Stage 3
「ツキコ様は、やはり受け入れがたいのですね。それも、当たり前の反応でしょう……」
痛ましげにため息をつくイレシスへ、弦稀は姿勢を正した。
「こんなことになってしまって、すみません」
「ツルギ様が頭を下げることではありません。あなたがたに事実を告げているのは、この私なのですから」
イレシスと二人きりで対面する形になった弦稀は、ゆっくりと口を開いた。
「俺たちが、この状況を受け入れざるをえないというのは、お話を伺って理解しました。どうせ嫌だと言っても、石の存在が俺たちをそうあらしめる限り、むなしい抵抗なんですね」
月子を追いかけてリオもテントから飛び出していったため、今は弦稀とイレシスの二人きりしかいない。
イレシスはあくまで、月子と弦稀の二人に敬意を払って話をしてくれたが、真実という冷たい刃を突き付けた。その鋭い輝きに、目を背けることはできない。
「あいつと俺は、これから先〈デミウルゴス〉という奴らに狙われる羽目になる。俺たちが〈イリスの落とし子〉である限り、そいつらは俺たちを捕まえようとする。俺たちの命が欲しいのか力が欲しいのかはわからないけれど、とにかく危害を加えようとしてくるのは確実、ということですか」
いろんなことが目まぐるしく襲ってきて、弦稀の処理能力も限界を超えそうだが、ここで弱音を吐いてしまっては、立ち上がれなくなるような予感もする。
(面倒くせえな、本当に)
心の中で盛大に悪態をつき、ひとつ息をついてから、弦稀は身を乗り出した。
そうだ、今は己だけの今後を嘆いている場合ではないのだ。
「ひとつ、聞きたいことがあります」
「何ですかな?」
もう一度大きく息をすって焦りを押さえて口にする。
「もう一人の〈イリスの落とし子〉は……〈雷〉の力を持つあいつは、今どこにいるんですか?」
沈黙の後、イレウスが耐えきれぬように目を閉じた。
「その方はまだ、あなた方がいらした世界にいらっしゃいます。ですが……」
○○
泣いているのだと、散々走ってから気がついた。
怒りのせいか恐怖のせいかはわからないけど、激情が臨界点をこえてあふれてきてしまった。
袖で乱暴にぬぐい、息を整えながらとぼとぼと草原を歩く。
どこまで行っても同じ光景だ。地平線と、風と、若々しく萌える草。
空には雲が引き延ばされて優雅に浮かんでいて、時が時でなければ、寝そべって昼寝をしたいくらい良い天気だ。
「逃げられない、んだ」
突然振ってわいた実感を口にして、笑いがこみ上げそうになる。
月子は決して逃げられないのだ。この世界からも、石からも。
また涙が浮かんできて、歯を食いしばったその時。
「あのー、よかったら、お使いになりますか?」
いきなり布を差し出す手がにゅうっと視界に飛び込んできて、悲鳴をあげかける。
「わあっ……って、あなたなの」
ある程度予想していたことだが、リオが立っていた。月子と違って息はひとつも乱れた様子がなく、気遣うような瞳が、彼女の不満をあおり立てた。
「いらないわよ」
吐き捨てて、彼の横をスタスタと通り過ぎる。当然だが、彼はついてきた。
「どこに行かれるのですか?」
「一人にしてちょうだい。放っておいて!」
「そうは行きません。ダナン・ガルズに不慣れなツキコ様を一人にするなどと。それに僕は、あなたがどこにおられても追いかけていきますよ?」
その言葉に、そこまでされるほど自分の境遇が特殊なのだと改めて思い知らされて、ますますささくれ立った気持ちになる。
この時月子は、リオの言葉の意味を少し勘違いして受け止めた。
「追いかけてこなくったっていいわよ。お願いだから一人にして」
「いえ、あなたがどこにおられても、僕はすぐ駆けつけることが……」
ややかみ合わない会話を繰り広げる二人の間に、突然、別の声が割って入った。
「お取り込み中失礼します。ごめんなさい。もしかして、痴話喧嘩の最中だったあ? なんてねー」
はっとして振り返り、声の主を認め、月子の全身に忽ち鳥肌が立つ。
一体、いつの間に現れたのだろう。昨日月子と弦稀を襲った少年と同じ格好をした少女が、距離をおいて立っていた。背丈や声の高さから、月子とあまり変わりない年齢であるように思われる。
全く気がつかなかった。足音も気配も、風が動くこともなかったのに。どうやって、こんな至近距離まで接近できたのだろう。
リオは彼女を後ろへとかばって立ち、目の前の人物を睨みつけた。
「きゃあー怖い怖い。やっぱり、男と女の会話の最中に割り込むんじゃなかったわー。でも、これも仕事なのよ。だから大目に見てちょうだい、ね?」
首をかしげる少女は、あでやかさを含んだ唇とは正反対の色をしている、真っ黒な外套をひるがえして笑った。
(この子も、〈デミウスゴス〉なの……?)
胸に下げた石が、ぴぃんと跳ねて存在感を示してきた。
○○
一番最初に考えたのは、これが夢の続きである、ということだ。
だから試しに、ほっぺたをつねってみた。痛い。痛覚は働いている。
ということは、これは夢ではなく現実なのだ。自分はちゃんと起床して、朝ご飯を食べ、学校へ来たのだ。