちとは裏腹に、リオや〈シュビレ〉の若者たちが、月子を馬上に押し上げてしまった。

「よし、ちゃんと乗ったな」

たづなを月子の腹の前でつかんだまま、弦稀がしれっと言い放つ。

「待って、まだ心の準備が出来てないのに!」

「しっかりつかまってろよ!」

月子の悲鳴も聞き入れず、弦稀は馬に鞭を振るった。

「きゃあっ」

馬は全速力で駆けだしたわけではなく、そこの加減も弦稀はちゃんと考えているのだが、月子はただ脅え、混乱するばかりだった。

視界も体もぐらぐら揺れていて、でも降りるわけにはいかず、止める方法もわからず、やみくもに叫ぶしかない。



「待って! 待って待って! お願いだから降ろしてええっ」

「え、気持ちいいだろ? 〈風〉の能力があるお前なら、俺より風の流れがわかるだろ?」

しれっと言い返され、月子は顔を青くする。

「でも、怖いものは怖いのっ!」

弦稀はようやく、馬の速度を緩めてくれた。馬がゆっくり歩き出し、月子は安堵のため息をついて、馬の首の上に突っ伏す格好になる。

「……そんなに、怖かったか?」

「……麻倉君。あなたが慣れているからって、私もそうだとは限らないんだよ?」

ぐったりしつつそれだけ言うと、相手は悪かった、と短く謝った。 鼓動も少し落ち着いて、上半身をあげると、リオたちからはあ まり離れていないことがわかった。

これだけ短距離の移動で、あれだけの恐怖を覚えるなんて、やはり自分は乗馬に向いていないのではないだろうか。 思い悩む月子に、ふと弦稀が言った。

「風賀美なら、馬がなくても風で移動できそうだな」

「え? 風で移動?」

「何となくだけど、風の流れをよんですばやく走れる、っていうようなこと、できるんじゃないのか? いつか、風の一族に出会ったら、聞いてみたらどうだ?」

「風、か……」

月子は、頬を静かに叩く、草のにおいを含んだ風を吸い込みながら、手のひらを握り締めたり、閉じたりした。

風をつかめるわけでもないのに、何かをつかめるような気がして、宙に手をかざす。と。

「……っ!」

ふいに、つきんと頭痛がおきた。こめかみに細い刺を何本も突き立てられたような、突発的な痛みだ。

月子が手をあて、体を丸めるより先に痛みはおさまった。弦稀が身を乗り出してきた時には、頭痛は既に消えていた。まるで手違いで起きたかのように、嘘のように痛みはなくなっていたのだ。

「どうした?」

「う、ううん……」

だが月子は、その瞬間的な痛みの中で――声を、聞いたのだ。

見知らぬ男女の声。何かを言いあう声。怒声とも悲鳴ともつかない声。

この声は、ダナン・ガルスに初めて降り立つ前、無理やりこの世界に連れてこられるその間際にも、聞いた声だ。あの時と同じく、内容までは聞き取れない。 月子は、胸にざわめくものを感じた。

(一体、この声は何なの? 遠城寺君も、まだどこにいるのか、明確にわかってはいないし。あんな嫌な夢を見てから、どうも落ち着かないよ……)

が、月子以上に真守の身を案じているのは、弦稀だろう。彼は何でもないようにふるまってはいるが、すぐさま〈シュビレ〉のもとから飛び立ちたいくらい、焦っているのは想像に難くない。
 
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