Stage 5
こらえきれない嗚咽が、口からもれてくる。両手で口元を押さえるが、震える肩は止めようがない。
足音が近づいてきて、月子の隣で止まる。見上げなくても、それが誰なのかは大体予想がついていた。
「どうしたんだ?」
小さく落とされた声は、予想通り弦稀のものだった。月子は、すぐに返事ができず、口を必死に手で覆い、嗚咽を消そうとした。
二人の間で、月子のしゃくりあげる声だけが響く。立ちつくしたままだった弦稀はやがて、しゃがみこんで月子の肩に手をおいた。
しばらく、背や肩をあやすようになで、弦稀は強い口調で言った。
「これだけは覚えておけ。お前があの時、リオさんと俺を助けたんだ。それは事実だ」
「で、でも!」
「あのままだったら、俺たちは〈デミウルゴス〉に捕えられていた。リオさんも、どんな目にあわされていたかわからない……こんなこと言うと怒るかもしれないけど、済んだことだから、あまり気に病むな。皆、無事だったんだから」
月子の胸の内に、一瞬だけ怒りのような炎が灯りかけたが、すぐに消えていく。代わりに、冴え冴えとした恐怖感が忍び寄ってくる。
月子は涙を指で拭うと、何とか言葉を紡いだ。
「麻倉君の言いたいことは……わかるような気がする。でも、私は、素直にそう考えられない。怖くて怖くて、仕方がないの」
そこでまた嗚咽がこみ上げて来て、月子は口を押さえた。
弦稀は急かすでもなく、ただ月子の隣にいてくれた。彼の手の温もりにはもう動揺せず、それどころか安心感さえ覚える。
「私さえいなければ、リオさんはあんな目に遭わずにすんだのに。あんなに苦しそうにもがいていて、私はただそれを見ているだけで、何もできなかった。なのに、お礼を言われるなんて、おかしいよ……」
「それは、風賀美が動かなかったら、最悪の事態になっていたかもしれないから……」
「違うよ! 私がリオさんの側にいたのがすべての元凶だったんだよ!」
自分でも予想だにしない大声で叫んでいた。弦稀は目を見開き、目もとを赤くはらした少女を見返した。彼が月子の肩に置いていた手が、やり場に困り空中をさ迷う。
「私が石なんか持っているから。〈イリスの落とし子〉だから。〈デミウルゴス〉は私だけを狙えばいいのに、私を動揺させるためだけに、リオさんを利用して傷つけたのよ」
不安を吐露していけばいくほど、月子の頬に涙が次々と流れていった。両肩を抱きしめ、自分をなだめようとしたけれど、震えは止めようがない。
人形を操っていた〈デミウルゴス〉の少女に対峙した時、このままではいけないと覚悟を固めたはずなのに。
向き合わなければならない現実は、なんと冷たく残酷なものなのだろう。
「嫌だ……私たちが〈イリスの落とし子〉であるだけで、周りの誰かが傷つくんだよ? でも〈デミウルゴス〉がやってきても、誰も私たちを責めない。それどころか、盾になろうとさえする人もいるよね? どうしよう。もしこの先、私のせいで誰かが死……」
目の前で誰かが自分を庇い、命を落としてしまう――そんな悪夢を描いて、息がうまく吸い込めなくなって。
体の先から恐怖で凍りついていって、身動きができなくなりそうになった刹那、弦稀が無言で、月子の体を抱きしめた。
「あっ! え? 麻倉君?」
弦稀は膝立ちのまま、月子の体を優しく包み込むように、けれど何かから必死で守ろうとするように、きつく両手を巻きつけてきた。
月子は、今度は驚きで身を固くしてしまい、しばらくは声帯を震わすことすら忘れた。
やがて、居心地の悪さが勝ってきた。こちらの照れを悟ってほしくて、少しだけ体を動かしてみるものの、よりさらに強く抱きしめられるだけだった。
後頭部に手を添えられ、思い悩むような吐息が耳に響いて、そこでようやく、月子の頬が朝焼けのように真っ赤になった。
(ま、待って! この体勢、かなり大胆なんじゃ……)
幸か不幸か、すっかり涙は乾いてしまっていた。
弦稀の両手に捕えられたまま、月子は彫像のように硬直していた。すぐ近くの温もりと鼓動に、思考回路が機能しなくなっていく。
(麻倉君に、遠慮なんていう発想はないのかな? さ、さすがにこの状態が長く続くのは無理だわ。どうしよう。何か言わなきゃ……)
「俺は、この世界に来てから、もう二度も風賀美に助けられた」
耳朶から滑り込んでくる、告解のような重い言葉。
「真守と同じで、風賀美も、自分の持つ力に脅えている。なのに、それをちゃんと使うことができて、誰かを守ったんだ」
弦稀は腕の力を緩め、少し体を離し、月子に正面から向き合った。こげ茶色の真摯な瞳に射ぬかれ、月子は茫然と彼を見返す。
「誰かを守れる力があるんだ。それだけで、強い武器になるはずだ。だから〈デミウルゴス〉に脅えすぎて、心が壊れる必要なんかない。もし、どうしても不安だというなら――俺もいることを、忘れるな」
さらりと付け加えられた言葉をどう受け止めようか、月子は一瞬盛大に混乱した。
結局、目の前の少年は自分を勇気づけようとしてくれているのだと結論付け、素直な意味で解釈しておくことにする。
「また不安に駆られたら、愚痴くらいなら聞いてやる」
「ありがと……あの、さ」
「何だ?」