Stage 5
そう言いながら、ベットから身を起こし、立ち上がる。
一歩踏み出そうとしたが、うまく体に力が入らず、くずおれかけた。
「無理するな。いいから待ってろ」
そこを、間一髪で弦稀が抱きとめてくれた。また触れられたせいで月子は動揺してしまい、その反動のために思ったより俊敏に動くことができた。
「へ、平気だから、ほら! さっきのは単なる立ちくらみだからね?」
わざとらしく笑んでみせる月子を、弦稀はしばし凝視していたが、やがて無言で踵をかえした。月子もそそくさと、彼の後をついて外を出る。
今朝、イレシスから話を聞いた時とは太陽の位置がだいぶ変わっていて、午後も遅い頃だった。もう少ししたら、また日が暮れていくだろう。
芝生の上で歩みを進めた直後、誰かの声が上がった。
「〈イリスの落とし子〉様方は無事だ!」
それを合図に、いくつもの目が月子たちを振り返った。皆、あからさまにほっとした顔をしている。
その光景に、弦稀は当初の目的を修正したらしく、一番近くにいた男へ話しかけた。
「リオさんはどこにいますか? 会っても大丈夫ですか?」
話しかけられた男は、ぎこちなく体を折って答えた。
「はい、ではそこまでご案内させていただきます」
男の背に続き、弦稀と月子は人々の注目の中を移動していった。月子は、むずがゆい思いと苦い思いを抱えながら、うつむくしかなかった。
案内されたテントの中には、ベットから半身を起こし座っているリオと、彼の側によりそう一人の少女、そして安堵の表情で孫を見守るイレシスがいた。
「ツルギ様とツキコ様がおいでになりました」
その声に、少女はテントの隅へ飛ぶように後ずさり、イレシスは二人へ向き直って礼の形をとり、リオまでもがベットから降りようとしたので、弦稀が止めに入った。
「リオさん、寝ていてください」
「いえ、そんな無礼をするわけには」
「お願いです。起き上がらないでください」
静かに、けれど強く弦稀に言われ、リオは一礼してベットへもぐりこむ。
月子は言うべき言葉を必死で探していたが、弦稀が先に口を開き、遅れをとる形となった。
二人並んで腰を降ろし、イレシスと向き合う。
「ツキコ様が無事に目覚めまして、わたくし共も安心いたしました。そして何より、リオを救っていただいて、まことにありがとうございます」
「え? その……」
喉まで出かかった言葉は、しかしイレシスの礼に再びさえぎられた。
「あなた様がいなければ、今頃リオはどうなっていたか、考えるだけでぞっとします。圧倒的な風の力で〈デミウルゴス〉を撃退するとは、さすがは〈イリスの落とし子〉です。」
「あ、の……」
月子は声を荒げたくなった――それは、違うのだと。
自分は、感謝されるような立場でも何でもないのだ、と。
礼を言われることに猛烈な違和感を覚えながら、月子の唇は凍りついたまま動かなかった。
「リオさん、怪我はもう大丈夫なんですか?」
弦稀がイレシスの背の向こうのリオへ声をかける。
リオはひとつうなずき、自分の首回りをそっとなでた。〈デミウルゴス〉の少女に傷つけられたはずの痕は、きれいさっぱり消えていた。
「ええ、全く何ともないんです。でも、祖父も彼女も、まだ寝ていろとうるさくて」
リオは苦笑を浮かべ、端に控えている少女に目をやった。いきなり話の中心に据え置かれた少女はびくっと肩を震わせ、耳元まで真っ赤になってうつむく。
「あの者は、リオと将来の契りを交わした仲でして。さっきから、リオの側を離れようとしないのです」
「ちょ、長老様……!」
顔を真っ赤にして非難めいた視線を向ける少女に、イレシスは、はははと声を上げて笑った。
「こんなに献身的な子が嫁に来るとは、お前も幸せ者じゃのう、リオ」
「からかわないでくださいよ、長老」
しかし口ではそう言っても、まんざらでもなさそうなリオだった。
温かみのある会話を耳にしながら、月子はふらりと立ち上がる。
「ツキコ様?」
問うたのはリオ一人だったが、その場にいる全員へと、月子はなるだけ自然を装って答えた。
「ちょっと、気分が悪くて……外の空気でも吸ってきます」
「大丈夫ですか? 早くお前の力でツキコ様の傷を……」
呼びかけられた少女は、立ち上がって月子へ歩み寄ろうとした。
「平気です! 少ししたらすぐに戻ってきますから!」
逃げるようにテントの外へ出ると、不思議そうにこちらへ目を向ける〈シュビレ〉の民の間をかいくぐり、草原をひたすら進んだ。
果ての見えない地平線。背丈の低い草と、広がる空。
緑のこの光景から逃げることはできず、どこにも行けないのはわかっていた。それでも今だけは、すべてのしがらみを捨てたかった。
すぐ後ろに、誰かが追いかけてくるのを知りながら、月子はただ小走りで逃げ続けた。
○
どこに行っても、背丈の低い草と空ばかりで、緑の海原は憎たらしいほど彼方まで開けていて、自分の涙を隠してくれる木陰すらない。
月子は走りつかれて、膝から落ちるように座り込んだ。後ろからついてきた足音も、同時に止まるのがわかった。