Stage 5


カエンは、手のひらで火の球を練り上げる。人の頭くらいの大きさのそれは、カエンの顔を橙色に照らし出す。

両の掌に支えられるようにして宙に浮かぶ火を、水面のような模様がゆらめく青い壁へと、一気に叩きつけた。

火が、壁を焦がすはずだった。だが、壁は何の衝撃も受けず、傷ひとつつかず、カエンが作り出した火の珠は、まるで嘘のように消滅した。

「だめ、か……」

何度目かの脱走失敗。疲れも合わさって、大きなため息が出てしまう。

「お兄ちゃん、もうやめて。きっと無駄よ。私とお兄ちゃんの能力を知っているあいつらが、火で燃えやすいところに閉じ込めるはずがないわ。それに怪我だって、完全に治ってないのに。もう無茶はしないで」

包帯がきつく巻かれたカエンの肩を、マリンが労わるようになでた。その手をそっと押し包み、カエンは苦しい思いを吐きだす。

「そうだな。確かに俺のやってることは無駄かもしれない。でも、そう呑気なことを言ってられる状況じゃないんだ。早くここから脱出して、他の〈イリスの落とし子〉たちとおちあわないと。

それに、俺たちがここにとらわれているせいで、いろんな人が身動きがとれなくなっているかもしれないからな。速いとこ、自由の身にならないと」

「お兄ちゃんが急ぎたい気持ちはわかるわ、でも……」

「マリン」

少女の言葉を、カエンは優しく、けれど有無を言わさずさえぎった。

「心配してくれてありがとう。でも今は、ただ大人しくしているだけじゃだめなんだ。わかってほしい」

マリンは何か言いたそうだったが、無言でうつむき、カエンの背から手を離した。カエンは、マリンの頭をそっとなでる。

「無茶をしなきゃいけない時なんだ。ごめんな、マリン」

そういったカエンは、再び青の光がゆらめく壁をにらみつける。

〈デミウルゴス〉にとらわれ、この部屋に放り込まれてから、どれだけの日数が経ったのか、定かではない。

いずれにしろ、仲間の助け(とは言っても、七部族のうち誰が身動きできるのかすら不明なのだが)を待つよりかは、脱走を考えたほうが効率がいい、というのが、カエンの考えだった。

傷口も安定してきているし、治療は受けさせてもらっているから、体力は回復しつつある。カエンはそれを実感しているからこそ、脱走という案を唱えるのだ。

そうやって、前を向いて行動しようとする兄に、マリンは反対できなかった。

いつもそうだった。正しくて強い兄に、マリンは何も言えない。

七年前、この世界に連れて来られた当初、二人してさんざん泣きわめいていたはずなのに、最初に立ち直ったのは兄だった。

『マリン、もう泣いちゃいけないんだ。僕達は、ここで生きていくしかないんだ』



あの時は、兄の言葉がまるで理解できなかったけど、今ならその気持ちを察することができる。

カエンは、良い意味で諦めるのが得意なのだ。

諦める。それは、開き直るとか、目の前の現実を受け入れる力、とも言い換えることができるだろう。

だから兄は、強いのだ。兄として我儘な妹をなだめる役割に徹してきたこともあり、元来の性格もあり、カエンは押し付けられた役割を、いち早く理解したのだ。

(私は、お兄ちゃんの背中を見てばかりだった。だから私は、いつまで経っても、お兄ちゃんを「お兄ちゃん」って呼び続けているのかな……)

押さえつけようのない苦い思いを味わいながら、無言で兄の背中を見つめ続けるマリンだった。





「風賀美? 気がついたか?」

ふっと目を開けると、最初に飛び込んできたのは弦稀の顔で、次いで右腕にかすかな痛みを感じた。

あの、〈デミウルゴス〉の少女にやられた傷だ。ぼんやりとした頭に、先ほどの光景が次々たちあがってくる。

月子は無理に起き上がり、弦稀の腕にしがみついた。

「リオさんは? あの女の子は? どうなったの?」

今朝、自分が目覚めたベットに、月子は寝かされていた。テントの中には弦稀以外はいない。

分厚い幕の向こうには、まだあわただしく人が行きかっているようだ。

「お前のおかげで、みんな無事だ。安心しろ。あの妙な女は、どうやら操り人形だったみたいだ。戦いの跡を調べてみたら、人間くらいの大きさの人形が見つかった」

「人形……?」

「ああ、たぶん遠隔操作ってやつじゃないのか? 皆で、そういうふうに話しあってたが」

そこまで話終えて、弦稀はふいに月子の右手をとる。

(えっ?)

急に触れられて、月子の心臓が跳ね上がる。

「まだ痛むだろう? 手当はしたけど、治癒能力がある奴に治療してもらってないからな。風賀美の目が覚めた後でいいって、俺の方から言ったんだ。悪かったな」

「あ、ううん。別に……」

出血は派手だったかもしれないが、我慢できないほど痛いという訳ではなかった。

それよりも、ふいに弦稀が自分に触れてきたことの方に気を取られ、月子は目を白黒させる。

(もう、そんなに近づかないでほしいのに……麻倉君、遠慮なさすぎよ)

月子は徹底的に人と自分との間に壁を作るタイプであるが、弦稀の方は、距離感を無視して寄り添ってくるタイプなのだろう。早く彼の接し方になれないと、これからもどぎまぎし続けることになりそうだ。

(まさか、だから最初にあった日、いきなり胸倉つかんできたのかな……?)

「風賀美の目が覚めたこと、他の奴に言ってくる。待ってろ」

立ち上がろうとした弦稀を、月子はあわてて呼び止めた。

「待って、私も一緒に行っていい?」
 
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