Stage 4
「うふふ、ちょっと様子を見に来ただけなんだけど、これで〈イリスの落とし子〉を二人も持ち帰れるなんて、すっごい大収穫だわ。〈火〉と〈水〉は手の内だし、〈風〉と〈鋼〉がそろったら、あとはたったの三人。それくらい、すぐにしとめてみせるわよ」
少女の言い草から、弦稀はふと思い当たる――こいつらは少なくとも、〈イリスの落とし子〉の命を奪うつもりはないのではないか?
もしかしたらそうなのかもしれない。
〈イリスの落とし子〉を、どういう目的で狙っているのかは依然としてはっきりしない。しかし、現段階で二人の〈イリスの落とし子〉を捕えている状態だということは、〈イリスの落とし子〉としての存在が必要なのだ、と言いかえることも可能だろう。
命を奪うのが目的であるなら、まどろっこしいことなどせずに殺せば済む。しかし、生かしておく必要があるのであれば、殺すなんてことはしないはずだ。
ならば、さっきのは単なる脅しで、反撃の余地はあるかもしれない。
と、そこまで考えて、弦稀は歯ぎしりした。
あの少女の手のうちには、リオがとらわれている。彼は〈イリスの落とし子〉ではない。ならば、下手に動けば何をされるか。
考えを読まれたかのように、リオがぐぐもった悲鳴をあげ、弦稀の背が凍りついた。
彼は首を両手でかきむしり、身をよじってあえぐ。少女の握る糸が、リオの命を追い詰めているのは明らかだった。
「俺たちに用があるなら、この人は関係ないだろ!」
するどく吼えても、少女は笑って受け流す。
「寝ぼけたことを言わないで。〈シュビレ〉は総じて〈イリスの落とし子〉に肩入れしてるんだし、それだったら私たちの敵になるわ。だって、邪魔だもの。ねえ?」
くい、っと少女が手首を動かす。リオの首に赤い線が走り、つうと液体がこぼれた。
「ふざけんな!」
「やめて! リオさんは関係ないのに!」
月子の絶叫に、少女は一瞬表情を消して舌打ちする。
「うるさいのよ。役立たずの〈風〉のくせして!」
「いゃあああああっ!!」
月子の片腕が、ざっくりと切られ赤く染まっていく。
弦稀はそれを、成す術もなく見ているしかなかった。
手には飛び道具があるのに、〈デミウルゴス〉の少女を攻撃できない。二人がとらわれてしまっていては、勝算が低すぎるのだ。
ちら、と後ろを振り返ると、手に武具を持った〈シュビレ〉の男たちが、弦稀の背後に連なっていた。弦稀たちや少女を囲むように輪を形成していくが、彼らも近づく機会をつかめないでいるようだ。
惨劇の観客が増えたためか、少女の声は高くなる。
「ほらほらー、苦しいでしょう。ねえ皆さん、よおく見ておいてね。〈デミウルゴス〉は、逆らう人間には容赦しないのよ。たとえそれが、前途ある若者であってもね?」
くすくす、と口に手をあてて優雅に笑う。まるで、悪徳を心底楽しんでいるかのように。
「ツルギ、様。僕に構わず……早く、ツキコ、様、を……」
リオの血を吐くような言葉は、そこで途切れた。彼はびくんと体をのけぞらせ、再び首をかきむしり始める。
「ちょっとお、耳障りだから黙ってくれないかしら?」
リオは、見せしめで痛めつけられている。彼が苦しむさまを同族の目に焼きつけ、恐怖で押さえつけようとしているのだ。
そして、その舞台を作り上げた張本人は、どこまでも愉快そうに笑っていた。
弦稀の中で、堪忍袋の緒が切れる音がした。
頭が熱さで真っ白になっていく。同時に、周囲の音が消えていく。
自分の動作ひとつひとつが引き延ばされたように映り、呼吸音ひとつ立てるだけで、体がしびれそうなほど、神経が冴えわたっていく。
振り上げた手に握られているのは、一本の針。
少女がこちらを振り向いた。その唇が、言葉を紡ぎかける。
それを許す暇を与えず、弦稀は片腕を振りかぶった。
矢よりも早く、手から放たれた針は空中を突き進み、少女とリオを繋ぐ忌まわしい糸を断ち切った。
「なっ……」
手ごたえが無くなったために目を丸くする少女。そのすきを狙い、弦稀は駆けだす。
すべての集中力と筋力を足へと集中させ、時間が引き延ばされた視界の中で、次の動きを組み立てていく。
リオと少女の中間地点に自分の体を挟んで、もう一本針を生成し、月子の縛めを断ち切る為に腕を振り上げて――
体の動きが、強制的に止まった。
「っ! くそっ!」
いちかばちかの賭けだった。自分の動きが速いか、あっちが反応するのが速いか。
半分は勝ったが、半分は負けてしまったのだ。