Stage 4
強く揺さぶっても、返事がない。
息を飲んだ弦稀は、硬直した時を動かすかのように、大きく口をあけて怒鳴った。
「早く二人を運んで、手当するんだ!」
○○
「ああんもう、失敗しちゃったー」
目もとを仮面で隠した少女は、頭の後ろで両手を組み、わざとらしくため息をついた。
「あーあ、〈イリスの落とし子〉を捕まえられるかと、おもったのになー」
そう独白しつつ、手の中の切れた糸をぷらぷらと揺らしてみせる。
足元にある円心状の水たまりは、先ほどまで少女が覗き込んでいた場所を映し出していた。
風の槍でえぐれた地面。その中心に横たわる、彼女お手製の人形。今は術が解け、ただの動かない物体と成り果てている。
それに気づくことなく、周囲の人々は混乱を押さえつけて動きまわっていた。
少女が痛めつけた〈シュビレ〉の少年を介抱している者や、二人の〈イリスの落とし子〉に気を使う者。
少女は、気を失っている〈風〉の女を睨みつけた。
「……誤算だったわ」
底冷えするほどの怨嗟を混ぜた声は、闇の中に反響していく。
「ラクネ、無茶をするのは、よくないですよ」
足音を静かに響かせ、赤い髪を短く刈り込んだ青年が歩み寄ってきた。少女は腰に手を当て、むうっと頬を膨らませてみせる。
「なんだ、クリティアスかー。言っておくけどね、私は無茶をするつもりはこれっぽっちもなかったの! あんたが〈火〉と〈水〉の〈イリスの落とし子〉を捕まえたんだから、次は私の番だわって、思っただけなんだから」
ラクネが頬を膨らませ、クリティアスは苦笑する。
「そうは言いますけど、結果はこうなってしまったではないですか。あなたの人形は、遠隔操作だと二人分までしか糸を操れないのでしょう? まだまだ不十分です」
あっさりと指摘されてもなお、少女はすねたままだった。
「二人分も操作できれば充分だと思ったのよ。あっちにいる〈イリスの落とし子〉はちょうど二人だったし。動きを封じて連れてくる分には大丈夫だって思ったのにな。あーあ、ちょっと遊んじゃったのが悪かったわ」
リオを痛めつけた事実を、ラクネは「遊び」という無邪気な単語で表現した。
ここに弦稀がいたら、おそらくは殴りかかっていただろう。
「いいですか? 恐怖は与えすぎると反発や敵愾心を引き起こします。ほどほどになさい」
「ふん、お説教は結構よ」
ラクネはわざと舌を出し、青年の横を通り過ぎようとした。
その足が、ふいに止まった。
「あなたも、これで身を持って理解したでしょう?」
立ち止まったラクネの体が、わなわなと震えだす。
膝をつき、身を折り曲げた彼女の口から、血塊がこぼれおちた。
えずく音を聞きながら、クリティアスは続ける。
「イリス神の守護を受けた〈イリスの落とし子〉を、なめてはいけません。彼らは聖なる自然の力に守護されている。手を出すのは容易ではないのです。なのに、あなたも弟のアイソンも、どうしてまあこうも好戦的なのですかねえ」
少女の脳裏に、月子の言葉が浮かんだ。
――天つ翼は、汝を逃がしはしない。
「あんたまさか、わざと私に思い知らせるために、偵察を許したわけ?」
地に手をついたままのラクネは、クリティアスを見上げた。が、かすむ視界では、彼がどんな表情をしているのかわからない。
「まあ、若い頃には、いろんなことを身を持って経験しておく必要があるかと思いまして?」
「この、性悪!」
「ふふ、褒められると照れますねえ」
クリティアスは、ラクネの両膝と背に手を差し入れ、軽々と持ち上げた。
ラクネはなされるがままだった。悔しいが、今は憎たらしい青年に抗う体力など、残っていないのだ。
唇からこぼれたままの血をふくこともできなかったが、最後の気力で毒づいた。
「あの〈風〉の女、絶対に、許さない……」
この与えられた痛みを胸に刻みつけ、次こそは、奴を仕留めてやる。
薄れゆく意識の中で、そう自分に誓った。
○○
その日、真守の一日は、滞りなく過ぎていった。
その次の日も、そしてその次の日も。
目の前から、親友の弦稀と転校生の月子がいなくなってしまったというのに、世界は何もなかったかのように動き続けているのだ。
真守の気持ちをあざ笑うかのように、季節は冬へと向かっていく。
二人がいなくなった喪失感と動揺を、何とか帳消しにしようと試みてはみるものの、失敗してしまう。
指の震えが、止まらなかった。授業中も、休み時間も、家にいる時も。
どうして二人は消えてしまったのか。どうして誰も、そのことを疑問に思わないのか。
誰にも聞けはしない。二人がどこかへ行ってしまったのかなど。
なぜなら、二人はこの世に存在しないものとされてしまっているからだ。
(俺がおかしいのか? それとも、世界がおかしいのか?)
弦稀と月子は、自分が作り出した妄想で、だから消えてしまったのか?
(いや、そんなはずはない。あいつらは、確かにいたんだ)