Stage 5
こくんと頭をかしげた弦稀の横顔が、金色に変色し始めた夕日に染まる。
「慰めてくれてありがとう。だいぶ落ち着いたから、もう、離れてくれる?」
目をそらしながら、気まずさをこらえて言う。弦稀は目を不思議そうにまばたかせ、ああ、と呟いて両手を外した。
「悪い。びっくりしたか?」
「う、うん……」
今でも、心臓が飛び出そうなくらいどぎまぎしているが、それを口にするのは恥ずかしかった。
「一つ聞きたいんだけど、麻倉君って、人に触るのに抵抗がないの?」
弦稀は後頭部に手をあて、過去を振り返るように視線を遠くへ移した。
「俺は日本人とイギリス人のクウォーターなんだけど」
そうだったのか、と月子は目を丸くした。だから色素も薄めで、鼻筋の通った顔立ちをしているのだろう。
「小さい頃から、父方のじいちゃんとばあちゃんがよくハグやキスをしてきたから、そういう触れ合いにあんまり抵抗がないのは事実だな。でも他の奴はそうじゃないって、保育園で注意されて吃驚した覚えがある。たまにそれを忘れて行動してしまうから、真守によく指摘されて……」
ふとそこで、弦稀は数秒沈黙した。それから、新発見をしたように手を叩く。
「ああ、だから風賀美は、初対面の俺の行動であそこまで怒ったのか」
「気がつくのが遅いよ!」
もはや怒りを通り越し、呆れて脱力するほかなかった。あまりの認識のずれに、自分だけが恐怖を感じて怒ったのは無駄だったのかと、むなしい気持ちになる。
「俺のあの行動は、不躾なんだろうなとは思っていたんだが、それでも服をつかまれたくらいで、過剰に怒って涙目になる理由がわからなかったんだ。真守と同じで〈石〉の存在を暴かれるのが嫌だったからだと思ってたんだが、そういう理由もあったのか」
なるほど、と一人頷く弦稀に、月子は突っ込みをいれる。
「つかんだ箇所が問題だって、どうして思わなかったの?」
「箇所が? どうして?」
言わんとしていることを察しない少年に、月子はため息をついた。
「麻倉君、女の兄弟いないの?」
「八歳年下の妹がいるけど、それがどうかしたか?」
「……ううん、何でもない」
月子は上の空で返事をしながら、もう彼のあらゆる言動には決して惑わされまいと、固く心に誓った。
「……悪かったな」
ぽつりと落とされた一言に、月子は我にかえって再び弦稀を見やる。
「怖がらせるつもりはなかった。お前が俺たちの仲間だと確信していたせいで、焦りすぎていたんだ。傷つけてしまったなら、謝る。ごめんな」
月子もあわてて、居住まいを正した。
「それを言うなら……私も、謝らなきゃいけないよ。麻倉君と、遠城寺君に。自分が怖かったからって、誰かを傷つけていいわけないのに」
そういえば、自分たちは一応喧嘩中だったのだ、と月子は今さらのように思い出した。
太陽はいよいよその身を地平の向こうに沈ませ、反対側の空が紺色に変わり始めていた。星がまたたき始めるのも、時間の問題だろう。
「遠城寺君に謝らないまま、こっちに来ちゃった……」
その事実が、月子の胸を締め付けた。彼は今、どこにいるのだろう。
叶うものならすぐに駆け付けたいのだが、このダナン・ガルズにいるのか地球にいるのか、それすらわからない。
「今、どうしてるんだろ。どこにいるのかな。私たちみたいに、〈デミウルゴス〉に狙われていないといいけど」
「あいつはまだ、地球にいるらしい。長老がそう言ってた」
弦稀はそこで言葉を止めたが、その表情には苦いものが浮かんでいた。拳を握りしめる彼を見て、よっぽど親友の無事が気になるのだろうと、月子の胸は痛んだ。
(麻倉君と遠城寺君は、何年も一緒にいた。大事な友達だから、だから麻倉君は、こんな顔をしてるのね……)
弦稀の表情に、あの悪夢が重なって見えた。
現実は、ああなってはいけない。真守の切実な絶叫に弦稀が気がつかないなんて――そのせいで、二人が切り裂かれてしまうなんてことは、絶対にあってはならない。
冷たい風が吹きつけてきて、肩が震える。寒さを吹き飛ばすように、月子は立ちあがった。
「麻倉君、戻ろうか?」
今頃、自分たちを〈シュビレ〉の一族が探しまわっているかもしれない。これ以上、迷惑をかけてしまうのは忍びなかった。
弦稀は月子の瞳をじっと見上げると、自分も立ち上がり、
「そうだな」
と、一番星を見上げて呟いた。
○
その後リオはすぐ回復をとげ、歩き回れるようになった。
彼は月子と弦稀の世話役になっているらしく、甲斐甲斐しくあれこれと気を配ってくれる。だが月子は、そうされる度に居心地の悪い思いをしてしょうがなかった。
そんな彼女を、弦稀が物言いたげな目で見てくる時もあったが、月子は気がつかない振りをした。
〈デミウルゴス〉の襲撃から七日後、月子は弦稀と一緒に、乗馬の仕方を習っていた。
ダナン・ガルズの馬は、地球の馬と比べ造形にそこまで違いはなかった。
弦稀がわりとすぐに、一人で騎乗できるようになった一方で、月子は馬の背に自力で乗ることすら手間取っていた。
何度かやっていてようやく気がついたのだが、どうやら〈シュビレ〉の馬の殆どには、鞍(くら)や鐙(あぶみ)が装着されていないらしい。