Stage 4


「麻倉君!」

敵の懐へ飛び込んだ少年の耳に、悲痛な叫び声が届く。

「どうしてそんな無茶するの!」

弦稀は膝をついた。締め上げられた片手から、針が落ちる。ご丁寧に腕の自由を奪っていく少女を睨みつけ、弦稀は呻いた。

「……俺とお前なら、殺される確率は低いと思ったからだ。あくまでも推測に留まるけど、つかまっている〈火〉と〈水〉の〈イリスの落とし子〉も、危害は加えられていないはずだ。でも、リオって奴は俺たちと違う」

二、三人の勇気ある〈シュビレ〉が、気を失ったリオへ走り寄っていく。少女はその様子を、鼻で笑って見ていた。

弦稀はその少女へ、針よりも鋭い勢いで叫ぶ。

「あいつは、本気だった。リオをいたぶって殺すつもりだったんだ。しかもそれを見せ物にしやがった。許せるわけがねえだろ!」


○○


「麻倉、君……」

瞳に炎をともす弦稀を見て、月子の脳裏に、ある光景が浮かんだ。

――真守を傷つけたから謝れと、自分にそう言った彼を。

あの時は、深く考えることはなかったけれど。

彼はなぜ、こんなにも己の感情を燃やすほど、他者のことを考えられるのだ。

情熱と勇気を伴ってはいるが、何とむこうみずで、無謀で、危なっかしいんだろう。

(麻倉君に比べたら、私は……)

突然告げられた力の意味と、真実が怖くて、目をそむけた。でも、どんどん追い込まれていって。逃げ場がないと実感し始めた。

しかしそれでもなお、抜け道があるのではないかと、悪あがきをしようという思いがどこかにあった気がする。

(……このままで、いいの?)

誰かを助けるために自分の力を使って、それで敵の手中に落ちてしまった弦稀のようにはいかないけれど。

自分も、覚悟を持たなくてはならないのではないか?

少女に切りつけられた腕が、鈍痛を訴えてくる。

これは、自分がふがいない証拠だ。戦わずして、リオまで巻き込んでしまった、負の勲章の証し。

(……このままじゃ、駄目なんだわ)

悲壮に染まった決意が、月子を押し包む。

自分が弱いせいで、誰かが傷つくくらいなら。

自分で戦うほうが、圧倒的にましだ。

「さあて、あんたたちを連れていく前に、ちょっと気分転換でもしようかしら」

うつむく月子へと、少女が近づいてくる。弦稀が月子の名を叫ぶ。



「〈イリスの落とし子〉の〈風〉の女、私はあんたがいっちばんむかつくの」

少女の声が、間近で響く。それでも月子は、顔をあげない。

月子には、少女の声がどこか遠いもののように思えたのだ。

「身に覚えはないと思うけど、あんたは、私から一番憎まれてしかるべき存在なのよ。まあ、命までは取らないから、安心してね? ただし、腕や足は保障できないかもしれないけど。うふふっ」

振り上げた少女の腕が、地面に影を落とす。月子の体が糸ごと上へとひっぱりあげられた。弦稀の絶叫。遅れて届く、耳元へ囁く風の声。


石が、月子の名を呼んだ。

今の月子には、それがはっきりと理解できる。

(正直なことを言うと、私はあなたが嫌いだったのよ)

知っていた、と石がうなずいた。

(でも、同時に私は、あなたをすごく必要としてた。離れちゃいけない存在だって、わかってたのよ)

石は、無言でうなずいた。

(お願い。こんなわがままな持ち主で悪いけど、私に力を貸してちょうだい)

石は再び、無言でうなずいた。月子は、とてもはっきりとそのことを感じた。


迫りくる地面。服をやぶって、肌に食い込んでくる糸。

このままだと、自分は死んでしまうかもしれない。

けどそうならならないために、どうすればいいのか、今の月子はそれを知っている。

唇が、何かに導かれるように言葉を紡いだ。

「――来たれ、我がもとに。其は天と地を駆けめぐるもの」

首に下げた石が熱を持つ。地面に叩きつけられるまさにその直前、月子を中心にして、風が圧力を持って円心状に放たれる。

「風、賀美……?」

茫然と名を呼ぶ弦稀の声も、月子の耳には届かなかった。

風の珠が月子を包み、彼女はゆっくりと地に足をつけた。月子を縛っていた糸は、風の力であえなく千切れて飛び散った。

「なっ…!」

月子の豹変と、術を破られた驚きで少女が絶句する。一歩後ずさった彼女を引きとめるかのように、月子は右手を彼女へ突き出した。

「――天つ翼は、汝を逃がしはしない」

風の球から、風の槍がいくつも穂先を突き出して、少女が立っている場所へ飛び出していく。

手で顔をかばった少女は、短い叫び声を残し、土煙の中に消えた。

轟音と爆風の名残りが漂う中、最初に動いたのは弦稀だった。

「風賀美っ!」

弦稀はゆるんだ手の縛めをほどき、目を閉じてくずおれかける月子へと駆け寄る。

抱きとめた彼女の瞼は、ゆるく閉じられていた。

「おい、しっかりしろ!」
 
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